第77話 空飛ぶ酔っ払い
「え? ――ぶごっ!?」
突然現れたお尻に顔から激突して、僕は菜園の上にひっくり返ってしまう。
「ジオっ?」
「ちょっ、何っ!?」
僕とぶつかったお尻はそのまま家庭菜園の上を通過していく。
「は? 何だお前ら?」
もちろんお尻だけが空を飛んでいるはずがない。
僕の顔面にヒップアタックを見舞ったそのお尻の主は、僕たちを見て目を丸くしていた。
鋭い目つきをした勝ち気な印象の美女だ。
まるで黄昏時の空のような綺麗な夕焼け色の髪が特徴的で、見た感じ、年齢は二十代半ばくらいだろうか。
随分と露出が多い服を着ていて、しかもびっくりするぐらいプロポーションがいいので、とても目のやり場に困る。
……そんな彼女のお尻に僕は顔を……いやいや、考えちゃダメだ。
そんな謎の女性が生身で空に浮かんでいるという理解不能な状況に、僕はもちろん、シーファさんやアニィまで時が止まったように呆然としている。
「おいおい、これはまさか畑か……?」
一方、空飛ぶ謎の女性もまた僕たちが乗る家庭菜園に随分と驚きを示す。
……やってしまった。
見知らぬ女性に、こうもはっきりと家庭菜園が空飛んでいるのを見られてしまうなんて。
接近に気づかなかったのは、この暗さと、【狩人の嗅覚】を持つアニィが高いところを怖がって周囲に意識を向けていなかったからだろう。
もちろん彼女をからかって遊んでいた僕にも責任がある。
でも、まさか空に人がいるなんて思わないよね……。
これはもう隠せる気がしないと戦慄していると、
「畑が空を飛ぶなんて……こりゃ、随分と酔っちまってるみてぇだなぁ……ひっく」
って、よく見たらこの人、めちゃくちゃ酔ってる!
道理で酒臭いと思ったよ。
今日は酔っ払いのオンパレードだ。
手に酒瓶を持っていて、中はすでに空っぽだ。
もしかしてこれを一人で飲み干したんじゃないよね……?
ともかくそのお陰で、この状況を自分が酔っ払っているせいだと勘違いしてくれてるみたいだった。
これならどうにか誤魔化せるかも……と、一縷の希望を抱き始めた、そのときだった。
「うっぷ……」
「ちょっ!?」
「やべぇ、ちょっと飲み過ぎちまったみてぇだ……」
急に青い顔になったので僕は慌てた。
「まぁ、畑なら別にいいだろ……栄養になるだろうしな」
「良くない良くない! ストップストップ!」
「うげえええええっ!」
僕の必死の制止も虚しく、謎の女性はその場でいきなり盛大に嘔吐したのだった。
いくら美人でもゲロは汚い!
「ううーん……」
「あ、起きましたか?」
「んん? 誰だ、テメェは? ってか、どこだここ……?」
黄昏色の髪の女性は、周囲を見回しながら怪訝そうに眉根を寄せる。
二日酔いなのか、少し苦しそうだ。
「えっと、僕の家です」
吐くだけ吐いた後、彼女は急に寝落ちしてしまった。
あの場所だし人に襲われることはないだろうけど、魔物が現れるかもしれない。
さすがにそのまま放っておくわけにもいかず、一緒に転移してリビングのソファまで運んだのである。
ここでまた吐いたりしないかすごく心配だったけど、見た感じ大丈夫そうでホッとする。
菜園と違って、掃除するのが大変だし……。
ちなみに反対側のソファではアニィが寝ている。
「こんな美人をあんただけに任せたら何するか分からないでしょうが」と主張して、昨日は家に帰らなかったのだ。
何が悲しくて見知らぬ酔っ払いに手を出すというのか。
ましてや昨日、目の前で嘔吐した人物だ。
……上半身を起こした拍子にかけていた毛布がずり落ちて、露になった身体に目が吸い寄せられてしまうのは不可抗力だよね、うん。
それはともかく。
この人、何者なんだろう?
今はただの二日酔いの女性にしか見えないけど、昨晩、空を飛んでいたのは確かだ。
サラッサさんによると、飛行魔法を使えるのは魔法学院でも片手で数えられるほどしかいないらしく、もしかしたら有名な魔法使いなのかもしれない。
「僕はジオって言います」
「オレはミランダ。見ての通り魔法使いだ。……で、なんでオレが見ず知らずの男の家にいるわけだ?」
「あの、覚えてませんか? 昨日、僕と激突して……」
「あー、言われてみたら、そんなことがあったような、なかったような……ん? そう言えば、なんか畑が飛んでなかったか?」
「き、気のせいでは?」
「んー? じゃあ、あれは夢だったのか? にしては、リアルだった気もするが……」
彼女は首を捻った後、なぜか虚空に向かって呼びかけた。
「おい、デーモン」
「お呼びですか、ご主人様?」
「っ!?」
どこからともなく現れたのは、手のひらサイズの小さな生き物だった。
黒い翼が背中に生え、お尻には先端が尖った尻尾がついている。
「それって……」
「こいつはオレの使い魔だ。昨日何があったか教えろ」
「はい、ご主人様」
それからそのデーモンが、昨日のことをすべて話してしまった。
うん、これはもう完全に誤魔化せないよね……。
「おいおい、マジで空飛ぶ畑かよ。しかもちょっと考え事してたとはいえ、このオレが近づくまで気づかねぇとは」
空を飛ぶ際に、念のため菜園隠蔽を施しておいたのだ。
だから菜園の中に入るまで察知されなかったのだろう。
「恐らくどちらもギフトの力かと。あのとき魔力は感じませんでしたので」
「ったく、どんな畑だよ」
「一応、【家庭菜園】っていうギフトなんですけど……」
「ぶはははっ、どう解釈したらそれで空を飛ぶことになるってんだよっ! ったく、何の神だ、そんなぶっ飛んだギフトを授けやがったのは、ぶはははっ!」
なぜかめちゃくちゃ笑われてしまった。
それにしても、こんなふうに神様のことを馴れ馴れしい感じで言う人、初めて見たかもしれない。
天罰が下ったりしないのだろうか?
「さらに言えば、ここは昨晩、ご主人様がいた場所から三百キロほど離れています」
「は?」
使い魔の一言に、彼女は目を丸くした。





