第四十八話 過去とアリバイ
「旦那ぁ」
前からやって来た智蔵が、首を横に振りながら呼びかけて来た。
それを見た永岡は、みそのが善兵衛の店にも顔を出してないのだと理解し、自分も智蔵に首を横に振ってそれに応えた。
「ご苦労だったなぁ。こっちも未だ帰ってなかったぜぇ」
永岡は改めて智蔵に言うと、その代わりに河村源次郎と言う御庭番の男と、先ほど出会った話しをし、その際に上様直々の命で協力を要請され、みそのの事も御庭番の方で人を出し、代わりに捜してくれると言う事で、自分達は、探索に力を入れる様に促された事を伝えた。
「そんな事があったんでやすかぇ!?」
智蔵も、話しが将軍である吉宗から出ていると聞き、幾分声に力が入って聞き返した。
「あぁ、オイラも驚いたがな。しかしそれだけ話しが、大事になり兼ね無ぇって事よぅ。こりゃぁ益々しくじれねぇぜぇ」
「へい、その通りでぇ」
永岡は改めて自分に言い聞かせる様に応え、智蔵も力強く頷いた。
「しかし今日はこうなりやしたら、今から巳吉や、飯田ってぇ野郎の所へ向かったとこで、後手に回っちまうのがオチでやしょう。でやすから賭場の始まる時間まででも、みそのさんを捜しちゃぁ如何でやすかぇ?」
智蔵は御庭番から人員を割くとしても、直ぐにとは行かないので、今日のところは、もう少しみそのを捜す事を永岡に願った。
「智蔵の言う通りだな。まぁ、みそのを捜しながらでも、他に何か見つかるかも知れねぇしなぁ」
永岡も先だっての、自分が後手に回りっぱなしだった事を考えても、今日は割り切って、みそのの行方を優先に探索する事を決めた。
「そうと決まりゃぁ旦那。これから西海屋へ行って、由蔵に会ってみちゃぁ如何でやしょう?」
智蔵は勢い込んで永岡に提案する。
「ほぅ、そりゃぁ良いかも知れねぇなぁ」
「へい、公方様も公認の調べってぇなりゃぁ、そう簡単に旦那も蟄居なんてぇ、言い渡されたりしねぇんでやすし、すっとぼけて挨拶するふりでもして、由蔵の顔色でも見りゃぁ、みそのさんをどうにかしてやがったら、何か解るんじゃねぇかと思いやすしねぇ」
智蔵は、永岡の謹慎の心配が無くなったのだから、ここは様子を見がてら、西海屋に乗り込んでみようと思ったのだ。
「それじゃぁ、一丁やってみるとするかぇ?」
永岡の言葉で二人は頷き合い、西海屋へと向かうのであった。
*
「…上様、その様な次第で手の者を二、三、割きまして、みそのと言う女の探索に向かわせて居りまする」
源次郎は永岡との約束を律儀に守り、先ず城へ戻って探索の手配りをし、通春の居る尾張藩江戸中屋敷へと赴く前に、吉宗に報告を入れたところだった。
「そうか、みそのがのぅ…。良かろう。頼んだぞ、源次郎」
吉宗は文机で書物をしながら報告を聞き、暫く考えてから筆を置いて応えた。
「では、某はこれにてっ」
「ま、待てっ」
源次郎がいつもの様に部屋から消える前に、吉宗は源次郎を呼び止めた。
「源次郎、ちとこれへ」
「はっ」
「お主は覚えておるかのぅ。昔亡き新之助様とお主に、ワシが言ったあの事を」
吉宗は、新之助に助けられてから、暫くの間は記憶喪失のふりをしていたが、ある日思い切って、自分の出自を語った事があったのだ。
この源次郎は新之助付きの家来であった為、助けられた日にも一緒に居たのだ。
三人はいつも一緒に行動し、本物の新之助と入れ替わった時などは、源次郎が随分と働いたものなのだ。そして新之助の言葉通りに、新之助が暗殺された後も、影武者である新之助を助け、今まで忠義を尽くし、一緒に乗り越えて来た、言わば唯一秘密を知る同志であった。
