9 拝啓、本が売れません ~売れる、ということ~
今の出版業界は大不況のまっただ中だ。一時期ライトノベルはカンフル剤となったが、今やそれもレッドオーシャン。平台を勝ち取った本も、わずかの間に新しいラノベに取って代わられる。そんな世知辛い競争の渦に巻き込まれている。
かといって、出版点数が増えたから、『本が売れる』ようになっているか? と言うと、そうではない。本の売り上げは総じて厳しい状況にある。
儲かっている本屋など無い、と言っても過言ではない。
そもそも、書店自体がどんどん潰れていっている。
そんな、総売り場面数が縮小している現状において、『売れているわけではない・普通の』作家がスペースを取ることは、非常に困難。
大量に出版される本の中の一冊に過ぎない。そう評価され、右から左へ流されることなく、読者にとって貰える一冊になれるかどうかは、編集・営業・書店員・作家の真剣勝負と言って良い。
さらには、業界の縮小により、部数も絞られている。
書店に行っても本が置かれていない。そんなことはざらだ。
特に新人だと、売れるか売れないかわからない作品を、書店すべてカバーするだけの部数を刷る大勝負に出ることが出来ない。
そのため新人作家はまず、「書店に自分の本が置かれていない」という事実に愕然とする。
書籍化すれば、全国の書店に、自分の本が大々的に置かれている。重版なんてして当たり前。それが当たり前だと思っていたのに、期待を大きく裏切られる。
そうして、初めて『売れる・売れない』の現実にぶち当たることになるのだ。
純粋に商業一本で食べている作家ではない作家が「売れたい」と思うのにはひとつの基礎と3パターンあると思う。
基礎としては、「1人でも多くの人に読んでもらいたい」ということ。
これは、すべてのパターンに共通する基礎である。
本を出したからには、多くの人に読んでもらいたい。
その気持ちが強いからこそ、本を出したいと思うのである。
私の場合も、正直、売上や印税などどうでも良かった。
「読んでもらいたい」その気持ちが、執筆への執念を生み出すわけである。
基礎はそれとして、『売れたい』と思うようになる1パターン目は、「自分の作品が評価されたい」と思うこと。
せっかく一冊の本を苦労して出したのだ。やはり、「おもしろい」と言って欲しいと思うようになる。
もっと多くの人に読んでもらって、「これは良い本だ」「おすすめ」と言って欲しい。
かけただけの苦労が報われたい。
これは、WEB作家さんでもそうなのではないだろうか。
「いや、私は評価とか気にしないから。書いてるだけで満足だから」
そういう方もいるだろうが、それでもやはり、ポイントを取ると、嬉しくなるものではないだろうか? 苦労をかけた作品に、感想をもらうと嬉しくない?
そんなの関係ない。そうですか。それなら、何で非公開の日記を書き続けるようにしないんですか? 何故WEBに公開して、衆目に晒すんですか?
