372 【光と闇の行方2】
「……お前、これからどうするつもりだ?」
電話の向こうから低く、押し殺したような声が響いた。
空気が一瞬にして張り詰め、どこかで時計の針の音だけがやけに大きく聞こえた。
「心配するな。次の手はもう出来上がってる。――次で、終わらせる」
受話器を握る男の声は、妙に落ち着いていた。だが、その中にひそむ冷たい決意は、聞く者の背筋を凍らせるものだった。
「……お前が捕まったら、すべて終わりなんだ。わかってるよな?」
ひと呼吸、間があいた。
「――俺に指図するんじゃねえよ」
言葉は刃のように鋭く、吐き捨てるように放たれた。
「……」
一瞬、沈黙が落ちた。
その静寂が、むしろ会話以上に緊張を孕んでいた。
「……お前を助けたのは、俺なんだぞ」
しばらくして、静かに、だが怒りを押し殺したような声が戻ってきた。
「忘れるなよ……俺がいなきゃ、お前はとっくに終わってたんだからな」
「は。誰が頼んだよ?」
電話越しに鼻で笑うような音が聞こえる。
「勝手にやったことだろ。感謝?そんなもん、これっぽっちもしてねぇよ」
言葉の端々ににじむのは、情の欠片もない冷酷さだった。
義理も恩も通じない人間の目が、今そこにいるような錯覚を起こさせる。
「……予定が決まったら、また連絡しろ」
それだけ言うと、唐突に――
プツン。
電話が切れた。
沈黙が戻る。
男はしばらく受話器を見つめたまま、静かに吐き捨てた。
「高木、そろそろ祭りでも……やるしかねえなぁ〜」
その声には、迷いも、情も、何もなかった。
「なあ、お前は――どんな祭りが好きなんだ?」
誰に語りかけるでもなく、男は呟いた。
その声はまるで、何かを愛おしむかのように優しい。けれど、その優しさの裏に潜んでいるのは、紛れもない狂気だった。
「……お前が喜びそうなものを、こっちで用意してやろうか」
首をかしげるようにして独り言を続けながら、男は唇の端をゆっくりと歪ませる。
「大切にしているもの……そうだな、そういうものを、ひとつずつ、壊してみようかな。――お前の周りをなぁ…」
「ハァァ……ハァァ……ハァァ……」
異常に深く、長く、熱を帯びた呼吸。
それは興奮しているようでもあり、何かに取り憑かれているようでもあった。
そして――
「ヒャァァ、ハハッ……ハハハハハハッ!!」
狂ったような笑い声が、静まり返った密室の闇に響き渡った。
笑いながら、男は立ち上がり、手を開いたり閉じたりを繰り返す。まるで、その指で誰かの喉を締め上げる想像でもしているかのように。
「まずは……そうだな。周りから、1人ずつ。音を立てずに、気づかれないように……な」
「ヒィ……ヒィ、ヒィィィ……」
笑い声が、次第に形を変えていく。
もはやそれは、人間のものではなかった。
かすれた声、嗚咽のような笑い、底知れぬ狂気。
部屋には窓もなく、カーテンも閉め切られ、時計の針すら動いていない。
その空間の奥――
男は、椅子に腰掛け、じっと一点を見つめていた。
闇に飲み込まれた顔は表情を失っているのに、その目だけが異様なまでにギラギラと光っている。
まるで、そこに命が集中しているかのように。
人間の心が壊れたとき、こんな目をするのかもしれない。
何かが、確実に始まろうとしていた。
静かに、ゆっくりと、そして、手遅れになるほど確実に。




