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迷走26

 すぐに到着した救急隊員により搬送される北川と共に、倉野と向坂が付き添いながら署の廊下を救急車に向かう。救急隊員が、

「意識不明になる前に何か症状を訴えていませんでしたか?」

と聞く。

「そう言えば、直前に頭を抑えてたなあ。その後すぐに机に倒れこんでました」

向坂が当時の状況を説明した。

「頭痛か何かかな。となると脳の方か……」

救急隊員は、厳しい顔つきをしながら、北川を救急車に運び込んだ。倉野は向坂に、

「俺はこのまま付き添って病院まで行くから、捜査本部の方に連絡頼む!」

と言い残し、サイレンを鳴らしながら救急車は北見署を出て行った。


 

 向坂は捜査本部に一報を入れると取調室に戻った。道下含め、捜査員が全員控え室に待機しているため、、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った取調室で、向坂はドカッと椅子に腰を下ろした。なんとなく他の捜査員から距離を置きたい心境が、控室ではなく、取調室に足を運ばせた。時計を確認すると、午前11時を指していた。北川が倒れたときには、10時半前だった記憶があるから、あれから30分程しか経ってないのが信じられない向坂だった。


 5分程だったろうか、しばらくぼーっと座っていると、

「そうだ。留置場に入れる前に預かったモノを、家族に返さないといけなくなるな……。気が付いた段階でやっておかないと、気の利かない警察組織のことだ、本人が回復して思い出すか、家族が気づいて申し出るかでもしないと、そのまましばらく放置されるかもしれない……」

と思い出したように留置場を管理している署内の警務課に足を向けた。北川が救急搬送されたという事情は既に飲み込んでいた署員により、北川から預かった物品のリストと物品を入れたビニール袋を渡され、それを一人で照合する北川。そうこうしていると、やけに高そうな腕時計が一際目についた。向坂はその時計を慎重に手に取った。何気なく文字盤を見ると、そこには高級時計で有名な幾つかのブランドの中では、一般的には知名度はそれほどでもないが、高級度合では上位のロイヤル・フェリペの名前があるのを確認した。

「ほう。ロイヤル・フェリペか。また随分高い奴をしてるな。さすが重役ってところか……」

向坂は興味深々に、まじまじと時計を色々な角度から見ていると、時計の裏に、「伊坂組発足40周年記念 平成2年 5月1日 北川 友之」と彫ってあるのを見つけた。

「会社の記念贈答品でロイヤル・フェリペとは驚いた。平成2年だから1990年、丁度バブルの頃で儲かってたんだなあ。警察じゃあり得ない」

向坂は半ば呆れ、半ば羨ましく思いながら、いけないことだとは思いながらも、時計をはめたり外したりしてみた。

「だめだな、俺には似合わん、こういうのは……」

納得したように自嘲すると、担当署員を再び呼びつけ、

「北川が搬送された病院がわかり次第、家族に返すのを絶対忘れないようにしてくれ」

と念を押し、刑事たちが待つ控室へと向かった。



 救急車に乗せられた後、幸いすぐに近くの北見共立病院の救急救命センターに運び込まれた北川は、クモ膜下出血による意識不明と診断され、そのまま緊急手術が行われた。比留間管理官、警察から連絡を受けた北川の家族も病院に駆け付けた。一礼をする倉野に妻の加奈子はキツイ言葉を浴びせることもなかったが、突き刺さるような冷たい視線を倉野は感じていた。比留間はそんな様子を見ていたのか、

「痛いですねえ、こうなるとああいうのは」

としかめっ面で独り言のように言った。


 昼過ぎの手術から3時間を過ぎ、一度執刀医が状況を説明に家族や倉野の元に訪れたが、状況はかなり良くないようで、妻は落胆していた。執刀医の、

「高血圧やストレス、水分補給の失敗などが原因となりやすいですが……。何か原因となることがありませんでしたか?」

と暗に警察の責任を問うような発言を聞いた倉野は、

「まあ……」

と言葉を濁すことしかできなかった。全てが該当したからに他ならない。特に、高血圧の北川に、ここのところの高温多湿の気候において、水分補給を十分にさせていなかったことは、倉野としても注意しておくべきだったと内心深く後悔していた。



 北川の救急搬送と緊急手術、そして勾留取消請求の結果という、大きな案件の連絡が立て続けに来た、北見方面本部は軽いパニック状態になっていた。幸い勾留取消請求が認められることは、何とか回避できたようだったが、当の北川が意識不明となってしまってはほとんど無意味であったとも言えた。大友捜査本部長も、倉野が病院に掛かりっきりなので、陣頭指揮を直接執っていたが、同時に道警本部との連絡にも追われているようで、頻繁に部屋を出たり入ったりを繰り返していた。当日は西田とは別行動の北村も、

「やばいことになったな……」

とさわつく捜査本部「別館」の様子に軽く狼狽していた。


 西田はこの日は篠田の捜査を一時休止し、遠軽署でこれからのことを沢井、竹下と検討していた。先に取消請求否認の連絡が来たので、一安心していた中、やや遅れて入った北川の手術の報に驚愕していた。

「課長、これからどうなるんでしょうね」

西田は力なく沢井に聞いた。

「どうなるもこうなるも、勾留は結局解消されるだろうよ。取消が認められなかったことは、結局無意味になると思う」

沢井は残念そうに西田に言った。

「そうなりますよねえ……」

西田は天井を見上げ、目線を宙に泳がした。

「本件逮捕どころの騒ぎじゃなくなってしまったなあ。残念です」

竹下も呟くように言ったが、達観したような、余り感情のこもっていない言葉に西田には聞こえた。



 午後7時過ぎ、緊急手術は終了し、北川は手術室を搬出された。妻の加奈子と二人の子供がタンカの横に張り付きながら、心配そうに集中治療室まで付いて行ったのを見守った倉野と比留間。やや遅れて手術室を出てきた執刀医は、

「一応手術はしましたが、正直意識が戻る可能性はかなり低いと思います。戻ったとしても、後遺症は重いんじゃないでしょうかね。取り調べの最中だったようですけど、以降の取り調べはまず出来ないと思ってください。それじゃあこれからご家族に説明しなきゃならないんで……」

と告げると、足早に二人の捜査官の前を後にし、北川が搬入された集中治療室へ向かった。

「これじゃあ米田の事件はどうなっちまうんだ……」

比留間は遠ざかる医者を見ながらポツリと言うと、

「いつの間にかもう飯時ですよ……。ここに食堂があるから、そこで飯食って、それから考えるとしましょうか。色々と……」

と倉野に提案した。

「そうだな。そうしよう……」

と答えた倉野だったが、半ば上の空の返答だった。

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