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君は群青  作者: 猫ざらし
6/6

5日目 君と群青②

「何作ってるの?」

「かい」

 かい、櫂、ああオールね。

 蓮の言葉に、少しの間を置いて頷く。 

「行くの?」

「うん」

 蓮は木の棒の先端に、まな板のような木の板をくくりつけていた。これでボートを漕ぐつもりなのだろう。

「隣の島まで行けるといいね」

「うん」

 蓮は今朝から無口だった。その原因は自分にあった。

 蓮がずっと探していた、無人島からの脱出手段。それを、一緒に過ごしていた私はずっと隠していたのだ。

 怒っても当然なのに、蓮は怒ることもなく。時折戸惑ったような表情を見せては、何かを飲み込むように押し黙っていた。

 そんな所もお母さんに似ているなと、他人事のように眺める。

「蓮はさ、戻ったら何かやりたいことある?」

「…………寿司。」

「寿司ねぇ。毎日魚だったのに、そこ肉じゃないんだ」

「約束したから。」

 蓮は顔を上げないまま。だけど、強情さのようなものが顔を見せている。

 約束ね、したね。醤油買ってこないとね。昨日のことなのに、遠い昔のことのようだった。

「刺身がお寿司に進化しとる。」

「酢飯も持ってこよう。」

 蓮なりの冗談なのだろう。冗談なんて言う子だったっけ。考えて、止める。

 一緒に過ごしている間に、蓮のことがわからなくなっていた。

 不思議だった。頼り甲斐があるのに、自信はなくって。口ではどうでもいいと言っているのに、全然どうでもなさそうな顔をするのだ。

 私とは真逆だ。

 手持ち無沙汰に、波打ち際で砂の家を作る。だけどすぐに波に流されてしまったので、諦めた。諦めて、足で水面をちゃぷちゃぷ撫でながら、ただ蓮を眺める。

 私はやっぱり、蓮のようにはなれない。

 蓮は私よりも細いのに、ずっと重量を持って、確かにそこに存在している。重力がある。

 蓮のように、必死になって自分の居場所を求めるような情熱は、どうやっても湧き出てこなかった。

 消えてしまいたいと、あの時蓮を追いかけて海に飛び込んだ時の渇望は、今も心の底に渦巻いているのだ。

 板を紐で括る蓮の指先に、お風呂の中で触れた感触が蘇る。ぬるいお湯の中で触れた肌は、体温が溶けていくように新鮮なものだった。

 思えば、クラスの人なんてもはや一人も思い出せないくらいに、色濃い数日間だった。

 面倒くさいことを最大の敵としている私にとって、無人島生活なんて一日も持たない。多分、数日以内に死ぬだろう。

 そう思っていたのに。

 今もこうして海を眺めているのは、間違いなく蓮のおかげだ。

 蓮でなければ、そうはならなかった気がして。だけど、消えてなくなりたい気持ちは、より大きな質量を伴って私の心を満たしていた。

 あの雨の中の蓮の叫びが、今も耳の奥で脳を揺らす。消化不良の何かが胃の中で横たわっているように、胸の辺りがざわめく。

 だからなんだという話なのだけれど。



* * *



 数時間ほどで、立派な櫂が完成した。ちゃんと二本あるので、午後の潮の流れに乗れば、隣の島まで着けるだろう。

「いやぁ最後のお昼ご飯ですなぁ」

「………………。」

 蓮は何も言わず、塩焼きの魚を黙々と食べていた。何を考えているのだろう。やっと帰れるのだという喜びとは、無縁そうな表情だった。

 海の方を眺める。砂浜に停泊したボートが、旅立ちを待つようにこちらを見ている。

 あれに乗って蓮はきょう、島を出る。

「…………美月も、一緒に行くよね?」

 縋るような目だった。「本当に再婚していいのか」とお母さんに聞かれたときと同じだな、なんて。蓮の知りえない情景と重ねる。

 どうしてみんな、私に何かを求めるんだろう。私を一人にしてくれないのだろう。

 蓮と過ごした日々は、楽しいものだった。違う形で出会えていたら、もっと仲良くなれていたかもしれない。私の性格も、ここまで拗れていなかっただろう。

 だけど、そうはならなかった。

 結局私は、離れていく友達に伝える言葉なんて、いつまでも持ち合わせていないのだ。

「私は行かないよ」

 泣くかな、と思った。案外、蓮は泣き虫なのだ。それもこの数日間で知ったことだった。

 だけど蓮は、何も言わなかった。泣くこともなく、海を眺めていた。

 釣られて私も、海を見る。波間に白波が浮かんでは消えた。毎日見ているのに飽きないものだ。甲板で見る海とは、何が違うのだろう。答えは分からないまま。

 どれくらい時間が経ったか。海鳥の鳴き声に釣られるように、蓮が口を開いた。

「……じゃあ、私も残る」

「え」

 その回答は予想外だった。

「どうして?」

 純粋な疑問。いやいや、あんなに帰りたいと言っていたじゃないか。

「私には、美月を無事に送り届ける責任があるから」

 ああ、私が飛び込んだことを自分のせいだと思っているのか。と、納得する。やっぱり蓮は責任感が強い。

 だけどそれは、蓮のせいではない。私が自分の欲望に従っただけなのだ。むしろ蓮は巻き込まれた方で。

「違うよ蓮、私は」

「ん」

 ぶっきらぼうに、蓮が何かを突き出す。紙切れのようなものだった。こんなものいつの間に見つけてきたのだろうか。

「ん」

 中々受け取らない私に、もう一度突き出した。

 昔見たアニメに、こんなキャラクターいたなぁ。確か、好きな子に傘を渡す男の子だった。なんて呑気に思いながら、突き出されたから受け取って。ただ珍しい漂着物を渡してきたわけではないことを知る。

