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363 【普通の朝】


朝の淡い光がカーテン越しに差し込み、静かな時間がふたりを包んでいた。


まどろみの中、ふと気配を感じて目をうっすらと開けると、隣にいたまいがじっと俺の顔を見つめていた。

その目には、どこか照れくさそうな想いがにじんでいた。


気づかれたことに気恥ずかしさを感じたのか、まいは視線を揺らしながらも、小さく、柔らかな声で言った。


「……おはよう。」


その言葉は、胸の奥に優しく響いてくる

俺もまだ寝ぼけ眼のまま、自然と微笑みながら「おはよう」と返す。


するとまいは、安心したように身体を寄せてきて、そっと俺の胸の上に頭を預けた。

その動きは甘えるというよりも、ここにいたいと願う気持ちが自然と形になったようだった。


俺の鼓動に耳を澄ませるように、まいは目を閉じ、静かに呼吸を重ねてくる。


そのぬくもりに、俺は言葉にできない幸福感を噛みしめていた。

ただ、こうして寄り添える朝が、こんなにも愛おしく、こんなにも大切なものだったのか……



しばらくの間、まいのぬくもりを胸に感じながら、俺たちは言葉もなく静かに寄り添っていた。

ただ肌が触れ合うだけで、心が満たされていく。そんな穏やかな時間だった。


やがて、まいがふっと顔を上げて、俺の目を見つめながら小さく尋ねてきた。


「ねえ、朝ごはん……何が食べたい?」


その声は、まるで日常の一部のように自然で、それでいて、どこか愛おしさがこもっていた。

俺は少し考えてから、素直な気持ちで答える。


「うん……なんか、米が食べたいかも。」


その言葉に、まいはふっと表情を和らげて、小さく「うん」と頷いた。


その仕草がどこか嬉しそうで、俺の胸の中にまたじんわりと温かな気持ちが広がっていく。


するとまいは、何もためらうことなく布団からそっと身体を起こし、そのまま生まれたままの姿で立ち上がった。

朝の光が彼女の輪郭をやわらかく照らし、まるで夢の中のように美しかった。


そのまま、まいは恥じらう様子も見せずに、静かに寝室のドアを開けて、キッチンのある方へと歩いていった。

その後ろ姿を見送るうちに、俺はただ、こんな朝がいつまでも続けばいいと、心から願っていた。




しばらくして寝室を出てキッチンへ向かうと、そこには朝の柔らかな光に照らされたまいの姿があった。


彼女は俺の白い綿のシャツを一枚、素肌に羽織っているだけだった。長めの袖が少し手の甲にかかっていて、裾は太もものあたりで揺れている。少し大きめのそのシャツが、彼女の華奢な体を包んでいるのが妙に愛しくて、どこか儚いのに、妙に色っぽかった。


