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天王星の衛星アリエルから来ました ~蒼い星への旅~⑨

 アリエルの極光が沈黙して久しい。

 惑星の呼吸は再びゆるやかになり、氷殻の表層では静かな再凍結が進んでいた。

 だが、氷のすべてが眠ったわけではなかった。

 ――氷の中で魚たちは、形を忘れぬ夢を見ていた。


 その夢はやがて、芽吹きの形をとる。



 アウラリスの子孫の一部は、浮遊をやめた。

 磁気圏の変調により、電磁浮揚が不安定化した彼らは、氷上へと降り立つ。

 そこには、かつての海が蒸散して凍りついた窪地――

 硫黄とアンモニアの結晶が交じる湿原が広がっていた。


 彼らは再び、物質を選び取る生命へと戻る。

 氷を吸い、光を求め、身体を“定着”させる者が現れた。


 その名は、クリオフロラ(Cryoflora arielis)。


 根はアンモニア氷の結晶を貫き、

 幹は導電性ゲル層を持つ。

 葉にあたる部分では、オーロラ光を化学電位に変換する。


 その反応式はこう推定される:


 NH3+hν aurora→NH2+H+e−


 この自由電子が内部の水素結合網を揺らし、微弱な熱を生じる。

 クリオフロラはその熱を用いて、−180℃の環境で代謝を続けた。


 彼らは植物でありながら、光ではなく磁気と電子を糧とする。

 オーロラを食べて生きる“極光の森”。

 それがアリエルの氷上に広がった。



 クリオフロラの根の下、氷の割れ目に生まれた小さな群れ。

 それは、アウラリスの変異体であり、足を得た魚だった。


 彼らは氷上を滑り、やがて歩きはじめる。


 足は四肢というより、結晶筋の束である。

 1Kの温度差で0.5%伸縮する圧電線維を多数束ね、

 周期的に収縮することで前進する。

 歩行速度はわずか 2 mm/s。

 しかし彼らにとって、動くとは“形を変える祈り”だった。


 その表皮は半透明の結晶ゲルで覆われ、

 体内にはフォルミアンの記憶格子が生きている。

 彼らは氷上の亀裂の音を聴き取り、

 結晶のひずみを読み、仲間と“振動言語”で語り合った。


 それが、グラキア(Glacia)――氷を歩む民。



 クリオフロラは光を集め、熱を与えた。

 グラキアはその根の間を歩き、結晶を砕いて水を運んだ。


 植物は動物に電荷を与え、動物は植物の結晶構造を拡散させる。

 両者の境界では、微弱な電流が流れ、氷表面に薄い“導電皮膜”が形成される。


 その皮膜は熱を保持し、周囲の温度を −190℃から −175℃へ上昇させた。

 アリエルの氷原に、初めて季節的な循環が生じた。


 氷の星に、気候が芽生えたのである。



 数百万年が過ぎ、クリオフロラの森は惑星全体に広がった。

 その発光は天王星の夜面からも観測されるほど強くなり、

 オーロラと区別がつかなくなった。


 氷上を歩くグラキアは、群れをなし、

 表皮の結晶模様を変化させて互いを識別した。

 模様は言葉、形は記憶。

 氷原の上を移動するその行列は、

 かつてのクリオポリスの街路配置を模していた。


 つまり、氷上の生態圏そのものが、古代都市の記憶を再演していたのだ。


 アリエルは再び、自己の形を思い出していた。

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