第四十八話EX 偽りの姿と本当の私
私も昔は普通の人間だった。
……いえ、それだと御幣を生みそうな言い方だけれども……と、とにかく!
今の私を形作っているのは、嘘や虚勢と言っていいぐらいには本当の自分じゃないってこと!
……ほんと、いつからそんな自分になってしまったのか。
――なんて。いくら口で格好つけたって、私は今でもはっきりと覚えているわ。
というか忘れようにも忘れることはできないのよね……。
私の中のもう一人の自分。
偉大な天使より使命を授かった者が生まれる瞬間を。
◆◇◆
私は幼いころから割と裕福な家庭で何不自由なく暮らして育って、何不自由なく生活をしていた。
特に友好関係も問題なく、まさに普通……いえ、少しだけ周りより充実した毎日を送っていたと思うわ。
小さなことでも喜べる幸せな日々。
漠然とだけど、大人になってもこうした穏やかな日々は続いていくのだろうと思っていた時代もあったわね。
……けれど、その平穏は小学校、中学校、そして高等学校と、周囲の環境の変化によっていとも容易く崩れ去ることになったの。
"カースト制度"というものを知っているかしら?
元の語源ではどこかの国の制度だったらしいけれど、今やどの世界でも使われるようになった言葉。
まぁ、簡単に言えば、人間による人間の格付けね。
まったくもって愚かな行為だと思うけれど……でも、正直私は同じ人間で同じ年代の人だとしても確かな格差があることは事実だとも思う。
だって―――。
運動ができる人や勉強ができる人の一方で、運動や勉強ができない人だっている。
美容に詳しい人や性格が良い人の一方で、そうではない人ももちろんいる。
目立ちだがりやお調子者がいる一方で、あまり目立ちたくない人や小心者の人もいる。
これらを今では個性や多様性なんて言葉で表すけれど、結局のところこれってみんなも世の中の人間を常に無意識的に区別をしているってことなんじゃないかしら?
当然これを差別、とまでは言わないけれども様々な性格や容姿の人がいることから少なくとも何かを基準にして上下がつけられることは仕方がないことなのかもしれないでしょう?
現に、私の容姿は世間の中で優れていることから、それで世の中得をすることだってあったもの。
……ただまぁ。
人生において得を得ることがあるということは、必ずしもいいこととは限らないのよね。
学校のクラスの中のさらに小さい世界。
グループと呼ばれる集団の輪においては、先に言ったカーストの頂点に位置する社会的強者の一言で一人の人生が変わることだってある。
恐ろしいでしょう?
でもこれが現実なの。
私はこのカーストにおいては無難な位置にいたと思うけれど―――って色々と前置きを挟んだけれども、私がこうなったのを簡単に言えば―――。
「おいお前、私の彼氏に手出してんじゃねぇよ」
当時高校一年生の頃に、上級生から言われた一言から始まった出来事かしら。
上級生の話を聞くところによると、どうやらこの上級生の彼氏という人物が、私を好きになったから別れたいだの言っていたとのことらしいわ。
……当然、私は何のことかわからなかった。
後から聞くところによれば、まさかのそんな事実はなく。
ただ、その彼氏が私のことを可愛いといっただけでこの上級生が"勘違い"を起こして私に八つ当たりをしていただけなのだけれど……でも、この小さな学校というコミュニティの中では噂なんてものは瞬く間に広がり、私は高校一年生にして『寝取り女』などというあだ名をつけられてしまった。
耐えられるはずがないでしょう?
今まで普通に生きてきただけなのに、人ひとりの言動でこんなにも変わってしまうことが怖かった。
理由はあれど、理屈はない。
ただ、一人が気に食わないと言っていたから私も気に食わないと言わなければいけないという同調圧力のようなものがあそこにはあった。
小さな学校では先輩という存在は否が応にもカーストの頂点で、拒否すればそこからすぐに弾かれ、孤立する。
昨日の友は今日の敵、ってところかしらね?
私と親しくしていた友人も、そのカーストを気にしてか、私を信じることなく去っていったわ。
―――まぁそれはいいとして。
要はそこから上手くやることができなかった私は学校に通うことができなくなってしまったの。
学校にも行かず、日々勉強したり漫画を読んだりするだけの毎日がしばらく続いた。
退屈な毎日だったけれども、私はそこで運命の出会いをしたの!
