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第五十一話 冬の寒さと心の温かさ



十一月の初旬。

秋という季節の陰りは一切鳴りを潜めて寒波が押し寄せるこの時期。

人々は防寒着に身を包み、足早に目的地に向かおうと闊歩している。


―――して。


一方の僕はというと、ジャズチックな音楽が流れる暖かい店内で、呪文のような長い名前の飲み物を片手にその光景を眺めていた。

……正直、ネットでこれが美味い!と言われていたものを真似して頼んだだけなので何が入っているのかは分からなかったけれど、コメント欄ではかなりの高評価だったこともあって頼んだワケだが……。

まぁ……うん。

飲んでみれば僕は追加のシトラスとは仲良くできないという結論に至った。

ネットの高評価を信じた僕が悪いのか、この世界における男子の味覚が特殊すぎるのか……。

―――とそんなどうでもいい思考はさておき。

僕は飲み物を一口飲んでから改めて、僕の隣に座る彼女にこう言った。


「……あの……心愛……? どうしてこんな場所で……?」


僕がそう問いかけると、横にいる女の子―――笹草心愛さんは少しだけ肩をすくめて、ストローをくるくる回しながら答えた。


「……え、っと……おっ、男の子ってこういう茶会処が好きなんでしょう? だ、だから……ちょっと秘匿の書を紐解き、禁断の知識を求めて調べてみた……っていうか……?」

「えぇ本当に? ありがとう……!」


僕が感謝すると同時、彼女は少し照れたように笑ったが、すぐにハッとした表情を浮かべて両手を前に出して先の言葉を訂正するように手を振る。


「ってそういえば違うのよね!? ええっと……陽太的には幻影遊戯殿とかのほうが良かったのかしら……?」


――と、僕はその彼女の一言に思わず目を丸くした。

……あぁ、もちろん幻影遊戯殿のほうじゃないからね?

重要なのは先の言葉。

それはつまり、彼女は僕が昨日打ち明けた異世界転移の話をちゃんと受け入れてくれているということの証明で……っていやいや。たとえこれが僕の世界だったとしても真面目な話し合いをゲームセンターでやるのは流石にないよな。

……ない、よな?


「うーん……流石に僕のいた世界でもこういう話し合いでゲームセンターはない、かなぁ……?」

「っ、そ、そうよね~!?」


そうして彼女はあまりの恥ずかしさに顔を赤くして目を背けた。


その仕草が、なんというか……ううむ……。

女子高生に抱く感情としては危うい響きがあるけれど、どうしても"愛おしい"と思ってしまうのは仕方がないものなのだろうか……?

犯罪臭が漂うのは否めないけど、元の世界での女子大生が男子高校生を可愛いと称するのと似たようなものだと思えばいいのだろうか?。


――しかし、不思議なことに。

これだけの行為で僕は彼女が今、僕に対してどんな気持ちを抱いているのか、なんとなく理解できた気がした。


だから僕は、窓の外に目をやる。

そこには女性が男性に腕を組まれて歩いているカップルの姿があった。

楽しげに歩いている二人は、まるでそれが当然かのように街に溶け込んでいる。


僕はその光景を笹草さんに軽く指で示し、口元に小さな笑みを浮かべながら言葉を投げた。


「……僕のいた世界ではさ、ああやって腕を組むのは女性側が多いんだよね」


僕がそう言うと、心愛さんはぱちりと瞬きをしてから、窓の外のカップルへ視線を移し戸惑ったような声を上げる。


「……え? ええと、それ、って……羞恥という名の業火に身を焼かれるんじゃ……?」

「う~ん……まぁ僕の感覚はこの世界の女性側に近いから僕も恥ずかしいとは思うけど……でも、好きな人に腕を組まれたら嬉しいとは思うかなぁ――」


――と、そこで、僕はしまったと思って笹草さんから視線を外す。


…… いやいや、目の前にいるのは告白してくれた本人ぞ??

「好きな人に腕を組まれたら嬉しい」なんて、彼女に言える立場か僕は?????