そして自分が、未来からやって来た事を打ち明けた時も、この源次郎は一緒に居て聞いていたのだ。
「あの事と申されると…」
源次郎は訝し気に吉宗を見る。
「新之助様とお主は半分信じておらなんだが、ワシが未来から来たと言った事よ」
「あぁ、その様な話しをしていたやも知れませぬなぁ」
源次郎は過去を思い返す様に、懐かし気に目を瞑りながら頬を緩める。
「しかし、随分と昔の事を思い出されましたなぁ」
源次郎が心なし友を見る様な目で、吉宗を眺めた。
「お主もやはり信じておらぬ様じゃが、ワシは嘘は申しておらぬのじゃ」
源次郎が声も無く笑っている。
「もう良いわぃ」
吉宗は、昔も同じやり取りを繰り返した事を思い出し、源次郎と同じ様に声も無く笑った。
「しかし、これはお主とワシだけの話しとして、聞いて欲しいのじゃがな。あのみそのと言う女子も、ワシと同じ様な者なのじゃよ。まぁ、解らんと思うがのぅ」
源次郎はまた声も無く笑っている。
吉宗はどう説明しても、中々理解に難しい事は解ってはいたのだが、源次郎ならば、もう少し解ってくれると思っていただけに、思わず苦笑してしまう。
「まぁ、みそのが無事に見つかった時に、何処へ行ってたか周りに問われて、みそのが困っている様なれば、新之助に匿ってもらっていたのじゃと、お主から言ってやって欲しいのじゃ」
源次郎はまた訝し気に吉宗を見る。
「まぁ、良いわい。なればそうじゃな。今日は通春の所へは、永岡の密偵が探っているのじゃろうし、お主はみそのの家で、みそのが帰って来るのを見張って欲しいのじゃ。そして出来れば皆に知られる前に、みそのにはワシ、いや、新之助と一緒に居た事にする様、伝えてくれんかのぅ。お主もみそのを見張っておれば、その内ワシの言っておる事が解るじゃろう。とにかく、そうしてくれ」
最後は真剣な眼差しで源次郎に頼んだ。
「ははっ」
源次郎はいつもの様な忠義の士に戻り、吉宗からするすると後退ると、ふっと消える様に居なくなった。
「源次郎、秘密じゃぞぅ」
吉宗はぼそりと独り言ちると、久々に昔の事を思い出し、暫くその頃の思いに耽っていた。
*
「これはこれはお役人様、今日はどうかいたしましたでしょうか?」
永岡と智蔵が西海屋に入って行くと、手代らしき若い男が愛想よく近付いて来た。
「おぅ、忙しいところ悪りぃなぁ。ちょいと前に、オイラがこの店へ疑いをかけちまったからよぅ。そんなもんだから、今日は詫びにやって来たんだが、宗右衛門はいるかぇ? ーーあぁ、急に来ちまったんで、居ねぇなら番頭でもなんでも良いぜぇ」
永岡の言葉に、手代らしき若い男があたふた困っていると、
「旦那もせっかちなもんでね。お前さんも主人に叱られるといけねぇし、今日のところは、旦那のせっかちを収まらせる為にも、番頭さんで良いんで、取り次いでやっておくれな」
と、智蔵がすまなそうに手代へ助け船を出した。
「は、はぃ。で、では少しお待ちを」
手代は、イライラとした様子の永岡に怯えながら、その横で柔和な顔で頷く智蔵へ困り顔で言い、奥へと小走りで消えて行った。
「で、では、番頭さんがお会いになると言う事ですので、こちらへどうぞ」
程なく戻って来た手代が、永岡と智蔵を客間へと案内した。
「これはうちの者が気が効かず、申し訳ない事を致しました。今後は永岡様方がいらした折には、すぐさま客間へ通す様に申し付けておりますれば、どうかお許しを」
番頭の由蔵は、永岡と智蔵を上座へと座らせると、自分は下座から早々に言い訳をして頭を下げた。
