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第五十四話 十一月十三日 夜


「……陽太君さ……もしかして、別の世界から来たりしてない?」


―――彼女は確かにそう言った。

余りにも突然の出来事に、一瞬視界が揺らいだ。

動悸は激しく、僅かに息が詰まるような感覚が身を襲った……けれど、それはすぐに収まった。


レースゲームが終わり、藍原さんは勝利の余韻に浸るように満足げな笑顔を浮かべてこちらへ向き直ると、先の言葉を特に言及するでもなく、勝ち誇ったような笑顔でこちらを見て指でピースを作って――うわっ可愛い……じゃなくて。


「えっと……藍原さん……さっきのって……」


声が震え、思った以上に弱々しい響きになってしまう。

しかし彼女はその反応を見てか、少しだけ表情を和らげた。


「……やっぱり、そうだったんだね」


藍原さんは小さく息を吐き、けれどすぐにいつもの調子を取り戻したように笑みを浮かべた。

その瞳は、さっきまでゲーム画面を見ていた時よりもずっと真剣で、どこか確信めいた光を宿している。


「……じゃあさ……ここじゃ落ち着かないし、折角ならあそこに行かない?」

「あそこって……?」


僕の問いに、彼女の指先がすっと伸びる。

彼女が示した先には―――――。




◆◇◆




―――僕にとってはすべての始まりの場所。

かつてこの場所で起こった出来事が今の僕を形作ったともいえる場所。


昼の光はすでに傾き、窓から差し込む日差しは柔らかく黄金色に染まっていた。

遠くには海が広がり、水平線へと沈みゆく太陽が水面を赤く照らしている。

波間に反射する光は揺らめき、まるで無数の宝石が散りばめられたように煌めいており、まるで僕らの旅路を祝福しているかのようだった。


そして、その景色を正面に座る藍原さんが静かに見つめていた。

頬に落ちる光は淡く、横顔を縁取る髪が透けるように輝いている。

瞳は夕陽を映し込み、燃えるような輝きを宿していた。


―――上り続ける観覧車のゴンドラの狭い空間の中、僕らが向かい合う距離は近かった。

だから、だろうか。

観覧車の窓越しに広がる海と空の壮大な景色よりも、僕の視線は自然と彼女へと吸い寄せられていた。


……やがて。


「……藍原さん……さっきの……やっぱり、ってことは、なにか確信が……?」


いくら覚悟していたとはいえ、自分から言うべきことを先に言われてしまった動揺からか、声はわずかに震えてしまった。

……いや、彼女にどう思われるのかという不安や恐れが一番大きな要因か。


藍原さんは僕の問いに少し首を傾げ、考えるように視線を外へ向ける。


「……うーん……確信、ってほどじゃないんだけどね? なんて言うのかな……ほら、言葉の選び方とか、物の見方とか……なんか、この世界の人とは違うな~って、ちょっとだけ思ってたんだよね」


彼女の声は柔らかく、責める響きは一切なかった。

むしろ、長い間抱えていた疑問をようやく口にできた安堵が混じっているように感じられた。


「言葉の選び方……?」


僕は思わず問い返す。


「あっ、例えばサークルでみんなが普通に話してる時! 陽太君だけ当たり前のことにすごく驚いたり、逆に誰も気にしないことを深く考えてたりしたでしょ? それって、この世界の常識を知らない人の反応っぽいなぁ~みたいな?」


彼女は笑みを浮かべながら言う。

そ、そんなに変な表情したりしてたかな……?

いや、してたか……。


「……それは……そう、だったかも……。それで……藍原さんは、僕のことどう思った?」


僕はそう自分で言いつつ、胸の奥に重いものが広がるのを感じた。

彼女がそういう人ではない、とは分かっていてもどうしても考えてしまうから。

大切なことを隠して今まで接してきたことが、裏切りだと言われても、それは仕方がないのだから。

けれど―――。


「えっ、ど、どう? って?」


彼女は目を丸くし、逆に問い返してきた。


「いやほら……僕がこの世界の人間じゃないって、ずっと隠してたわけで……い、一応今日言うつもりではあったんだけども……」


こんな重要な場面でも思わず保身に走る自分が恥ずかしいけれど、なんていうか……。


「あ、あ~! そういうね? うーん、でも私は嬉しいよ?」


彼女は肩をすくめ、照れたように笑った。


「嬉しい???? なんで???」


思わず声が裏返る。

その回答はまさに拍子抜けというもので、自分が全く想像だにしなかった答えだったから。


「だって、陽太君がこの世界にきてなかったら私たちは出会ってなかったってことでしょ? ……私、陽太君と出会えていろんなことに気づけて、本当に幸せだったから!」


――――っ!!