書いたら、読んでもらいたい。評価が気になる。
ほとんどの人は、そうだと思う。
まして作家なんて人種は承認欲求の塊のような人が多いから、言わずもがなである。
小説に評価点がつくのと同じように、もっと反応が欲しい、と思うようになるのだ。
かくして、商業デビューした作家の第一のお決まりのパターンは、Amazonでランキングを追うことと相場が決まっている。
アマゾンランキングは、1冊買ってもらえば、数千、あるいは数万も順位が変動する、まったく当てにならないランキングだ。
でも見てしまう。チェックせざるにはいられない。
自分の作品がどう評価されているかを知りたい。
読んでくれた読者さんが、どういう感想を持ってくれたのかを知りたい。
そう、自作エゴサ地獄の始まりである。
作品名をTwitterに入れてポチポチ。
作家名をTwitterに入れてポチポチ。
googleで検索なんかしたり。
普段2chなんか見ないのに、どうしても覗いてみたくなる。そしてその口汚い言動に気分を悪くする。ちなみにあそこはそもそも素直に褒めるところではないし、口汚く罵ったり、根も葉もない噂をばらまいたり、難癖つけようとする人間の巣窟だから、デビューした商業作家さんは、絶対見ない方がいい。すでにデビューしている作家さんも同様だ。
そんなこんなで、購入報告や、読了報告を出版直後はありがたく頂いて、有頂天になる。
もっとそんな声が聞きたくなる。
アマゾンレビューがつくのが楽しみになる。★5つなど貰えると、天にも登る気持ちだ。
ただ、ひとついうと、アマゾンレビューも実はあまり当てにはならない。よくよく読んでみると、「アマゾンの配送の仕方が悪かった」とかいうわけのわからない理由で★1をつけられることもある。明らかに読んでない奴が★1を投げ込んでるときもある。
そういうことでメンタルを病んでしまう人もいるだろうが、総じて、(高)評価というのは嬉しいものである。本当に浮かれてしまう。
ここでもう一つだけ注意をいうと、作品を出したばかりの評価はあまり気にしなくていいと思う。ちゃんと読むこともせず、あるいはまったく読んでいない人が、作品をけなすためだけにけなす奴が、早期レビューには多く出現する。
逆に売りに出されて、少し経ってからの評価、しかも他の方も同じことを言っていることは、しっかりと受け止めた方が良いと思う。そういう意見はとてもありがたい。
そんな、「自作にどんな感想を持っていただけたか」。
これが、本当にモチベーションになる。
そして、麻薬になる。
もっと多くの意見を聞きたい。自分の本をレビューして欲しい。
そのためには、もっと読んでもらいたい。売れて欲しい。
そして、それが恐ろしいことに「数字」で表されるのだ。
正確な数字はわからない。ただ、売れているか、人気があるかどうかは嫌が応にもわかる。たとえば自分の作品が埋もれる中で、横を見ると「何十万部突破!」とかいうあおりが書かれたPOPや宣伝ツイートを嫌というほど見せつけられる。
WEBの本の売れ行きランキングを見るようになる。
何千部自分の本が売れたのか、本当に気になる。
そこで売れていないと、本当に悲しくなる。
自分が苦労して産みだした子供が、いらない子だといわれているような気になり、落ち込む。
売れて欲しい。自分の書いたものが、もっと評価されたい。
これが、パターン1だと思う。
次はパターン2。
「長く書いていきたい作品であると、『我が子(本)に生き続けて欲しい』と思うこと」
これはWEB作家さんや長期構想がある方に多いと思うのだが、自分が思い入れがあるキャラクターが、1巻だけでは出てこない。続刊を続けて、ようやく登場させられるという作家さんには死活問題だ。
特に、前述したとおり、「続刊を見込んで終わらせる」やり方で、ラストで引っ張る書き方をしてしまった場合はなおさらである。本当に宙ぶらりんの作品を、一冊だけ出して終わってしまう作品のいかに多いことか。
打ち切られたら、物語はそこで尻切れトンボ。
思い入れを持ったキャラクターが活躍する機会は失われてしまう。
どうしても書きたい続きがあるのに、無情にもストップを喰らってしまう。
続刊不可能が決定になったとき、書いた物語が好きだ、続きが読みたい、という読者さんの声を聞くと、冷や汗を掻いて穴にでも入り込みたくなる。
だからよく、続刊を打ち切られたWEB作家さんは、WEBで続きを書く。
我が子が成長し、幸せな最後を迎えるまで、書き続ける。