「そうね……~~~って、そ……その言葉を我に投げかけるなんて……命知らずにも程があるわよ……!」


して案の定。

笹草さんは顔を真っ赤にして、ストローをぎゅっと握りしめていた。

僕は慌てて話題を逸らそうと、再び視線を別の方向へ飛ばす。


「――――あ、っと……まぁ、あの……あぁほら! そ、それにあっちの会計してるカップルを見てよ!」


示した窓際のレジ前では、今度は別のカップルが支払いをしているところ。

そこでは男性が財布を取り出すのかと思いきや、当然のように女性がカードを差し出している。

勿論人による、といえばそれまでだけど、それでもこの世界では"女性が奢る"ことは珍しいものではなく、むしろ自然な光景として捉えられている。


僕はその様子を指さしながら、心愛さんに説明する。


「こういう場所の会計ってさ、こっちでは女性がよく奢ったりするじゃん? でもさ、僕の世界ではこういうのも逆だったりするんだよね」

「えぇそうなの!? でもそれってなんだか不思議ね? まるで貞操観念だけじゃなくて、因果律が逆転して虚構が現実を侵食しているみたいな感覚じゃない……!」


彼女はそのまま、顎に指を添えて考え込む。

"逆転"という言葉を口にした途端、頭の中で様々な物事をひっくり返しているのだろう。

「もし空が海で、海が空だったら……」「もし昼と夜が逆だったら……」といった具合に、小さく呟きながら想像を膨らませている。

……まぁそんな大規模な変化ではないのだけど、楽しそうに想像を膨らませているその姿は、まるで魔法書を読み解いている魔術師のようで――いや、実際はただの女子高生なんだけども――僕はその様子を見て、つい笑みをこぼしてしまった。


すると、心愛さんはふと何かに気づいたように、ぱっと顔を上げる。

そして、少し真剣な声で僕に問いかけてきた。


「あ……ねぇ陽太。誤解なら悪いのだけど……もしかして、私の好意までもが反転の呪縛に絡め取られていると疑っていたりするのかしら……?」

「……あ~……」


――ふいにかけられた彼女の芯を食うその言葉に、僕の心臓が一瞬だけ跳ねた。

彼女の瞳は真っ直ぐで、冗談ではなく本気で僕の心を探ろうとしているのが窺える。

……けど、その問いに対する答えを、僕はもうすでに手にしている。


「……少し前なら、そう思ってたんだけどね。……今は思ってないよ。……ちゃんと受け止めてる……いや、受け止めてるっていうとちょっと変かもだけど」


自分でも歯切れが悪い返事だと分かっていた。 けれど、彼女に嘘をつくわけにもいかない。

この世界に来てから、多くの人と出会い、多くの経験をした。

その過程の中で、僕という存在を好きだと言ってくれた人がいた。

……けれど、そのすべての人がとても魅力的で、誰を選ぶとか、誰と付き合いたいとか、僕にはまだ答えは出せていないから。


――と、心愛さんはそんな僕の曖昧な答えを聞いて、少しだけ目を細める。

そして、わざとらしく肩をすくめてみせた。


「あら、言葉を濁すのね? もしかして他の乙女たちにもすでに愛の契約を迫られてたりするのかしら?」

「―――――っ、そ、れ……は―――」


そのあまりにも的確な言葉に喉がひゅっと詰まる。

心臓が跳ね、頭の中ではどう答えるのが正解なのかを瞬時に脳内で考え始める。

――しかし。

想定に反して心愛さんはそんな僕の反応を見て、くすっと笑った。


「―――なんてね。ただの戯れよ? 私としては陽太がそう思っていないのなら、それで構わないもの。……(というか知ってたし……)」

「……そっか。……ありがとう、心愛」


その彼女の善意に僕は素直に礼を言った。


……けれど。

最後に小声で言ってたのも聞こえちゃったけど知ってるってなんだ!?

どっちだ!? どっちなんだ!? いや聞けないよな!?

――と思うのもつかの間。


「……その代わり、もう少し陽太の話を聞きたいわ! 異世界ってどんなところなのかしら!? どうやってこっちに!? いつから気づいたの!? 初めて―――」


心愛さんはストローを軽く揺らしながら、期待に満ちた瞳で僕を見つめてきた。

その目はまるで道の宇宙人と出会った少年……いや、少女か――のようで、僕は観念して頷く。


「……落ち着いて落ち着いて?? ……もちろん。いくらでも話すよ。っと、その前にお腹空いてない? 僕が奢るよ」

「えぇ!? いいわよ!? って、あれ? でもここで貢ぎを受けることこそが真理の道なのかしら……!?」


僕のその提案に笹草さんは目を丸くして、次の瞬間には肩をすくめて笑った。

その笑顔は、少し困惑しながらも楽しそうで、まるで"逆転世界"を楽しんでいるみたいだった。


「まぁその話も後でちゃんと聞かせてよね! ほら! 行くわよ陽太! 捧げられし饗宴……我が舌を満たすのは果たしてどの禁断の料理か……! なんて。何食べようかしら! ふふっ!」



――ただ、そんな風に笑う彼女を見て、僕はなんとなく。





……なんとなく、ある予感を感じ始めていた――――。







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