第五十三話 十一月十三日 昼
落ち着いた雰囲気のカフェもそこそこに。
僕らは今―――なぜか一定のリズムで響く金属音に合わせて、ゆっくりと青空へと運ばれていっていた。
ふむ……男女二人で空の旅といえば何と答えるかね?
観覧車? 気球?
いやいや、待てよと。
だって僕らはカップルじゃないんだぜ?
友人という距離感、それでいて残されたものって言えば―――と、僕が昼下がりの陽射しの眩しさに目を細めながらも自分の隣の席に座る彼女――藍原さんを見ると、それはまぁ見事に楽しそうに前を見つめていらっしゃいますわ。
もうほんと……その表情は一点の曇りもない笑顔で……。
でもね? 実はずっと気になってたけど聞くタイミングを逃してたことがあるんだよね。
「……あのさ! 今更聞くことじゃないんだけど! ……なんでジェットコースターに……!?」
そう僕が思わず口に出すと藍原さんは日差しよりも圧倒的な輝きの表情でこちらを見た。
「えー!? だって陽太君が何か悩んでる顔してたから! これなら悩み事も全部吹き飛ばしちゃえるかなって思ってー!」
わぁお! なんて良い人なんだこの人は!!!!
つまり、いきなり遊園地に行ってジェットコースターに乗ろうと言い出したのは、僕に対しての彼女なりの気遣いだったのか……てっきり気でも狂ったのかと……。
ていうか……そんなにわかりやすく悩んでたかな……?
確かに今日は藍原さんに僕のことを知ってもらうから少し緊張はしてた気はするけど、それでももう流石にこの件を伝えるのも三回目だし悩んではないんだけど―――。
―――と、僕がそう考えを結論付けようとした矢先のことだった。
ガタンという重い音とともに、長い上り坂を登り切った僕らの座席は頂上に達し、ほんの僅かな平面に差し掛かる。
昼の陽射しが真上から降り注ぎ、視界いっぱいに広がる空に小さな人や建物群。
まぁ確かにこれを見れば、僕の悩みや緊張なんてもんはちっぽけなもんだな……と、そう思ったその瞬間。
藍原さんは再び僕の方へと振り返った。
なんだ? まだ実はジェットコースターが苦手だったりするのかな?
「ねぇ、陽太君」
「うん?」
それは、小さくも確かに風に乗って僕の耳に運ばれてきた。
でも……。
「私ね――――」
――――この瞬間。
僕は時の流れをゆっくりと感じていた。
心臓がドラムロールみたいに鳴り響いて、脳内は動揺と期待のループ再生。
……けれど、体感時間が遅くとも実時間というのは一瞬で。
これは陰キャの僕にとっては人生最大のイベント―――だったのだろうか―――――?
―――ガコンッ。
「 えっ、ちょっ、いたっ――――」
彼女の言葉を全て聞き終える前に視界が急に傾き、首が変な方向に曲がる。
そして―――。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!???」
―――冷たい風が顔面を殴りつけ、胃が浮き上がった。
余談だけど、僕はそんなにジェットコースターが怖いタイプでも酔うタイプでもない。
むしろ気持ちがいいぐらいでとても好きなほうなのだが……。
今日に限っては……!
今日に限ってだけは!!!!
