火星年代記⑭
群れを形成した捕食者たちが進化の主役となってから、さらに数百万年が経過した。
火星の環境は変わり続け、今や大気圧は30mbar前後、地表温度は昼25℃、夜−90℃という極端な世界となっていた。だが、その過酷さは、生命を縮めるどころか、逆にある方向へと押し上げた。大型化である。
火星の低重力(地球の0.38倍)は、本来なら巨大化に適した環境だった。しかし水の不足はその進化を長く阻んできた。群れという形で水分を共有し、効率的に捕食できるようになったことで、ついに大型化に挑む“余裕”が生まれたのだ。
火星の大地には、ゆっくりとだが確実に、巨大な影が歩き始めていた。
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大型化の第一段階は“体積の増加”ではなく“表面積の増加”だった。
火星の薄い大気では体温保持が難しく、冷えすぎれば活動が停止してしまう。そこで捕食者たちは、体表に微細な鱗片状構造を発達させ、それを立てたり寝かせたりして熱の出入りを調整する“体温制御膜”を獲得した。
この膜構造は直径0.2mmほどの薄片で、表面にはシリカと鉄の微粒子が並んでいた。太陽光を受ければ吸収し、体を温める。夜になれば反射率を上げ、放射冷却を防ぐ。こうした仕組みが発達することで、体の大型化が可能になった。
ここから生まれたのが“半甲皮型捕食者”である。体長は平均20cm。まだ小型ではあるが、過去の群体に比べれば圧倒的に大きかった。
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第二段階は“脚”の強化だった。
突起から進化した脚部は組織化され、三点支持で体を支えるようになった。筋肉に相当する組織は「熱応答繊維」で、温度差により収縮・弛緩を繰り返す。
昼と夜の気温差は110℃近くにも達したため、この“温度筋肉”は毎日強制的に鍛えられた。結果として脚は太く、強くなり、個体は地表を跳ねるように移動できるようになった。
この時期の火星を歩く姿は、まるで赤い砂漠を行進する多数の小さな影だった。歩幅は一回の跳躍で5〜7cm。これでも火星の大地では十分だった。
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そして、第三段階でついに大型化は加速する。
群れが大規模化したことで、捕食効率が飛躍的に上昇し、個体は成長期に安定して栄養を摂取できた。最終的な体長は50cmから70cmにまで到達する。最大級の個体は1mを超えた。
彼らは火星最初の“巨獣”となった。
獲物となるのは、依然として植物型・半移動型の群体である。しかし大型捕食者は、ただ獲物を食うだけの存在ではなかった。彼らは火星の生態系そのものを再編成する力を持ち始めた。
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大型捕食者の出現により、火星の生態系には次の三つの変化が生じた。
・弱い群体は地下へ潜り、地中植物型が増加
・移動速度の遅い半移動型は、毒素を持つ方向へ進化
・捕食者同士の縄張りが発生し、社会構造が強化
特に縄張り意識の発達は重要だった。大型捕食者は、特定の谷、盆地、岩陰などを自分の領域として“マーキング”する行動を取った。マーキング物質はアルカリ性の分泌液で、揮発性が低く、長期間残る。この分泌は攻撃の合図でもあり、繁殖期の情報でもあった。
こうして、捕食者たちは互いに距離を保ちながら生きる社会を形成し始めた。
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縄張り社会が成立すると、次に起きたのは“儀式行動の誕生”だった。
戦いはコストが高すぎるため、直接の殺し合いは避けられた。そこで彼らは、体を膨らませたり、体温制御膜を立てて光を反射させたりして“威嚇する”ことで争いを回避するようになった。
火星の夕日が赤紫に染まる頃、二体の大型捕食者が向かい合い、静かに体を輝かせる。膜片が光を散乱させ、虹色の光帯が風に揺れた。やがて一方が体を縮め、退く。これが戦いの終わりである。
この“光による儀式”は、火星生命の感覚進化に大きな影響を与えた。
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大型捕食者の中には、群れを維持したまま成長した個体群も存在した。この群れは“複合群体”と呼ばれ、6〜12体がゆるく連携しながら移動する。
・前衛個体は獲物を探す
・中衛は幼体を守る
・後衛は危険を察知する
この分業によって、群れの生存率は個体単独の4倍にまで上昇した。
火星の大地における社会性は、この時点で最も高度な段階へと到達したとされる。
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この時代の火星を俯瞰すると、まるで小さな恐竜たちが砂漠を歩き回っているようだった。赤い砂の上には無数の足跡が交差し、岩陰には縄張りの印が刻まれていた。群れは日中の熱を避け、夕暮れに活動し、夜は互いの体温を寄せ合って耐えた。
そして、夜明け前の薄明かりのもと、群れの影は再び動き出した。彼らは火星において、生命の歴史を新たな段階へと押し上げた存在だった。
社会性を持ち、儀式を持ち、共同で生きる巨獣。
彼らの存在が、後に火星で“知性”が生まれる基盤となる。




