鳴動16
「それはどういう経緯で?」
北村も再び話に加わった。
「話が長くなるんだがいいかい?」
そう言うと、田中は胸ポケットからタバコとライターを取り出し、火を付けてふーっと煙りをはき出すと喋りを再開した。
「俺は定年まで国鉄にずっと勤めていてね、保線畑で30年以上やってたんだ。元は陸別(陸別町のこと)で生まれたんだが、尋常小学校を卒業してから実業学校、あ、刑事さん方にはわからんか……。例えで言うと、今でいう専門学校みたいなもんなんだが、そこに進学して卒業してからしばらく、今で言う営林署に勤めた後、戦争に召集されて。色々酷い目にもあったが、結局運良くなんとか生き残って地元に戻ってきたんだ。で、しばらく家業の農家を手伝いながら暮らしてたんだが、大して金にもならない。そんな時に知人の紹介で昭和22年に国鉄に潜り込んで、保線の仕事に就いたのさぁ。ところが勤めだしてから2年ぐらいすると、JRに変わる時みたいに結構首切りがあってね。幸いなことに俺はそれを免れて、そのままずっと勤め上げることが出来た。戦争と言い、俺は運が良かったと思うべさ」
ここまで話し終えると、田中はタバコを灰皿に置き、おかきを湯飲みにチャッチャッと浸すと、それを頬ばった。西田も北村もそれを見ながら、話の続きを黙って待っていた。
「えっと、どこまで話したっけか? あ、勤めだした頃の話か・・・・・・。まあそんなこんなで俺は保線を北見の周りでずっとやってきたんだが、常紋辺りでも当然作業する時期があった。あんたがたも勿論知ってるだろうけど、あそこはタコ部屋労働でたくさんの死人が出た場所だから、当時から色々噂があってな。俺等の先輩方からも話を聞くし、俺も人魂みたいのを2度ほど見たりして、冷や汗流したこともあったべさ。特にトンネルの中で作業するときは何とも言えない気味の悪さがあったな。だからあそこの保線作業はみんな嫌がったんだ。だけど命令されたらやるしかねえべや。んで、俺も数年ずつ、何度かその担当保線区に勤めることがあった。で、国鉄の方も昭和35年ぐらいだったか、ちょっと前ぐらいだったけか、地元の人達の働きかけもあって、慰霊しようってことで、常紋トンネルのところに地蔵建てたんだべさ」
田中の話はおそらく、歓和地蔵尊のことを言っているのだと西田は思った。




