火星年代記⑪
火星の太陽は地球の半分以下の光度しかなかった。それでも、生命にとって光の方向は生存を示す唯一の指針であり、乾いた大地を移動する探索型群体は、その弱い光を頼りに生き延びていた。突起はすでに単なる吸水器官ではなく、地表を押し出すための“支点”へと進化しており、昼夜の温度差による屈伸は一周期につき十数センチの移動を可能にした。群体は数十年で火星の盆地へ到達し、そこに存在する薄いながらも安定した霜の供給に頼るようになった。しかし盆地には同じように水を求める生命が密集し、過酷な資源競争が始まった。
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突起は次第に役割を分け始めた。
片方は太くなり体を支え、もう片方は表面積を拡張し霜の分布を探る感覚器官となった。
この二分化は生命進化の重大な転換点であり、支える突起は“足”の原型へと変わり、感覚の突起は“触角”の萌芽となった。突起の伸縮力は依然として0.5〜0.7ミリニュートンと非常に小さかったが、火星の低重力がそれを補い、数グラムの群体を十分持ち上げることができた。
こうして赤い地表に、小さな影が確かな軌跡を刻み始めた。
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時期としては約35億年前。
火星は急速に大気を失い、圧力は80mbar前後にまで低下していた。
水は瞬時に昇華し、地表から姿を消しつつあった。生命は根を張るか、移動するか、あるいはさらに強い運動能力を獲得するかの三択を迫られ、探索型群体は三つ目の選択肢――運動能力の獲得――を選んだ。突起の付け根では、昼に柔らかく夜に硬くなる細胞層が規則的に並ぶという特異な変化が起きていた。
この“硬さの交代”がのちに関節として働き、体を前方に押し出す力となった。移動速度は1日あたり20〜25cmとなり、火星では驚異的な速度であった。
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進化はさらに加速した。
群体は単細胞集合を越え、体長5〜12cmの“個体生物”へ移行していった。柔らかい外皮を持ち、前方には触角、後方には二本の脚、中央には0.3〜0.5mLもの水を貯留する器官が発達した。この器官は数十時間の乾燥に耐えることを可能にし、火星の環境に対する大きな生存戦略となった。 触角同士が触れ合う時に化学信号を交換し、数十個体の群れとして行動していた。
これらを火星初代動物「プラーニャ(Prānya:動く者)」と呼ぶ。
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プラーニャの一部には、突起を急激に屈伸させる系統が現れた。内部圧力器官が昼間に膨張し、夜間に急速に縮む反応が強まり、突起に瞬間的な力を発生させたのである。その力は約2〜3ミリニュートン。火星の重力では体高の5〜10倍の高さを跳躍できる計算になり、彼らは霜の残る小窪地にいち早く到達する優位性を得た。この瞬間、火星の生命史は“静”から“動”へと転換した。
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火星はますます乾燥し、大気は薄れ、砂嵐が太陽を覆い隠すほどの規模で吹き荒れていた。だが生命は多様化し続けた。跳躍を主とする系統、安定した歩行を磨く系統、触角を伸ばし環境把握を強化する系統、そして体内の水分保持能力を極限まで高める系統――すでに古代の同じ群体の面影はなかった。生命は確かに“動物”へと進化しつつあり、火星の大地に新たな生態が芽生え始めたのである。
赤い塵が舞う大地、薄い青紫の空。地下では氷が軋み、地表には黒い影がゆっくりと進む。火星は乾き、冷え、静まり返っていったが、生命だけは前進をやめなかった。やがて探索型の系統は火星初の“明確な動物”へと進化していく。それはまだ先の物語である。




