鳴動57
そして午後5時前には、役員室の捜索、押収も完了し、松田が到着する前に、全てを無事に終えることが出来た。カメラも無事押収出来たため、家宅捜索としてはほぼ満点の成果を挙げることができた。残念なのは工具関係の特定・押収が出来なかったことだが、これについてはある程度覚悟していたことでもあり、落胆するようなことではなかった。それ以上にカメラを押さえることが出来たことが大きかった。これについては重要性は勿論、押収できる確率は、必ずしも高いとは事前に思っていなかったからだ。倉野は伊坂組から立ち去る際、見送りに出た副社長に、
「今回はお会いできませんでしたが、弁護士さんによろしくお伝えください」
と勝利宣言とも取れる言葉を残した。副社長の顔は引きつっていたが、倉野の偽らざる気持ちがそうさせた。
北見方面本部に戻ると、向坂と竹下は急いでカメラを鑑識に持っていった。伊坂組を出発した時点で、吉見の遺体から採取した指紋と、今朝逮捕した後に採った北川の指紋を鑑識に用意しておくように言っておいたので、後は平尾の指紋を提出し、カメラに残っている指紋と比較するだけだ。勿論そこからすぐに識別できるかどうかは、また別の話ではあるが。
丁寧に指紋を調べる北見方面本部刑事部鑑識課主任、柴田の作業を見守る向坂と竹下。しかし、作業をひとまず終えた柴田から出た最初の一言は、予期せぬ言葉だった。
「困ったな。はっきりしたことはわからないが、少なくとも吉見ってガイシャの指紋は見当たらないね」
「ええ! どっかに残ってないのか?」
向坂が飛び掛らんばかりの勢いで柴田に迫りながら尋ねた。
「うーん、フィルムを入れるところもよく触るところだから調べてみたけど、吉見の指紋は確実にない。残っているのは吉見の蹄状紋ではなく、渦状紋しかない。北川と平尾は渦状紋だから、おそらくそいつらの両方か平尾のだろう。少なくとも平尾の指紋がついてないということは、状況から見てあり得ないからな。それにしても、もしこれが吉見の盗られたカメラだとすれば、多分、北川か平尾のどちらかがカメラを一度綺麗に拭き取ってるんじゃないだろうか? とにかく、指紋が誰のモノかは今から調べてみるけどさ」
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指紋が個人特定の材料として有力な証拠であることは、周知の通りだが、大きく分けて3種類ある。円形または渦巻状の線で構成されている「渦状紋」、右、もしくは左どちらかの方向に蹄の形をして流れている「蹄状紋」、弓やりになった線のみで構成されている「弓状紋」の3つである。日本人の多くが、渦状紋、蹄状紋であり、弓状紋は10%以下だと言われている。
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「それじゃあ困るんだよ。吉見の指紋が出てこないと。カメラの型番が一致してるだけじゃ弱いんだ!」
「向坂さん、少なくとも下足痕の一致する靴は押収してますし、その底に付着している土が現場と同じ成分なら、カメラは北川が持っていたことは平尾が証言出来ますから、吉見のカメラの型番、Nシステムの記録とそれらの状況証拠から、北川が吉見からカメラ盗ったことは証明できると思いますよ」
竹下は、そう言うと興奮気味の向坂を諌めた。
「それはそうだが、少なくともこのカメラが吉見本人のモノだと確定出来れば、北川を追い詰めるのに相当有利になるんだから。型番が一致するだけだと、言い逃れの材料が増える」
向坂の言っていることは一理あるが、おそらく、北川はカメラについてはどこかで拾ったという言い訳に徹するだろうし、勿論そんな言い訳はこちらには通用しないから、再逮捕には全く問題ないと竹下は考えていた。
しかし、そんなやりとりを聞いていないかのように、我関せずとカメラを色んな角度から更に調べていた柴田は、
「そうかそうか……。うっかりしてたが、カメラはレンズと分離するんだったな。そこは案外盲点かもしれん」
と呟くと、カメラ本体の前面にあるボタンを押しながらレンズを回転し、カメラ本体から外した。いつの間にか二人も黙って柴田の行動を注視していた。しばらくアルミ粉末を刷毛で振って指紋を調べていた柴田の動きが止まった。すると、
「おっと、出た出た! 蹄状紋。ほらこれ! やっぱりここまでは拭いてなかったか。綺麗にするために拭いていたのか、指紋を意図的に消すために拭いたのかしらんが、もし意図的だとすれば、ここまで頭が回らなかったんだろうな」
柴田が、取り外したレンズの、カメラ本体との接合部分にあたる金属のふちを指し、一人満足そうに言った。しかしそれだけでは二人には蹄状であるかどうか判断しかねる、部分的な指紋でしかなかった。警察官や刑事も指紋についての知識はあるのだが、さすがに鑑識レベルの鑑定能力はない。特に部分的な指紋の判断は年季のいる技術である。指している箇所を覗き込むように凝視している二人の様子を見ながら、
「とにかく、この先は慎重に鑑定しないといけないから、今日中にはちゃんとした結果出すのは不可能だわ。事件の概要を聞く限りは、ガイシャのもんだとは思うが、まだ断定は無理。後から連絡するから、戻っていいよ。多分明日にはスコップと一緒になんとか結果出せるとは思うけど。マル被の北川の車の方から出た指紋については、前(前歴)とか何かの事件と関係のあるものが出てこないか、さっき自動指紋識別システムに入れてみたが、特にヒットするようなものはなかったな。これは後で正確に報告書書いとくから。靴の方は既に下足痕の一致を確認した上で、土の成分調べるためにさっき科捜研に送ってある。そうそう、スコップに付着していた土も一緒にな。こっちは数日掛かると思う。車の指紋以外の遺留物なんかも同様だ」
と柴田は告げた。
「よし、わかった。そういうことなら退散することにしよう。良い連絡を待ってるからな!」
向坂は、吉見のものであるだろう指紋が発見されたので、少し安心したような素振りを見せ、そう言い残すと、竹下と共に鑑識係の部屋を後にした。