「しかし今日は急のお越しで、如何なされたのでしょうか。先だっての詫びと申されても、手前共に詫びられる謂れはございませんに。本当に永岡様は面白いお方なのですねぇ」
由蔵は嫌味なまでに温和に話しながら、切り餅を一つ永岡の前に滑らせた。
「ほぅ、流石西海屋だ、豪勢だねぇ。やっぱり来て良かったなぁ。なぁ智蔵。ふふ」
切り餅一つは一分銀百枚。すなわち、二十五両分の一分銀を紙に包んだ物である。
永岡はそれを自然に懐へしまい、智蔵に笑いかけた。
「いえいえ、これからお世話になります、永岡様だからこその心付けですので、何卒これからも西海屋をご贔屓に」
由蔵は恭しく頭を下げた。
「あっ、そう言やぁ、今となっては聞かれても迷惑だろうが、ちょいと前に抜け荷をやらかして、最後は雇ってた用心棒に殺されちまった、清吉ってぇ野郎なんだがな。あいつぁ、ちょいちょいここへ出入りしてたみてぇじゃねぇかぇ。お前さんは、その事ぁ知ってるよなぁ?」
「あの折も、お役人様のお調べで申し上げましたが、手前共の不覚と申しますか、あの様な大それた事をする者だとは露知らず、あの者とは商いをさせて頂いておりました。金払いもよろしいお方でしたので、他のお客様と同じ様に商っておりましたが、お客様の荷を全て検める訳にも行かず、その事でしたらどうかお許しを」
由蔵が永岡の問いに、そつなく応えて頭を下げる。
「許すも許さねぇも、オイラが決める事じゃねぇし、その事ぁもう既に許されてるじゃねえかぇ?」
「はあ」
由蔵は頭を上げて永岡を見上げる。
「オイラが聞きてぇのは、そんな事じゃ無ぇのさぁ。その清吉が殺された蔵に、囚われてた奴がいたんだがな。そいつの行方が分からなくて、色々思い当たる所を探したんだが、見つからなくってよぉ。あの蔵の持ち主は確かここだと思い出してな? もしかしたら迷い混んでるかも知れねぇし、とにかく何か知らねぇかと思ってよぅ」
永岡は由蔵の顔を覗き込んだ。
「ちょっとお待ちくださいまし永岡様。確かにあの蔵は手前共の蔵ですが、貸し蔵として使用していて、あの清吉もそうですが、手前共とは無縁とまでは言いませんが、そこで起こった事は、預かり知らぬ事でございまして。ましてやその時囚われていた女子の事など、到底手前共の知るところではございません」
由蔵は先ほどからの温和な口調が、少し慌てる様にはなったが、冷静に永岡の言いがかりじみた問いに応えた。
「まぁ、オイラもそのくれぇ解ってらぁな。でもそんくれぇ藁をも掴みてぇ状況なのよ。勘弁してくんなぁ」
永岡は飄々と言って、智蔵を返り見て軽く頷くと、やおら立ち上がった。
「知らねぇで当たり前さぁね。今日は悪かったな。また協力してくんな」
そう言って永岡は、由蔵へ、宗右衛門によろしく伝えてくれと言い残し、意気揚々と店から出て行った。
「旦那、どうやらみそのさんは無事じゃねぇでやすかぇ?」
智蔵が店を出て少し歩いたところで、永岡に声をかけて来た。
「お前もそう思うかぇ? オイラもそう睨んでたぜぇ」
永岡も嬉しそうにニヤリと応える。
「あの由蔵の顔は、みそのさんがいなくなったなんて、知らねぇみてぇでやしたからねぇ。あっしは旦那が話している間、ずっと由蔵の目を見ていやしたから、間違ぇ無ぇと思いやすぜ。終始飄々と温和な感じに装ってやしたが、あん時だけ一瞬、『おやっ』ってなもんで、目が泳いでいやしたからねぇ」
「まぁそうだな。あの野郎も中々の役者だったが、どうしても目に出ちまうもんさなぁ。それにあの野郎、囚われてた奴って事しか言ってねぇのに、わざわざ手前で、囚われていた女子の事など知らねぇ、なんて墓穴掘りやがった、オマケ付きと来やがったぜぇ」