「え、うま」

 手のひらほどの紙に描かれていたのは、私の横顔。

 釣りをしているときの、横顔だった。

「蓮が描いたの?」

「……………………。」

 また黙ってしまった。

 やっぱり蓮がわからない。これが蓮が無人島に残ることと、何の関係があるのか。

「えっと、ありがとう……?」

 上手いし中々似ているし、とりあえずお礼を言う。友人から肖像画を描いてもらうなんて、滅多にない機会だし。

「いつ描いたの?」

「夜。美月が寝てる間。」

 ということはつまり、蓮は寝ている間の私の顔を、さぞまじまじと見ていたのであろう。

「なかなか照れるねえ」

 いびきとかかいていなかっただろうか。そんなことばかりが気になる。

「まぁ冗談はさておき、さ」

 さておき。素敵な似顔絵はありがたくいただくとして。

「蓮も残るって、どういうこっちゃ?」

「美月の寝顔を毎晩見てた」

 これ以外にも、蓮の作品があるのだろうか。私の貝殻コレクションと交換すれば貰えるのかなぁ、なんて。

「何かそれでひらめきがあったの?」

「あった」

「まじか」

 どんな寝顔で寝てたんだ、私は。

「美月のことが、苦手だった。」

 黙って話を聞く。

「この島についた時、一人だったらよかったのにって、何回も思った。」

 蓮は海を眺めている。だけどその紺青は、ずっと遠くを見ているようだった。

「一人でいるのに、何の不満もなかったから。顔色を気にする必要もないし、振り回されないし。付き合いなんて、ない方がいい。一人の方が、ずっと楽だって」

 それはきっと、この島に漂流する前の蓮のことでもあるのだろう。

 一人甲板の隅で縮こまって、睨むように海を見ていた姿を思い出す。

「だけど、美月は自分勝手で。ヨモギは食べないし、勝手にお風呂つくるし、釣りはうまいし、」

 蓮の声が、だんだんと掠れる。僅かに、震えを帯びていた。

「毎日混乱して、自分が嫌になって、苦しくなって……けど。だけど、」

 蓮の言葉が、頭の中を跳ね回っていた。

 遥か向こうを追いかけていた蓮の瞳は、今は真っ直ぐと私を見つめていて。

「美月といたい。帰らなくっても、一緒にいたい。そう思った」

 それは、一緒に帰ろうと言われるよりも、厄介なものだった。

 蓮の言葉の重さは、私が持ち得ないものだから。それを否定できるようなものは、空っぽの私の中にはないのだ。

 やっぱり、人付き合いは面倒だ。

 初めて覚えた、他人に対する怒りを思い出す。木に登って怪我をした蓮を見たときの、もどかしい苛立ち。

 それに似たものが、今も込み上げていた。

「明日嵐がきて、二人とも死んじゃうかもよ?」

「いい。美月となら」

 蓮を突き動かしているものの正体を、掴みあぐねる。

 転校していく友達を見送ったときの、粘り気を帯びた苦々しい記憶が蘇った。

 私が決して共感することのできない、輝きを秘めたもの。

「…………死んじゃっても?」

 どうしてそんなに、必死になるのか。たった数日過ごしただけの、元は口も聞いたことのない友達だ。そんなに熱くなって。どうかしている。

「死なないっ!絶対に生きて帰る」

「だったらひとりで帰ったらいいじゃん」

 段々と苛立ちが波を高くしていた。

 どうして私はこんなにも、蓮に対して苛立っているんだろう。

 立ち上がって、拒絶を示すように海の方へ歩く。

 蓮は、私の中の物差しを否定しているのだ。

 本当は泣き虫で弱いのに、それなのに強がって、できないことに手を伸ばすから。そんなだから、私は気にかけてしまう。面倒なのに、目を逸らせなくなってしまう。手を差し伸べたくなってしまう。