コンロの前に立ち、卵を割る手元を動かしながら、まいが俺に気づく。


「シャツ、借りちゃった」と振り返りながら、いたずらっぽく笑うと、「ねぇ、どう? セクシーでしょ〜」と軽やかに肩をすくめてみせた。


その笑顔が、照れくさいくらい可愛い。

俺は思わず微笑みながら、短く、「うん」と頷いた。


それだけで、まいは満足そうに小さく微笑み、またフライパンに向き直った。

小さな音を立てて焼かれていく卵の匂いが、どこか懐かしく、心をほどいていくようだった。





「もう少しでご飯も炊けるよ。味噌汁は今から作るから、座って待っててね」

キッチンに立つまいが、ちらりとこちらを見ながら明るい声で言った。


「謙、コーヒーでも飲む?」


「うん、飲もうかな」


俺がそう答えると、まいはにこっと笑いながら「はーい、待ってて」と返し、手際よくマグカップを用意し始めた。


その声に促されるように、俺はソファに腰を下ろした。

まるで夢の続きにいるような、穏やかで心地のいい朝。

そして気がつけば、俺の視線は自然とまいに向かっていた。


シャツ一枚を羽織った彼女の後ろ姿。

白いシャツが柔らかく揺れ、素肌にふわりと馴染んでいる。

湯気の立つ鍋を覗き込みながら、少し髪をかき上げる仕草。

すべてが静かで愛おしい。


そんなふうに見つめていると、まいがふいに振り返って言った。


「謙、そんなに見つめられると……恥ずかしいよぉ」


照れたように笑うその表情に、俺もつられるように口元がゆるむ。


「だって……見ていたいんだよ」


自分でも驚くほど自然に言葉が出た。

「こうして一緒にいられる時間の大切さ、ようやくわかったんだ。まいから、目を離したくないって……本当に、そう思う」


その瞬間、ふと胸の奥が熱くなった。

口にしたことで、照れくささがじわじわとこみ上げてくる。

でも、それ以上にあふれてくるのは、まいと過ごすこの何気ない日常を、もう二度と失いたくないという想いだった。


まいは恥ずかしそうに、それでも微笑みを絶やさず、

「……もぉ、謙ってば」と小さく呟きながら、湯気の中で味噌汁をかき混ぜていた。


その後ろ姿を、俺はただ黙って見つめ続けた。




「謙、できたよ」

まいの明るい声がキッチンから聞こえてくる。

「冷凍庫に鮭があったから焼いてみた。謙、鮭好きだったもんね」


彼女のその言葉に、俺は自然と笑みがこぼれた。

「ああ、鮭があればご飯何杯でもいけるよ」

そう返しながら、テーブルの前に腰を下ろした。


まいは嬉しそうな顔で、料理を運んできてくれた。

焼きたての鮭、湯気の立つ味噌汁、小鉢に盛られたお浸しに、ほんのり焦げ目のついた卵焼き。

どれも素朴で温かみがあって、まいらしい優しさがにじみ出ていた。


「謙、ごめんね。食材が少なくて、これぐらいしか作れなかったけど……」


まいが申し訳なさそうに言うと、俺はすぐに首を横に振った。

「いや、全然大丈夫。むしろ贅沢すぎるくらいだよ。トーストとトマトだけの朝食と比べたら、これはもう豪華料理だよ」

冗談まじりにそう言うと、まいはクスッと笑い、俺もつられて笑ってしまった。


やがてまいもテーブルについて、俺の向かいに座った。

お茶碗と味噌汁椀を前にして、自然と目が合うと

「いただきます」と声を揃えて、静かに手を合わせた。


その瞬間、なんでもないはずの朝食が、かけがえのない時間に感じられた。

まいが少しふわりと微笑む。


「久しぶりだね、こうして一緒に朝ごはん食べるの」


「本当だな」

俺も箸を持ちながら、ゆっくりと頷いた。

「ただ朝ごはんを一緒に食べるって、こんなに幸せなことだったんだなって思うよ」


まいは少しだけ考えながら、そっと呟くように言った。

「最後に一緒に朝ごはん食べたの、北海道の時だったね……でもあのときは、ちょっとギクシャクしてたんだよね」


「うん、そうだったな」

俺は小さく笑って、冗談まじりに付け加えた。

「まい、あのときめっちゃ怖かったもん。俺、本気で嫌われてると思った」


するとまいはぷくっと頬を膨らませて、少しむくれたように言った。

「そんなことないも〜ん。謙が私の気持ち分かってなかっただけだもん……」


その言い方があまりにも可愛くて、俺は思わず笑ってしまった。


「なんで笑ってるの? 謙?」

向かいに座るまいが、不思議そうに俺の顔を覗き込みながら聞いてきた。


「いえいえ、なんでもないです。まい様」

俺は少しおどけて、わざとらしく丁寧に返す。


「もぉ〜……そういうとこなんだから」

まいはあきれたように微笑みながら、手にした箸で焼き鮭を一口だべると

「あっ、謙、この鮭すっごく美味しいよ。食べてごらん」


すすめられるまま、俺は箸を伸ばして、香ばしく焼けた鮭を一口、口に運んだ。

ふわりと広がる香りに続いて、じゅわっと染み出す旨味。思わず目を見開いてしまう。


「うまぁ……! これ、やばいよ」

思わず声が漏れて、次の瞬間には茶碗を手にご飯をかき込んでいた。

「ご飯が進む! まい、これすごいは」


まいは俺の様子を見て、笑った。

「ちょっと、謙。落ち着いて食べなさいってば」

言いながらもどこか嬉しそうな声だった。


「なんか……謙って、小学生みたい」

クスクスと笑いながら、まいは味噌汁をすする。


俺は少し照れ臭くなって、でもこの笑い合える空気が心地よくて、何よりこの朝をまいと過ごせていることが、ただただ嬉しかった。




何気ない会話、何気ない朝。そう俺たちが望んでいたのはこんなごく平凡な普通の朝なんだ……


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