……考えてみれば、やはりこの人はそういう人だと、そう思う。

でも、それでもなお、どうしてこんな僕を信じてくれるのかという疑問が湧き上がってくる。


「………あの、僕のこと疑ったりとかしないの……?」


どうしても不安は拭えない。

こうして話しているけれど、本当は嘘だと思っているんじゃないかとか、本当に信じてくれているのかとか、彼女を信じることはできたとしても、僕が僕自身を信じられていない中で、どうして……。

胸の奥で重く絡み合う不安が、観覧車のゆるやかな揺れとともに広がっていく。

視線を落とせば、膝の上で握りしめた自分の手がわずかに震えているのが分かった。


「……? どうして? いやいや、だってこの数か月の中で陽太君がどんな人かは私はよく知ってるもん! それに、多分、燕尾先輩とか、笹草さんとかも信じてくれると思うよ?」


……僕は変わったと思っていた。

けれど、何も変わっちゃいやしない。


僕はやっぱり、どうしようもなく陰キャだ。

でなければ、さっきまで抱えていた不安が、こんな一言で消え失せる理由がつかない!!


……確かに、彼女の言う通りだ。

僕だけが彼女を見ていたわけじゃないことは、すでに燕尾先輩や、笹草さんから聞いて、十分に分かっていた。

……藍原さんが僕に好意がなかったとしても、それが僕を見ていない理由にはなり得ない。

彼女は確かに僕を見ていた。

僕の言葉を聞き、僕の反応を感じ取り、僕という存在を受け止めてくれていた。


そして、僕が彼女を見ていたのは――ただの好意だけなんかじゃない。

彼女の笑顔に救われ、彼女の言葉に支えられ、彼女の存在そのものが僕をこの世界に繋ぎ止めていたその事実を、今さら否定することなんてできない。


「……そうだね」


だから―――!


「……ありがとう。……こんなところで言うのは恥ずかしいけど……僕も、藍原さんに出会えて、本当に良かったよ! あの時、僕を助けてくれてありがとう!」


僕がそう口にした瞬間。

ゴンドラはゆっくりと頂上へ差し掛かった。

その時すでに陽は沈み、そこには社会で働く素晴らしい人たちの輝きが広がった。

そして、橙から紫へと移ろった空の色が、まるで二人の秘密を包み込むように染め上げていた。


その中で……。


小さく、でも確かに耳に届く優しい声音で、彼女は言った。


「……うん。……やっぱり、ちゃんと言わなきゃね……」


―――何を、とは、もう言えなかった。

彼女の紅潮した頬に、きゅっと結ばれた口元。

そして、僕を一直線に見つめるその視線は―――かつての日向さんや燕尾先輩、そして、笹草さんと全く同じ目をしていたから。


僕は、思わず視線を逸らそうとして……やめる。


「……っ」


僕はもう逃げないと決めた。

ちゃんと、彼女らに向き合うために。


「……どうかした?」


何を彼女が言いたいかはわかっている。

けれど、僕は今だけ知らないふりをして、そう首を傾げる。


陰キャの僕らしくはなかったと思う。

後で思い返したらなんでこんなことを言ったんだと悶えることもあるだろう。

でも、それでもこの時だけはこれが正しかったのだと、そう思う。


だって―――。


「わ、わたしね……よ、陽太君のことが……」


すべての始まり。

それは僕のトラウマの話なんかではなく、僕がこの世界に来たすべての始まり。

この貞操観念が逆転した世界で、新しい人生を歩むきっかけをくれたすべての始まりの人との―――。


「―――好きです……!」










―――最高の思い出が作れたんだから。



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― 新着の感想 ―
ちょっと前を読み直したら。そっか、誕生日に彼女とデートするというのは学祭の最終日に決まってたのね。 告白の順番って出会ったのと逆順になったのかな。ずっと見ていたという点では、彼女が一番なんだろうけれど…
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