火星年代記⑬
捕食が始まってからさらに数百万年が過ぎた。
火星の環境はますます過酷になり、大気はついに40mbarを割り込み、水蒸気量は地球の砂漠の1000分の1にまで減少した。砂嵐は頻度を増し、1年の半分は薄赤い空を塵が覆った。そのような世界では、個体が単独で生きられる時間は短かった。捕食型プラーニャは、単独行動をとる限り、十分な栄養に巡り合う前に乾燥して死ぬことが増えていった。その生存率は20%以下に低下していた。
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最初の変化は“待ち伏せ行動”に起きた。
捕食型の一部は、砂丘の影に潜み、風に吹かれて飛ばされてくる死骸や弱った個体を狙っていた。しかし、その地点は限られていた。湿度がわずかに高い岩陰、砂嵐が作る渦の出口、霜が残りやすい盆地の縁。これらの“餌が現れやすい場所”に複数の捕食型が同時に集まる現象が観測されるようになった。
最初は偶然だった。しかし偶然は積み重なると意味を帯びる。
同じ場所に集まった個体は、互いに干渉し合い、行動リズムが同期し始めた。捕食型プラーニャは捕食の瞬間に特殊な揮発性分子を放出する習性があった。それは獲物の有機物を分解する酵素に由来する微弱な化学物質で、近くの個体もそれを感知できた。
この化学物質こそが、後に火星で“最初の言語”と呼ばれるものになる。
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化学物質を感知した別の捕食者は、周囲の探索行動を強めた。結果的に、群れで獲物へ向かう“半協調行動”が自然発生した。この行動は、獲物を取り逃す確率を半分に減らし、一度の捕食で生存できる期間を数日延ばした。
生存率は20%から40%へ上昇した。
この数字の跳ね上がりこそが、群れの進化を決定づけた。
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群れを形成した捕食型は、次第に役割の違いを生み始める。
・先頭で獲物を探す“探索個体”
・獲物の逃げ道を塞ぐ“遮断個体”
・死骸の分解液を集める“処理個体”
これらはまだ意図的な分業ではなく、単に体質の違いが行動パターンとして現れたにすぎなかった。しかし、その違いが群れ全体の効率を押し上げ、結果として群れを維持する方向へ選択圧がかかった。
群れのサイズは平均4〜7体。
最大で12体にもなる“拡大型群体”は、火星の乾燥地帯の捕獲率を2倍に高めた。
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火星の環境変動はさらに群れの発達を後押しした。
ある時期には巨大砂嵐が0.8火星年(約15か月)も続き、太陽光はほとんど遮断された。この期間、単独捕食者はほぼ絶滅した。餌を探す速度も行動範囲も足りなかったためだ。一方、群れを形成していた捕食者は、メンバーの誰かが見つけた微小な有機物を共有できたことで、乾燥期を乗り越えた。
火星の自然はこの選択を容赦なく繰り返し、群れの文化を遺伝子レベルで固定していった。
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やがて、群れには“合図”が明確に成立するようになる。
それは化学物質による信号で、濃度と組成で意味を区別していた。
火星における最初の化学言語は次の三種である。
・A信号:獲物発見(低分子・高揮発)
・B信号:危険(酸性濃度の高い物質)
・C信号:集合(重分子で揮発しにくい物質)
これらの合図は、まだ意図的に発されてはいなかった。捕食・逃走・移動のたびに分泌される“行動副産物”に過ぎなかったが、周囲の個体がそれを利用するようになったことで、結果として“情報の共有”が始まった。
この段階を、火星生物学では「準社会期」と呼ぶ。
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準社会期の中期、群れの中に“中心個体”が現れるようになった。
中心個体は体内の水保持量が多く、乾燥への耐性が高いため、行動時間が長かった。その結果、中心個体は自然と“先導役”となり、移動ルートを決める存在となった。中心個体の放つC信号は特に長時間残り、群れ全体がそれを追うようになった。
この構造は、後の“原初的な社会秩序”の萌芽である。
中心個体が死ぬと群れは散り散りになったが、残った個体たちの中で最も水を保持する能力の高い者が新たな中心となり、次世代へと秩序は受け継がれた。
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この時代の火星は、まさに生命が社会性を身につけ始めた黎明期だった。群れは情報を共有し、役割を分け、環境を共同で乗り越えた。弱点を補い合い、強みを増幅させて進化するという“社会の原型”が形を成した。
捕食から始まった行動が、やがて群れと秩序を生み、火星生命の新しい道を作り上げた。
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群れを成した捕食者たちは、今や火星の大地で最も適応した存在となりつつあった。次の進化は必然だった。
──彼らは、さらに大きくなり始める。
火星という低重力の世界は、大型化に適していた。水不足は成長を阻んだが、群れでの共有によってその制約すら薄れていく。
こうして火星には、新しい巨影がゆっくりと歩き始めることになる。
それはもう、原始的な群れの影ではない。
“社会を持つ動物”への確かな一歩だった。




