epilogue:お兄さんといっしょ
暦では既に残暑を迎えた時期なのに、まだ真夏のような眩い朝日を思いっ切り部屋に流し込む。
「鈴ノ木さーん、朝ですよー」
「ぎゃっ!」
シャッと勢いをつけてパソコンデスクに面する窓のカーテンを開けば、差し込む朝日に浄化されたような吸血鬼の如き悲鳴を上げて鈴ノ木さんが椅子から転げ落ちた。
「もう、また仕事中に寝転けて。無理な姿勢は体に悪いって言ってるでしょ。寝るならベッドに移ってって何度言わせるの」
「ひぃちゃんがベッドにいたらすぐ行くよ」
「それじゃ仕事にならないでしょ」
まだ寝ぼけている鈴ノ木さんを洗面所に追いやり、彼の仕事机を見やる。案の定、原稿を開いたまま寝落ちたようで、パソコン上にはまるで初期のドラクエのセーブパスワードのような暗号が打ち出されていた。
「この調子で、また缶詰め勧告されなきゃいいけど」
その度に私と離れ離れが嫌だとごねているくせに、遅筆さが改善される事はないらしい。……人参を吊せば驚異的なスピードで締切前に原稿を上げて担当さんを泣いて喜ばせるのだけど、その方法は主に私の負担が大きいので使いたくはない。
「ところでひぃちゃん、今日は大学の方は大丈夫なの?」
「教授の都合で午前が空いたの。それで朝ご飯デートでもしようかと昨日メールをしましたがね」
「ん、そうだっけ?」
まあ、返信がなかったから仕事に向き合ってたか息抜き読書か資料研究をしてたかで気付いていなかったとは思ってはいたけどね。鈴ノ木さんは熱中するとなかなか外の音が入らないタイプだと知っているから、わざわざ合い鍵持参でお宅訪問をした訳だし。
――早いもので、鈴ノ木さんと付き合い始めて四年の月日が経つ。
私は大学四年生、鈴ノ木さんは本屋を辞めて作家業一本に絞るようになり、たまにテレビなどのメディアにも顔を出すようになっていた。最初、鈴ノ木さんに釣り合うだのなんだのうだうだ悩んでいた頃が嘘のように、今は同じマンション内で通い妻のような事もしている。既に親公認なので、母にはそのまま鈴ノ木さん宅に住んだらいいのにとさえ言われる。同じマンションだと思って、遠くに行かせるより安心らしい。学生らしい付き合いを望む娘とは正反対の母だ。
まあ、どうせいずれは家を出るので、学生の間は実家にいたいなぁと思う里心もある。
「ひぃちゃん?」
軽い支度を終えた鈴ノ木さんが呼び掛ける。呼び掛けながら腰に腕を絡めるのはご愛嬌だ。外でのカップル的ないちゃつきを私があまり好まない分、家の中での彼の甘えぶりはとても三十路とは思えない。いや、鈴ノ木さんの場合、年齢関係なくいつだって私の事を全力でちやほやしてくれるんだろうなと、この四年で十分実感してるんだけども。
「さて、鈴ノ木さん。私は和風定食がいいのだけど、ファミレスでもよろしい?」
「それよりもホテルの朝食ビュッフェにしない? それでそのままホテルの一室借りようよ」
「午後は講義があるしバイトもあるから却下」
「えー」
不服げな声を漏らすと鈴ノ木さんはぎゅっと抱きしめる腕に力を込めて、私を膝に乗せてベッドに腰を沈める。
「最近、ひぃちゃんと毎日会えないので色々不足してるんだけど」
「仕方ないでしょ。卒論にバイトもあるんだから」
「せめて家に帰って来たらいいのになぁ」
愚痴りながら唇が項をくすぐる。口調は甘える子供なのに、仕草に純情がないのがこの人らしい。
「……朝食デートは?」
「ファミレスでブランチにしない?」
その一言で、私はあっさりベッドに沈められた。
四年経っても鈴ノ木さんの私に注ぐ愛情は変わらない。いや、増しているのかも知れないけれど、私が制御しながら病的にならない程度に育んでいる。
ただ、依存性があるので、私の恋人は最初で最後はこの人だろう。
実は先日、宝石店に勤める松子さんから内緒で教えられた話がある。
『蓮路のやつ、生意気にもダイヤの指輪を買ったわよ』
――さて、私が鈴ノ木さんと呼べなくなる日もそろそろのようだ。
END
まずはここまで読んでいただきありがとうございます。
本作は、此処とは別の携帯サイトで長期に渡りだらだらと拍手機能内にて公開していたものと同作となっております。
オリンピック観戦中に連載中の作品の続きを書く集中力がなかったので、既に完結しているこの作品を再編して転載しているのでこちらでは更新速度が恐ろしく速いもの思われていますが、私自身は物凄い遅筆です。
ただ、自身でも意外なほどに読者様のウケがよろしいようなので、待たせずに結びに付けて結果オーライかなとも思えます。それとももう少しゆったりしたペースで長く付き合って貰った方が良かったのかな。
もうひとつ、別のお兄さんのスピンオフ作品もありますので、こちらも公開出来ればと考えておりますので、よろしければまたお付き合いをよろしくお願いします。
2012.8.3. 藤和葵