「ぎゃぁああああああああっ!!!!!!」
藍原さんの言葉の続きに気を取られてしまったせいで視界が歪み、内臓が浮く感覚に身を震わせてしまうのだった――――。
◇
「いやー! 楽しかったね! ……って、陽太君、大丈夫? もしかしてジェットコースター苦手だったかな……!?」
予想外の空の旅を終えた後、藍原さんが頬を紅潮させたまま振り返ってきた。
その笑顔はまるで太陽みたいに眩しく……って、この表現を何回使うんだ僕は……ま、まぁとにかく、それほどまでに明るい彼女は、語るも恥ずかしいほどにフラついた僕の体を見て心配そうに声をかけてきてくれる……ので……。
「だ、だいじょぶだよ! 全然余裕!!」
僕は慌てて背筋を伸ばし、わざとらしく胸を張ってみせた。
……まぁ正直な話、さっき首が変な方向に曲がったことで多少首が痛む上に、僅かに胃酸が上がっている気もするけど、ここで弱音とアレを吐いたら僕はしばらく彼女の顔を見ることができなくなってしまう。
とはいえ、僕がこんなんになったあの話の続きを聞けるほどの度胸なんてものはいくら成長した僕だとしても難しく……。
「い、いや~! 楽しかったね~~!! おかげで嫌な気持ちは全部吹き飛んだよ!」
「……そっか! それならよかったよ!」
苦し紛れに誤魔化すも、藍原さんは肩をすくめて笑いながら小首をかしげた―――と、その時どこからか遊園地ならではの昼時の香ばしい匂いが漂ってきた。
藍原さんもそれに気が付いたのか、思い出したかのように提案する。
「あっ、ねぇ、陽太君。お腹空いてきたでしょ?」
「う、うん!」
「じゃあ、ご飯食べよ! あそこにレストランっぽいのあるからさ!」
そう藍原さんが指差した先には、ガラス張りの明るい店内が見えた。
小さな遊園地にしては珍しいカジュアルな洋食屋。
「おぉ……いいね。座って落ち着けそうだし」
「決まり! 行こ!」
そうして彼女は軽快な足取りで店へ向かい、僕はその後ろ姿を見ながら思う。
……どのタイミングでいうのが正解なんだ……!? と――――。
◇◆◇
軽い大学内での雑談や、サークルの状況などを話しながら昼食を終えた僕らは今度は、遊園地の一角にあるゲームセンターへと足を運んでいた。
古臭くも色とりどりのライトが瞬き、電子音が絶え間なく響くその空間は、外の陽射しとはまるで別世界のようだった。
「わぁ~! 懐かしいね、こういうの!」
そう言って藍原さんは蛍光灯の光に照らされた古びた筐体を見渡しながら子供のように瞳を輝かせていた。
その視線の先には、クレーンゲームやレースゲーム、さらにはシューティングゲームまで並んでいる。どれも最新型とは程遠く、ボタンの色は少し褪せ、画面には微かなノイズが走っていた。
だからこそだろうか、驚くことにこの中のゲーム機はそのどれもがワンコイン……それも十円玉一枚で遊ぶことができるらしい。
……ここまでくると、もはや潰れかけというより潰れに向かっているようにも思えるけど、ありがたく享受できるものは受け取っておこう……。
と、その時。
彼女の横顔を見ていた僕の脳裏に、過去の記憶がふっと蘇る。
「……ねぇ、藍原さん。最初にこうしてゲームセンターに来た時のこと、覚えてる?」
それは、かつての日の記憶。
僕と彼女が、初めて出かけた日の記憶。
僕がそう問いかけると彼女は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「もちろん覚えてるよ! あ、でも……今思い返すと私、ちょっと浮かれて変なことしてたかも……」
「浮かれて?」
「――っ! いやいや! ほら、その……男の子とゲームセンターに来るの初めてだったから、つい舞い上がっちゃってっていう意味で! ……って、あ、そういえばあの時『また来よう』って約束したのにさ、結局こんなに時間が経っちゃったね……」
彼女は照れ隠しのように肩をすくめ、それに僕は苦笑しながら頷いた。
「あぁ確かに。でも色々あったからそんなに経ってる気しないかもなぁ」
「……うん。そうだね!」
あの時から考えれば、僕らが出会ってからもうすぐで一年になる。
僕がこの世界にきて、こうして楽しんで過ごせているのは、貞操観念が逆転しているからというものを入れたとしても多分、彼女と出会えたことが一番大きな要因だろう。
言葉の余韻が残る中、微妙な沈黙が流れる。
ふと、僕は気恥ずかしさを紛らわせるように近くのレースゲームの画面へ視線を移した。
「あ、ねぇ、せっかくだからまた勝負しない?」
「……いいね! でも手は抜かないよ~!」
そうして僕らは古びた椅子に並んで座り、ハンドルを握る。
コインを入れると車体を選ぶ画面へと移り、二人とも手慣れた手つきで早々にレースが始まる。
画面がカウントダウンを始め、周囲の喧騒が一瞬遠のいたように感じられた。
そして、スタート直前。
藍原さんがジェットコースターの時と同じように、ふと僕の方へ顔を向ける。
なんだろうと思う間に、そうして彼女は僅かに首を傾げてこう言った。
「……陽太君さ……もしかして、別の世界から来たりしてない?」
「―――……えっ!?」
―――その言葉に、僕は足に力が入って強く踏み込んでしまい。
結果として大差で敗れることになったけれど、そんなことは今はどうでもよかった。
僕の頭の中は、彼女の言葉の意味を探ることでいっぱいだったのだから―――。