例え、続刊が出ないとしても、物語を、最後まで語り終えたくなる。
逆に、続刊が出ないことで意気消沈して、物語の続きを諦めることもある。
自分の作品には価値がないのだ、そう否定された気持ちになり、続きを書く気力を奪われてしまう。
売れてさえくれていれば、続きが書けた。あのキャラクターが出せた。
ごめんね、売れなくてごめんね。
私に続きを書かせて下さい。買って下さい。
そんな悲痛な叫びは、Twitterを見れば、嫌というほどあふれている。
『続きを書かせて下さい』『買って下さい』
売れていれば。売れて欲しい。
それは、我が子を世に送り出す作者の、切実な願いなのだ。
さて、もう1つもパターンに移ろう。これは当たり前ですが、衝撃ですよ。
パターン3。
「売れないと、作家生命が絶たれるから」
本当にこれなのである。
出版社は慈善事業ではない。売れなければ、作家は干される。
運良く一冊目を出せた作家は、その『売れる・売れない』のシビアさを嫌というほど思い知らされる。
自分で『面白い』と思う作品を書いていても、数字が出なければ、出版社からもう声がかかることはない。ぽしゃると、「売れない作家」というレッテルが貼り付けられ、WEB新人賞に出すにも、「ああ、あの売れなかった作家さん」と不利に働くかも知れない(これはあくまで想像だが)。
商業で書くと、商業で書くことのつらさ、面白さを本当に味わう。
最初にいったとおり、これは『麻薬』だ。
もう一冊。もう一冊出版したい。それは、もう狂おしいほどになる。
その『作家生命』が、売れなければ無情にも絶たれるのである。
作家界隈は、シビアだ。すべて数字で帰ってくる。
自分の作品の評価も、読んで欲しいという思いも、続きを書きたいという思いも。
すべて数字で判断が下される。
読者には本当に愛されているのに、評価は凄く高いのに、続刊が出せない作品もある。
商業に出ると、こんな現実に晒される。
そして今までは鼻で笑っていた現実を思うのである。
「売れなければ、商業的価値はない」
「売れれば正義」
なのだと。
もちろん、この低俗な作家であるかも知れない私の意見に耳を傾ける必要は無い。
基本、作家は「売れるもの」を狙って書くより、「自分が面白いと思うもの」を書いて、それが売れて欲しいと思うのが普通だと思うし、大多数はそうだ。
ただ、一冊目を出して経験したことをひとつだけ言わせてもらうなら。
それまで「出版できるだけで幸せ」と思っていたのが、一冊出すと「我が子(自書)に日の目を見て欲しい、可愛がって欲しい」、つまり、「売れて欲しい」「売れるにはどうすれば良いか」という視点が加算される。
ラノベ作家の寿命は「3年」と言われる。「3年後、書き続けていられる作家」になれるかどうかは「売上」で決まる。
そんなシビアな、純粋に楽しみで書いていたときには「汚い」とすら思っていた現実を見たとき、あなたはどうするだろうか?
この前夜祭の折り返しで、なんともシビアなことを書いてしまったが、実はもっと大切なことに、「売れる」ために一番重要な、前提条件というものがある。
それは、「その作品が、面白いこと」であること。
これは、販売も書店員も読者も、みんな当然の前提としている、と『拝啓、本が売れません』のなかでも言及されている。
良い本が売れるとは限らない。ただ、売れる本はどこかしらには良い点を持っている。
サイレント・マジョリティと言う言葉がある。物言わぬ大衆、と言う意味だが、声高に「この作品は駄作! つまらない!」と叫んでいる人がいて、ネットが酷評にあふれていたとしても、それは、本当に氷山の一角である。
本当に本を愉しむ人は、何も言わずに『良い・悪い』『面白い・面白くない』を判断し、何も言わずに買っていく。あるいは、見切りをつける。
汚い声を上げている読者より、そういう層を動かせた作品こそ、作品として価値があると見なされる。『本』というのはむしろ、このサイレント・マジョリティをいかに動かせたかによって価値が決められる。
そして、それが顕わにされるのが『数字・売上』なのだ。
本当にシビアな世界だ。だが、そんなところにも、作家業の苦しみと、そして楽しみがある。
面白い作品を書きたい。それが売れるとは限らないが、良い作品には売れて欲しい。
それが、もし自分が書いた作品なら、もう、何も言うことはない。
だから、どうかあなたの書く、未来の作品が、1人でも多くの人の心を動かしますように。
売れますように。




