迷走27
8月2日午前中、松田弁護士が、釧路地裁北見支部に「勾留執行停止」の申し立てをした。勾留執行停止とは、被疑者又は被告(起訴後)に急病が発生し、入院が必要となった場合や親族の急死に伴う葬儀出席(これも無条件に認められるわけではない)など、かなり特殊な事情が勾留後発生した場合に、一時的に勾留状態から開放されることを目的として裁判所に申し立てられるものである。既に北川は手術を受け、入院しているため、実質既に勾留は停止されているのだが、弁護士主導により、きちんと権利確定しておこうという腹があるのだろう。これは検察側も文句の付けようがないし、裁判所も100パー認めてくるだろうが、警察としては今更痛くも痒くもない「反撃」である。ただ、北川という重要参考人を「失いかけている」事実が、それ以上の痛手であった。北川は未だ意識不明のままであり、意識回復についての道筋は全く見えていなかった。
同時に松田は北見方面本部の監察官室に、取調べの違法性を主張した上申書を提出した。体調面で多少不安のある北川への配慮を欠いた取調べと、別件勾留での米田事件の取調べは違法だという主張だった。昨日夕方の段階で北見の監察官室は事態を把握していたこともあり、昼を回った頃にはすぐに関係者への聴取が行われ、大友捜査本部長、倉野、比留間、道下の幹部を始め、取調べに当っていた刑事全員が対象となった。沢井課長、西田、竹下主任、小村の遠軽署取調べ担当刑事は、当日は監察官聴取の存在以前に、北見方面本部へ捜査会議のために出張っていたので、そのままの流れで聴取を受けた。
札幌の道警本部からも、刑事部長の遠山と道警本部監察官室長の飯原が、昨日中に北見へ来ることを決めていたようで、ある意味タイミング良く到着した。そして状況説明を寺島北見方面方面本部長などから受け、これからの対応を模索していた。さすがに被疑者が実質別件逮捕時において意識不明となると、道警全体として適当に流しておくということは出来ない。また、ややこしいことに、別件逮捕時点の本件容疑である殺人・死体遺棄では既に無実だということが実質確定していたということも、それに拍車を掛けていた。
遠軽署の中で調査を受けた4人は、1日目の取調べで、北川の意識不明にほとんど影響がなかったこともあり、簡単な質疑応答で済んだが、向坂など、北川が倒れた当日の担当者や、責任者級のメンバーについては、かなり長い時間聴取が行われていた。捜査本部「別館」室内も、手の空いた捜査員同士の現状についての勝手な「分析話」で、かなりざわついていた。
「これどういう風に収拾つけるんですか?」
会議のために、これまた北見に来ている吉村が課長に尋ねていた。
「わからん。北川があの調子だと、真犯人へつながる糸口が見いだせないままになるかもしれん。そうなると厳しいのは当たり前だな」
「いやそれもありますけど、なんか問題になりそうかなと」
「不幸中の幸いというか、別件逮捕の別件事案は、飲酒運転と人身事故だから、通常でも逮捕勾留されるレベルだろ? だからそこは別件逮捕と言えども、問題になる要素は少ないと見ているが……」
「ほんとにそこだけは救いですよ。これが転び公妨みたいな軽犯罪レベルだったら、逮捕・勾留なんてする必要はまずないですから、洒落にならん状況だったかもしれないです」
本件逮捕に終始こだわっていた竹下も、それについては沢井同様、運の良さを強調した。
「誰か責任取らされますか?」
小村も沢井に聞いた。
「どうだろうなあ。ヤバ目な道下さんは本部が送り込んできた人間だし、本部としてもあからさまな処分しづらいんじゃないか?別件逮捕も、これで文句言うと、道警全部の刑事が責任取らないとならない。何らかの軽い処分はあるかもしれないが、捜査本部に表向き大した影響はないと、俺は考えているが、蓋を開けてみないことにはなんとも」
沢井はそう言うと、ペットボトルのお茶に口をつけた。沢井も高血圧気味なので、北川の件で自分も気を付けているように見えた。普段は余り水物を口にするタイプではないはずだ。




