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迷走4

 捜査資料の概要は以下の通りであった。


1987年9月23日秋分の日の昼、札幌市東区在住、食材卸売り経営「佐田 実」当時65歳は、札幌を早朝出発の特急「オホーツク」で北見駅に到着した。佐田はそれ以前から、伊坂組先代社長「伊坂 大吉」当時67歳と頻繁に電話で連絡を取り合っていた。その内容については、伊坂本人からの事情聴取を前提とすれば、佐田の店の経営難においての資金提供の話であったとのこと。伊坂本人は佐田との関係は、「昔からの知り合い」と語ったが、佐田周辺からは、伊坂との古い付き合いということの裏づけは取れなかった。伊坂周辺において、伊坂の主張を補強したのは、後で出てくる、当時の北見市選挙区選出道議会議員「松島 孝太郎」当時62歳の証言のみである。


 佐田は北見に到着後、駅前の「北見セントラルホテル」に宿泊。宿泊先からも伊坂大吉との連絡を頻繁に取っていた。そして、2日後の9月25日、佐田は北見市内のグランド北見ホテルの中の和風割烹「風鈴」の「松の間」にて、伊坂と立会人としての松島と会食をした。そしてその後、ホテルに戻った。


 翌日9月26日、セントラルホテルをチェックアウトしたところまで確認されたが、当初札幌に帰るために乗る予定だった、網走発函館行きの特急「おおとり」には北見から乗らなかったことが、該当列車常務車掌による指定席乗車確認表より確認された。


 佐田の家族から捜索願が出されたのが、10月3日。所轄北見署の行方不明者の基本的担当部署である生活安全課がまず捜査を開始した。佐田の会社の資金繰りが余り良くなかったことは家族の証言より確認されたが、同時に会食後の失踪前日夜、「金策の目処が付いた」との電話が佐田より家族にあり、それが原因での失踪は考えにくかったこと。チェックアウトした際に、ホテルのフロントに「そのうちまた来るから」と言い残したことなどから見て、なんらかの事件に巻き込まれた可能性を考慮。10月6日、刑事課にも協力を要請。刑事課は伊坂大吉が、佐田の失踪について何か知っている可能性を考慮し、事情聴取を要請するも拒否。伊坂が北見地区の有力者であることから、北見方面本部刑事部捜査一課が動き出すことになった。当時の刑事部長が直々に参考人聴取を伊坂の顧問弁護士に依頼。なんとか事情聴取が可能になるも、伊坂は佐田の失踪については全く知らないと言い張った。会食の際の話し合いも、円満のうちに終わり、資金提供の話がついたと証言した。伊坂と佐田の関係性も上記の通りの主張。立会人だった松島にも事情聴取するが、こちらも伊坂の発言を追認するだけだった。


 北見署刑事課も方面本部捜査一課も、伊坂についての捜査を続行すべきとの結論に至るが、ここで伊坂組が有力支援者になっている、大物国会議員「大島海路」が介入してくる。松島は大島の元秘書でもあり、松島との関係も深いが、道議会議員の松島が伊坂について問題ないと証言している以上、これ以上ない証拠能力があると主張。道警本部にも圧力を掛け、道警本部直々に、「10月20日までに具体的証拠が出なかった場合、伊坂からは手を引くように」という命令を出させる。結局具体的に伊坂が佐田の失踪に関わっている証拠が、それまでに出なかったため、捜査は頓挫し、伊坂は自発的に失踪した可能性ありということで、刑事事件扱いは北見署も北見方面本部もやめることになり、以降は純粋に生活安全課の自発的失踪案件として扱われた。その後も行方はわからないままであった。


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