 だから、私は。

「私は蓮と違って、一人でいたいの!」

 傷つけようとした。明確な悪意をもった言葉が、蓮を切りつける。

 水音を立てて、生温い海水がくるぶしを濡らした。

 どうして放っておいてくれないのか。なんでみんな、私に判断を委ねるのか。みんな勝手に、自分のためだけに生きてくれれば、それでいいのに。

 でないと、気になってしまうから。自分以外どうにもできないのに、どうにかしたいと思ってしまうから。

「本当に面倒くさい」

「美月っ」

 ばしゃばしゃと、進むたびに海が深さを増す。大気に触れていない新鮮な冷たさが、足の甲から駆け上がった。

 このまま進めば、誰もいない場所に辿り着けるだろうか。

 放っておいてよ、もう。

 水を含んだ制服が、波に揺蕩った。重みを増したそれが、私をより深い世界へと誘う。

 嫌いなわけじゃない。嫌いになんてなれるわけがない。お母さんも蓮も。ただ、もっと楽に生きたらいいのにと思っていた。それだけだったのに。

 蓮は、一歩踏み込んできた。

 一緒に残ると言い出してきた。

 そんな事を言われれば、めんどくさいって思っているのに。どうにかしたいと思ってしまう。自己矛盾だ。

 抱いているのは、蓮に対する怒りじゃない。その正体に指をかけるように、水を掻き分ける。

「美月っ……!」

 まだ追いかけているのか、蓮は。そんなんだから、海に落ちるんだ。臆病で怖がりなのに、格好つけて一人でいるから。

 蓮の呼ぶ声が途絶えた。気がつけば、口元までが海面に浸かっていた。私より背の低い蓮のことだ。ここまでは追ってこられない。蓮の声は、もう届かない。

 やっと一人になれた。

 もう、面倒なことは懲り懲りだ。

 とうとう、私も足がつかなくなる。全身の力を抜いて、浮力と重力に体を委ねる。

 えらい目に遭ったものだ。

 苦い草を食べさせられたり、雨の中を走ったり。

 閉じた瞼の中、迷子の猫のように雨に打たれ、砂浜で項垂れていた蓮の姿が浮かぶ。見えないはずの、瞼の向こうの紺碧を見る。

 蓮は今、何を思っているのだろうか。流石に怒っただろうか、それとも悲しんでいるだろうか。無事に、岸へあがれただろうか。隣の島へ帰れるだろうか。

 肺の中の、最後の空気を吐き出す。

 薄ら目を開けると、頭上の光が見えた。

 ぶくぶくと吐き出された泡が、重なるようにいくつもの輪となって昇っていく。

 その向こうから、必死に私を追いかける蓮の姿が見えた。

 本当に馬鹿だ。私より泳ぐの苦手なくせに。こんなに深くまできたら、戻れないよ。そんなだから、苦しむのだ。できないことをしようとして、もがくから。

 水圧で、耳鳴りがする。意識が薄く広がっていく。

 チカチカと、幾重にも光が明滅した。あのとき、沈んでいく蓮に手を伸ばした瞬間が、走馬灯のように浮かぶ。

 蓮はただの口実で。私はただ、消えてなくなりたかっただけだ。別に、蓮でなくても。

 どくんと、鼓膜の内側で心臓が脈動した。

 本当に、蓮でなくても飛び込んでいただろうか。

 意識が体から離れたみたいに、バラバラな回路を辿る。選ぶ余地すらも与えずに、想起させる。

 海に落ちていく蓮はあまりにも自由で。綺麗だったから。きっと、それ以外の理由なんてなかったのだ。

 私と蓮は、似たもの同士。できっこないのに、焦がれて手を伸ばしてしまう。面倒なのに、その先の世界を見たいと思ってしまう。

 もしも蓮も、同じなら。

 沈んでいく私に、同じ色を見ているのなら。

 掴む。

 私を助けようとして溺れそうになっている、蓮の腕を。

 本当に馬鹿だなぁ。

 残念ながら、今の私に推進力は残っていなかった。

 このまま二人で、どこまでも沈んでしまおうか。なんて言ったら、蓮は怒るだろうか。

