鳴動58
捜査員達が臨時に捜査本部「別館」として集まっている、北見方面本部の第三会議室に向坂と竹下が戻ると、既に捜査からあがって、一休みしていた西田が早速話しかけてきた。
「カメラから吉見の指紋でましたか?」
「それらしきものはなんとか見つかったが、まだ断定はできないとさ」
向坂は残念そうに言ったが、可能性は高いと推測していたので、表情は明るかった。それを察したか、西田も、
「まあ大丈夫でしょう」
と言った。
「ところで、西田係長、下足痕は鑑識の方でも一致確認出来たみたいですね」
と竹下が二人の会話に入った。
「ああ、さっき聞いた。土はやっぱり科捜研で調べてもらう必要があるみたいだな。まあ仕方ないっちゃあ仕方ない。後は『果報は寝て待て』という心境だ」
とおどけて見せる西田。しかし、すぐに真顔になると、
「とにかく、カメラが見つかって本当に良かった。一ヶ月近く前にはまだ存在していたと思われましたが、その後処分されたんじゃないかと気が気じゃなかった。フィルムはなかったようですが、それについてはある程度は想定してましたから」
と言った。
「この事件を最初から追ってる遠軽のメンバーからすると、カメラの行方の意味は、応援に来た俺らが感じている以上のものがあるんだな」
と向坂がしみじみと言った。そして、
「そういう意味じゃ、俺の余計な一言が北川を刺激しなくて本当に良かった。若干気になっていたんだ」
と続けた。
「え? どういう意味ですか? 向坂さんと竹下が聞き込みの時点で北川と会っていたのは知ってますが」
西田が聞いた。
「ああ、あの『なんで専務が応対したんだ』みたいなことを、聞き込みに行った時に、北川に直接言った話のことですか?」
と竹下がフォローした。
「それ……。まさかあの時、北川が今回の事件のマル被になるとは思わなかったからな……。俺は8年前の失踪事件の絡みで、北川本人の関与とかではなく、ただ使いっぱしり的に探りに来たのかと思ったら、このありさまだ。おまけに8年前の事件にすら関係している公算が出てきたんだから、場合によっては失態になるところだった」
向坂の話を聞いても、腑に落ちない西田に竹下が、
「係長、北川に聞き込んだ時に、向坂さんが伊坂組の例の失踪事件を念頭に、『専務がわざわざ聞き込みに応対するなんて、会社が関与している疑いがある』みたいなニュアンスの話を振ったんですよ。いや、そう北川が取ったかどうかはわかりませんけどね。しかしもしそういう意味で理解したとすれば、吉見や米田の件で警察の手が迫っていると勘違いした北川が、色々隠滅行為をしても不思議じゃなかったって話ですよ。少なくともその発言の前までの余裕綽々の態度から見て、警察が迫っていると感じていたフシはなかったですが、あの言葉によって違う心証を持ったかもしれない。正直、俺も北川がマル秘になったと聞いたときには、向坂さんには言わなかったですけど、ちょっと嫌な予感がしたんですが、杞憂に終わって良かった」
と説明した。それを受けて、
「なるほど……。そんなことがあったんだ。申し訳ないが、もしそれが理由でカメラや靴が処分されていたら、俺は向坂さんを許しませんでしたよ」
と、西田は殴る真似をして笑った。しかしそう笑っていられるのも、結果的に北川が証拠隠滅をしなかったからこそであった。
「しかしカメラについては、どうも吉見の死からそんなに経たない間に譲られた可能性が高いから、ある意味良かったと」
と続けた西田。
「平尾がもらったのが良かったって?またどうして」
向坂が問いただした。
「実際はどうだかわかりませんが、証拠隠滅という意味ではなく、邪魔という意味で北川はカメラの扱いに困ってたんじゃないですか? 少なくともカメラについての興味は全くなかったようですし。かと言って、売るのも足が付くことぐらいは考えていたでしょうから。となると捨てるか、高そうだから、欲しい誰かにやるか。その平尾って人が貰わなかったら、捨てられていたかもしれない。そうなるとこっちはゴミ漁りするハメになったかもしれないですよ」
「なるほど。そういう意味では平尾が貰っておいてくれて助かったってことかもしれんな」
向坂はそう言うと、胸ポケットからタバコを取り出し火を付け、美味そうに一服した。西田も竹下もそれを見て、無意識にタバコを取り出したのは言うまでもなかった。
その後、1度目のガサ入れが無事済んだこともあり、全体的な成果の確認をするための捜査会議が午後7時から開かれ、押収したブツの中身や鑑定状況についての経過報告がなされた。各捜索担当ごとの押収証拠物件の情報は、会議の前から捜査員達にほぼ共有されていたこともあり、お互いに目新しい情報はなかったが、靴とカメラのそれぞれの任意提出までのやり口は、他の捜査員達からも絶賛されるものだった。勿論、刑事事件の手続きの原則を踏まえれば、到底正当なやり方ではなく、ただのグレーゾーンでしかなかったのだが、刑事に要求されるのはスマートな方法ではなく、犯人の検挙なのだという「常識」がそうさせたことは言うまでもなかろう。
本格的な北川の取調べのための捜査方針の設定は、刑事達の今日一日の疲労も考慮し、翌日の昼前から行われることになった。おそらく明日の午前中には、北見署交通課は北川を、飲酒運転と業務上過失傷害で釧路検察庁北見支部に送致するだろう。事件的にも北川が争う点はないようで、取調べも順調らしく、ここまではスムーズに行くと思われる。弁護士も争うより素直に認めたほうが良いとアドバイスした可能性が高い。人身事故も飲酒度合いも軽度だから、反省すれば執行猶予は当然付く内容だからだ。
そして送致後、24時間以内と言わず、かなり早い段階で北川の勾留請求が検察官より釧路地裁北見支部になされ、それもあっさりと認められるはずだ。そしてそこからが、「本件」事案としての捜査本部の取調べの始まりになる。
しかし、仮に取り調べが難航したとしても、今回の別件逮捕による家宅捜索で任意提出を受けた証拠物件を以って、おそらく裁判所により、少なくとも一連の本件事案の一つと言って良い、カメラの窃盗(吉見がその時点で生きていた場合)もしくは横領(吉見が死亡していた場合)という最低限の逮捕罪状が認められるだけの客観的事実は揃っていると思われた。だが、しばらくは別件の所轄である北見署での居候的な取調べとなるはずで、出来るだけ早い段階で本件事案での逮捕をし、遠軽署での取調べに移行したいと言うのが、西田の本音であった。また、後から裁判になった場合にも、別件での長期取調べは、その証拠能力を否定される可能性が出てくる恐れがあり、それも避ける必要があった。