……それは、ある作品に出てくるキャラクターのとあるセリフ。
『僕は誰かによく思われなくても! 非難されても! ただ、世界に秩序をもたらし続けるだけだ! そうすれば、いつか同じ意思を持つものが自然と現れるのだから―――ッ!』
その言葉は、当時の私にとってなによりもの価値があった。
先の出来事から、人に見られるのが怖かった。
視線がこちらに向くだけで私の悪口を言っているんじゃないかとか、学校でも今でも悪口のネタにされているんじゃないだろうかって考えていた。
でも、この作品のキャラクターは言った。
自分を貫いていれば、いつか自分と同じ意思を持つ人と出会えるのだと。
そういわれて改めて考えてみれば、なんのことはなかった。
変に思われるからなんだっていうんだ。
悪口を言われたって構わない。
私は私を貫き通せばいいんだって。
そうして私はそのキャラクターを好きになり。
何度も、何度も読み続けていくなかで、いつしか好きは憧れになり―――。
「―――ふふ……今日も世界は私を待っているようね、ウォート……」
―――大きな影響を受けていた。
鏡の前でポーズを決め、制服のリボンをあえて少し斜めに直す。
少し気恥しいけれど、それでもそのたびに私は彼の言葉を、彼自身を思い浮かべる。
何度目かのポージングを取っていた時、ふと、運命の転換期を知らせる音が天界の門の向こう側から響いた。
「……おはよう、心愛。起きてる……? ごはんできてるけど……食べられそう……?」
その瞬間、私はくるりとマントのようにカーディガンを翻し、一呼吸の後にその天界の門を堂々と開け、驚きの表情に満ちた我が賢父に対して高らかに宣言した。
「とっ、当然よ! えっと……わ、我が母なる者よ! 今日は運命が変わる日なの……! 我が……いえ、私の旅路を見守ってくれるかしら!!?」
お父さんは……っとと、我が賢父は当然一瞬固まったけれど……次の瞬間には一筋の涙を流した後、ふっと笑った。
「……心愛……? ……いいえ、違うか? えっと、そんな素敵な貴方のお名前はなんていうんだい?」
その時、私は改めて彼の言葉を思い出していた。
いつか、自分と同じ意思を持つものが現れる、と。
その第一号が家族だったとして。
他に自分を認めてくれる人はいるのだろうか?
「……っ! ふ、ふふっ! よく聞いてくれたわねっ!!!! 私の名前は……グラス! グラスよ! 最高位の天使から付けられた世界の秩序を守る名なの!!」
―――結果から言えば、この後に家族からは普段通りの私のほうでいてくれたほうが嬉しいという意見があったためにこれ以降、家族とは普通に接しているのだけれど……。
「ふふ。素敵な名前だね、グラスちゃん? 美味しいご飯があるから、一緒に食べようか! 世界に秩序をもたらすのはその後でもいいかい?」
そう笑う父の姿を見て、私は偽りのこの自分を誇りに思った。
今だけは、認めてくれるのは家族だけでいい。
だけど、いつか。
いつかウォートのように、自分と同じ意思を持つものを見つけることができたなら。
私は――――。
「うんっ! あっ、いえ、当然よ! この世界に真の秩序をもたらすために私は行くんだから! そしてこれが私の第一歩よ!」
◆◇◆
そして。
「えっと、ど、どうして、ここに誘ったか……よね……?」
今、私の目の前にいる、一つ年上の男の人。
淡い橙色の光に照らされて光る貴方の姿は、まるで私を救ってくれたあの人のようで……。
……いえ、違うわね。
貴方は私のことを本当に救ってくれた。
……そして、私のことを認めてくれた。
でも、私はこれを運命とは呼ばない。
呼びたくない。
……だって、私が偽りの自分でなくいられるほどの貴方を誘うのは決して運命なんかじゃなくって。
「その……」
私と同じ道を歩んでくれた貴方に対して。
私がちゃんと心に決めたことだから。
だから今日――――私はこのハロウィンだけ、偽りの姿から本当の姿へと戻るの。
これはグラスとしての意思ではなく。
笹草心愛の意思として。
たった一人の女の子として―――――。
「よ……陽太のことが――――好きだからっ……!」