「そうでやしたね。手前で性別まで言いやがったら、知ってるって言ってる様なもんでやすからねぇ」
智蔵は可笑しそうに笑った。
「何れにしても、今のところぁみそのが無事だと判った様なもんだし、西海屋が抜け荷に関わっていたってぇ、証言みてぇなのも聞けた訳でぇ。オマケに小遣いまで貰っちまったからなぁ。智蔵、お前の言う通りにして大正解だぜぇ」
未確認だが、みそのへの不安が無くなり、永岡も随分と多弁になって来た様だ。
「未だ早ぇが、これから政五郎の所へ顔出してみるかぇ?」
「そうしやしょう。今の内に顔出して打ち合わせしちまえば、北山の旦那と伸哉が戻ってくる頃には、うちの店へ戻れやすぜ。そして、北山の旦那と伸哉の報告を聞いたら、旦那は弘次との繋ぎに行ってくだせぇよぅ。なぁに、今日のところぁ庄左衛門に博打させて、大負けさせるだけでさぁ。あっしらで十分手が足りやすから、そうしてくだせぇ」
智蔵だけは、弘次の名前も事情も知っている。
「しかし弘次も、未だ七面倒臭ぇ事ぁ言ってやがるんですねぇ」
「あぁ、彼奴らしいけどなぁ。もうちっと彼奴の好きにさせてやろうぜぇ」
永岡は智蔵に笑いかけて、智蔵の思いに胸が熱くなるのだった。
弘次が堅気になったそもそもの始まりは、一つの盗みからだった。
弘次は盗みには入るが、決して善良な者からは盗まず、悪どく稼ぐ輩からのみ盗み、しかも誰一人傷付ける事などしない、一人働きの盗人であった。そしてその盗んだ金で、金が無く困っている者には無料で診てやり、薬まで出してやると言う、町の者には有難い、奇特な町医者をやっていたのだ。
こちらが本業という訳なのだが、以前の弘次にはそんな二つの顔が有り、智蔵とも知らない仲ではなかったのだ。
その当時、智蔵とお藤には歳が行ってからの娘がいたのだが、産まれた時から身体が弱く、病気がちだった。
そしてある日、娘が風邪を拗らせて高熱を出してしまい、夜になっても中々熱も下がらず、悪くなる一方で、智蔵はいてもたってもいられずに、うなされる娘を抱いて、弘次の診療所まで駆けつけたのだが、間が悪い事に、丁度その日、弘次はもう一つのお務めである盗みに出ていて、智蔵の娘を診てやれなかったのだ。
元々身体が弱い事も有ったが、翌朝弘次が駆けつけた時には、もう既に危篤状態で成す術が無く、智蔵の未だ四歳になったばかりの娘は、呆気なく亡くなってしまったのだ。
弘次は、元々は人を助ける為に始めたとは言え、盗みの為に子供の命を助けられなかった事を悔い、そもそもの考えが間違えだったのだと、それを機に盗みを辞め、永岡の所へ自首して来たのだった。
そして永岡は全ての話しを聞いた上、弘次をお縄にはせずに、心を入れ替えて医者を続ける様に言って、解き放ったのだった。
しかし弘次は、自分が智蔵の娘を死なせたと言う思いが強く、永岡には医者を続ける様に言われたが、それからは医者からも足を洗い、人足仕事等をしながら、時折永岡の手伝いをする様になっていたのだ。
永岡と智蔵が当時の思いに耽っていると、棒切れを持った四、五歳の子供たちが、丁度通りに飛び出して来て、危うく智蔵にぶつかりそうになった。
「もう八年でやすぜぇ。旦那の方からも、あっしが良い加減にしねぇかって、言ってやがったって伝えておくんなせぇよ。何よりお藤だって同じ思いでさぁ」
智蔵は、元気に走って行く子供たちの姿を見ながら、目を細めて言うのであった。