 蓮の指に、自分の指を絡ませる。

 すぐ目の前に、酸素が枯渇して真っ青に染まった蓮の顔が迫る。それは、今にも限界だと切迫した顔で。

 蓮には色んな青があるんだなぁ、なんて。呑気に思いながら。

 繋がれた手の力強さに、目を閉じる。

 そこで煌めく光は、やはり群青だった。



* * *


 

「おっはよ〜」

 目を開いて、すぐに隣を確認した。

 そこには、溺死しかけたことが嘘のように笑う少女はおらず。私と同じく、瀕死の少女が打ち上げられていた。

「美月…………わたしたち、生きてる?」

「そうっぽいねえ」

 沈んでいく美月を追いかけて、海に飛び込んで。それから先のことは、全然覚えていなかった。

 とにかく、無我夢中だった。まとわりつく制服は想像以上に重たくって。だけど不思議と、恐怖はなかった。

 それはきっと、もっと怖いものが目の前にあったから。全力だったのだ。美月を助けるために。

「よかった、よかった…………」

 繋がれた手は、確かな温かさを持っていた。感触を確かめるように、強く握る。

「いたたたたたっ、痛いっ!」

「だって、美月がいきなり海に沈むからっ」

 心配したんだよ、は言葉にならず。溢れる涙が頬を伝った。

「あはは、いやぁごめんね。まさか蓮が追いかけてくるとは」

 黙って空を見上げる美月の横顔は涼やかで。文句の一つでも言ってやろうと思ったけれど、込み上げてきたのは、柔らかな感情ばかりだった。

「まぁ、という訳なので。これからも私のお世話、よろしく」

 これからという言葉の響きに、感動を覚える。

 弱々しい美月のピースに、自然と笑みが溢れた。

「あ、あとボート流されちゃった」

「うえ!?」

 飛び起きる。私たちがいるのは、元いた無人島で。停泊していたはずのボートが見当たらない。

 まさか、また。

 疑って美月の方を見ると、睨まれた。

「私じゃないわい」

「冗談だよ。午後になって、引き潮に流されたんだと思う」

「……怒らないの?間違いなく、私が入水自殺を図ったせいだと思うんだけど」

「そのうちまた流れてくるよ」

 潮風が、夏の終わりのような香りを孕んで、頬を撫でた。風に身を委ねるように、心地よさに目を閉じる。

 心臓の音がする。生きていると言っている。美月とともに、生きていると。

 温もりを感じたくて、もう一度繋ぎ直す。少しして、美月も手のひらを握り返してくれた。

 固く結ばれていた結び目が、柔らかく、解れていく。

 人と関わるのは難しい。自らを晒して、痛みを伴って。必ずしも正解があるとは限らないから。

 だけど、難しいから努力をする。知らないから、知りたいと思う。どんなに痛みを孕もうと、その先には美月の見せてくれた星空のように。一人では辿り着けないものがきっとあるから。だから、私は選んだんだ。一人で生きることではなく、ここに残ることを。

 遠くで、ぼぼぼという断続的なエンジン音が響いた。

「助かっちゃったね、私たち」

 美月の声と同時に、視界の隅にこちらへと向かうヘリコプターが見えた。

 長く続いた真っ暗な道ほど、意外と終わりは呆気ないものなのかもしれない。

「…………美月、ありがとう」

 海水でベタついた肌を、太陽がチリチリと浄化していく。

 徐々に大きくなるエネルギーの音を聞く。

 黙ったまま、目尻から涙を伝わせるその横顔に。もう少しだけ、この時間が続いてほしいと。

 手のひらの感触以外の五感を閉じるように、私も目を閉じる。

 この世界で私たちだけが、同じものを見ているような気がした。

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