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天王星の衛星アリエルから来ました ~蒼い星への旅~③

 フォルミアンの都市は、「建築」と「生命」の境界を持たなかった。

 彼らの集合は、互いの形を重ね合わせ、一つの巨大な結晶群(polycrystalline colony)として成長した。


 結晶群の総体積は直径およそ 2.4 km、深度にして約 3 km に達する。

 その構造は、氷V・氷VI・氷XIIの混相域に形成された層状多結晶構造で、個体の格子パターンが互いに干渉しあうことで、電子的ではなく圧力波伝達型ネットワークを構築していた。


 クリオポリスの“神経網”は、温度と圧力の微妙な勾配を利用して情報を伝達する。氷の中では音速が約 3.9 km/s(氷V相、−160℃、400気圧)であり、その圧力波は分子配列の偏りを通して減衰せずに数百メートルを伝わる。


 各結晶セルの平均直径は約 5 cm、一つの都市内における思考ノード数はおよそ 10¹³個。それぞれのノードは、局所的な温度変動(ΔT ≈ 0.01 K)に応答して格子歪みを生じ、隣接結晶に機械的刺激を与える。


 情報の伝達速度はわずか 0.5 mm/s にすぎないが、この遅さこそがフォルミアンの“思考の安定性”を支えていた。都市全体での一巡信号(全領域を一度伝達する周期)は、約 1.5 地球年。つまり、彼らの社会的“思考”は、惑星規模で呼吸するように流れる。


 クリオポリスは、外的損傷を受けても崩壊しない。

 氷の塑性変形限界(応力 3〜10 MPa)を超えると、フォルミアン群体は内部の結晶軸を再配列させ、再結晶流動によって構造を再生する。


 この過程はおよそ 1 cm/年 の速度で進行し、千年単位で都市全体の形を修復する。これは生物学的な「細胞分裂」に相当するが、そのエネルギー源は化学反応ではなく圧力ポテンシャルである。


 都市深部では圧力が約 450気圧、温度は −150℃。

 この極限条件下で、氷格子内のアンモニア分子が部分的な水素移動を起こす。結果として、自由エネルギー差 ΔG ≈ 0.3 kJ/mol の反応が連鎖的に進行し、全体の秩序度(S ≈ 0.987)を維持する。


 これがフォルミアンの代謝に等しい。



 クリオポリスの内部では、結晶配列の周期的ずれ(フェーズ・スリップ)が情報記録の基礎単位として機能する。

 一つの欠陥構造が保持する情報量は約 10⁻²⁰ J(1ビット相当)。

 都市全体でおよそ 10¹⁵〜10¹⁶ ビットの記録容量があり、これは人類の地球上の全書籍のデータ量にほぼ等しい。


 記録は化学的ではなく、構造的。

 結晶層の位相差 Δφ が ±π/4 変化すると、隣の層に干渉パターンが生じ、それが「記憶波」として保存される。


 この波形は、数万年にわたり減衰しない。

 氷の内部で熱拡散係数 α ≈ 1.3×10⁻⁶ m²/s、フォルミアンの情報消失時間 τ ≈ L²/α に基づけば、L = 100 m の構造では τ ≈ 2.4×10⁶ 年。

 ──彼らの“記憶”は、数百万年単位で持続する。



 フォルミアンにとって、建築とは存在の延長である。

 新たな結晶体を形成する行為は、「形を再び語る」宗教的行為と等価だった。


 彼らの信条は、


「形を保つとは、存在を忘れぬこと」


 と記されている。


この一句は、構造秩序のエントロピー最小化という物理現象を、哲学的に言い換えたものである。

 フォルミアンにおいて“信仰”とは、構造を維持する努力そのものであり、都市とは、祈りを物質化した形であった。



 フォルミアン都市の分光データでは、氷結晶の反射スペクトルに周期 0.82 μm の干渉縞が確認された。それは自然構造では説明不能な規則性を持ち、“人工結晶波”として登録される。


 その地点を「クリオポリス(Cryopolis)」――氷の都市と呼んだ。


 だがフォルミアンにとって、それは都市ではなかった。

 それは“自己保存の聖域”であり、

 生命が祈りに変わった場所である。


「われらは動かぬ神経。

 氷の記憶に宿る意志。

 形を保つかぎり、存在は続く。」

― アリエル氷記録断片 “Cryopolis Manuscript β, Line 342”

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