17 輝く星になれ!③
そして4月1日の早朝。
尊は泰夫と一緒に、身の回りのものをつめたスポーツバッグを下げて、車をとめている駐車場へ向かった。
母はあれからすぐつかまり、病院できちんと検査をしてもらった結果、精神だけでなく肉体的にもボロボロで、入院治療が必要だと診断された。
そんな状態なのだから、彼女は当然、仕事など出来ない。母が勤めていた店へ、泰夫は話をつけに行った。
ところが、あの女が店で借金していたこともわかり、それを含め泰夫は、なんとかケリをつけてきたのだそうだ。
「まあ、百万円まではいかんかったからな。何とかなった。幸いっちゅうかナンちゅうか、井関の方から示談金ちゅうか慰謝料ちゅうかがあったし、野崎からの見舞いやらもあったしで、ゴツイ負担にならんかったからな。因果は巡るっちゅうか塞翁が馬ちゅうか、世の中何が幸いするかワカランなァ」
そんなのん気なことを言っているが、母の今後の医療費だのを考えれば、泰夫の負担は決して小さくない。
だが、その辺は公的なサポートも利用して何とかすると泰夫に言われたので、尊は目をつぶって任せることにした。
自分はこれから必死に修行し、少しでも早く一人前の職人になる。
泰夫への恩返しはそれからだと、尊は自分に言い聞かせていた。
駐車場にはツレや後輩たちがいた。
まさかいるとは思わなかった。
送別会めいたものなら二日ほど前に、ファミレスで飯を食って済ませている。
当日は早いから、見送りは遠慮すると言っておいたのだが。
「へっ、5時前に起きるんがナンボのもんやねん。俺ら、朝早いのなんか平気やぞ」
そんな風に川野はうそぶくが、言っている川野はもちろん後ろにいる後輩たちは皆、どこか腫れぼったいぼんやりした顔をしている。
「まあ、見送りぐらいさせてくれ」
やや寂しそうな声音でそう言うと、田中は、文房具屋のロゴが入った紙袋に入った、何か平たいものを差し出した。
「寄せ書きや。たまにはこれ見て、小波のことでも思い出してくれや」
そっと出してみると、白い色紙に、汚いながら真摯に書いたであろう字が並んでいた。
うるっとしそうになったが、何とかこらえた。
「ありがとう。でも、別に今生の別れやないぞ。たまにはコッチにも帰ってくるしな」
尊が言うと、川野は笑って言う。
「おう。帰って来る時は連絡くれ」
田中はふと真顔になり
「頑張ってエエ職人になれや。ほんで、小波にあるボロ寺やボロ神社の改修、格安で請け負うたれや。そん時は俺が、格安で足場組んだる。……そうなれるように、俺も頑張るからな」
と言った。川野が明るい声を作って
「ほんなら俺は、格安で美味い弁当サービスしたる。それ楽しみに修行励め」
すると田中はわざと顔をしかめ
「ええ~、しょぼい楽しみやなァ。仕事の期間中、ステーキ弁当毎日タダで食わせたる、くらいのこと言えんのか?」
とツッコむと、川野が
「そんなことしたらウチは破産や」
情けなさそうに眉を下げるので、後輩たちが笑った。
ああ懐かしいな、と尊は思う。
このやり取りを懐かしいと思う自分に、尊はややうろたえ……いや、それでいいのだと思い切る。
「この寄せ書き、おっちゃんも書かせてもろてもかまへんか?」
横からガキ共のやり取りを静かに見ていた泰夫が、不意にそう言った。
「どーぞどーぞ」
どこからともなくサインペンを取り出し、川野が泰夫へ勧める。
コイツのことだ、書き足したいと言い出す者が現れてもいいように、あらかじめサインペンを持って来ていたのだろう。
前から思わなくもなかったが、川野は本当に、いい商売人になりそうな男だ。
泰夫はサインペンを持ち、少し考えた後、誰もが遠慮して書かなかったであろう真ん中に、大きな字でこう書いた。
『早川尊、輝く星になれ!』
そしてその下に、小さく『早川泰夫』と署名した。
「ちょっと……キザやったかな?」
耳まで赤くなり、泰夫は恥ずかしそうに、ぼそっとそうつぶやいた。
車は港へ向かって走り出す。
細く開けた助手席の窓から、ほんのりと街路樹の芽吹きのにおいが風に乗って入ってくる。
尊はもう一度寄せ書きを取り出し、ゆっくりと眺めた。
頑張って下さいとかお元気でとかの、ありきたりの言葉が胸にじんわり沁みてくる。
何気なく色紙を裏返し、ハッとする。
『お体に気をつけて 林邦彦』
隅に、遠慮するような小さな字で書いてあった。
川野が気を利かせ、こっそり林にも寄せ書きを持って行ったのだろう。
だが林は遠慮して、色紙の表ではなく裏に書いたのだろう……。
「みんな、エエ子やな」
泰夫の言葉に、尊は無言でうなずく。
何だか目の前がぼやけるのはご愛敬、というものだろう。
澄んだ朝の空気の中、車は軽やかに進んでゆく。
尊は窓を全開にした。
新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、朝陽に揺れる常緑樹の枝を見る。
小波神社の御神木の、優しい葉ずれの音が聞いた……ような気がした。
【おわり】
『輝く星になれ』完結いたしました。
気まぐれ更新もいいところの、休み休み、ボチボチ、の更新速度でしたが、なんとか完結まで書き上げることが出来ました。
とても地味でシリアスで、ストレスフルな物語だったかもしれませんね。
ここまでお付き合い下さった皆様方、本当にありがとうございました。
もしよろしければ、また別のお話でお会い致しましょう。




