迷走77
西田の竹下への「疑惑」は、竹下自身が自分で説明しにくるという予期せぬ展開により解消することになり、西田は顔にこそ出さなかったが、内心はかなり安堵していた。ビールを飲み終え、次の缶に口をつけはじめた時、さっきの話を思い出した。
「そう言えば、竹下は大学時代剣道部だったのは聞いてたが、マスコミ研究会なんて、マスコミ志望だったのか?」
「恥ずかしながら。ただ、全部落ちましてね……。で、全く逆方向の警察に、剣道部のコネもあって行くことになってしまいまして」
勿論コネと言っても、試験に合格しないことには話にならないのだから、そこに不正はないが、マスコミ志望が警察に就職するなどというのは、まず聞かない話だ。
「だからどっちかというと、警察の古いやり方が嫌いなんだな、おまえは」
西田は竹下の価値観の理由がわかった。
「ばれちゃいましたか。そういうのは微妙にあるかもしれないですね。まあ向いてないんですかね、根っから」
「向いてないっちゃあ向いてないが、頭の良い奴が刑事やるのは、警察にとっても良いことだ。どっちかというと、体育会系の脳筋馬鹿が多い職場なのは事実だから」
西田は思い当たるフシが幾つも頭に浮かんでいた。
「実はね、さっきの五十嵐先輩から、昨年あたりに転職勧められたんですよ」
「え、転職だって!?」
向坂が言っていた、「竹下は警察を辞めるんじゃないか?」という話を思い出し、焦りを隠せなかった。
「そうなんですよ。道報が社会人から記者を募集してまして、『お前がその気なら、俺も推薦するぞ』と言ってくれまして。刑事出身なんてのは、サツ回りなんかでも絶対重宝されると太鼓判でして」
「それでどう思ったんだよ?」
「正直、ちょっと心が揺れましたよ。いや、今でも揺れてますね。マスコミに入れなかったから、警察を中から変えてやろうなんて大それたことを考えたこともありましたが、無茶な話ですから……。今回も痛感させられました。やはり限界なのかなって。このまま警察で一生終えるとなると、考えちゃいますよね」
「うーん……」
西田は二の句を継げなかった。優秀な部下を失うのは痛いが、一度の人生を充実させるのは本人の意志次第だ。
「あ、勿論今すぐ辞めるとかそういう次元じゃないんで。心配かけてスミマセン」
竹下は頭に手を置いて軽く会釈した。
「それならいいんだがな。せめて俺が遠軽に居る間は辞めないでくれよ」
西田は自分の用意していたつまみのピーナッツを竹下に勧めた。竹下は幾つかそれを頬張った後、思い出したかのように
「ところで、係長は明日休みですけど、札幌戻らないんですか? まあさっき電話した限り、遠軽署も記事の件で結構大変だったそうですから、間に合わなかったんでしょうけど、最悪夜行のオホーツクという手もあったと思いますが?」
と竹下が聞いてきた。
「俺もそのつもりだったんだが、こっちも大騒ぎになって疲れ果ててな……。夜行で帰って、またとんぼ返りってのはちょっと考えられなかった。帰ったところで寝に戻るようなもんだ。というわけで、明日も勤務だ」
「休みどころか勤務するんですか? そいつは間が悪かったですね」
「課長に今日帰る前に言っちゃったからなあ……。こういうのは刑事業にはつきものだ」
「でも今回は刑事業ってより、ただの雑務でしょ。捜査で帰れないとかならともかく、捜査に余裕が出来たのに、別の理由で帰れないってのは、こりゃあ運が悪いだけでしょ?」
少々酔いが回ってきたか、竹下の口調がいつもと違ってきた。
「まあな」
西田は適当に相槌を打った。その後もしばらく捜査の話から世間話まで適当に話していると、竹下は腕時計を確認した。
「あら、もう10時半か……。明日はお互いに仕事ありますから、そろそろ帰った方がいいですね」
残っていたビールを飲み干すと、飲み終えた缶ビールをコンビニのビニール袋にまとめる。
「新聞は確か取ってないんでしたっけ? じゃあ置いてきますから。鮭トバも食っちゃってください」
「そいつはスマンな。じゃあありがたく」
西田はビニール袋を流し台の下に仕舞うと、カバンを持って玄関にそそくさと向かった竹下の後を見送りに付いていった。
竹下が靴を履いていた時に
「あれ? そう言えば係長も俺に話があるとか言ってませんでしたっけ?」
と思い出したかのように喋りかけてきた。
西田は一瞬マズイと言う表情になったが、
「いや、まあそれはもういいよ」
と適当にあしらった。
「え、いいんですか? 係長が良いならこっちはいいですけど……」
怪訝な表情になった竹下だが、そのままドアノブに手を掛けた。
「ああ、そうか。解決したんですね、さっきの話で……」
ボソッと呟いた竹下に、西田は背筋に寒いものを感じた。「もしかして気付かれたのか?」と考えたが、今更確認するのも気が引けた。ただ、竹下ならさっきの態度で西田の考えていたことを察知しても不思議はないし、おそらくバレたなと覚悟を決めた。しかし竹下はそれ以上の「追及」はせず、話題を変えた。
「さっきの話、明日勤務するなら係長から課長に報告しといてもらえますか?」
「おまえが直接した方がいいんじゃないのか?」
「いや、面倒なんで、課長からお願いします」
「俺はまあ構わんが……」
「それじゃ、決まりですね。そういうわけで。お疲れ様でした。おやすみなさい」
「じゃあまた明日」
何もない風を装ったまま、西田は階段を降りていく竹下を見送った。




