第四十二話EX 貴方だけを想って
後夜祭前。
僕は藍原さんに呼ばれ、彼女の疑問に答えるために僕の作品がある場所に向かい――。
―――藍原さんから、感謝してもしきれないほどのものを貰った。
彼女の事を思って断ることも出来たけれど、しかし何よりもそれが彼女への一番の侮辱だと気づいた僕は、その気持ちを純粋に受け止めさせてもらった。
彼女――藍原さんは一年生とは思えないほどに達観していて、自然に気も遣えて、年上だろうと年下だろうと決して壁を作らない。
彼女と接して既に数か月経つが、出会った当初からは考えられないほど一緒にいることが多かった。
その根底には陽太君という共通の想い人がいたけれど、それを抜きにしても僕は藍原さん自体のことが友人として好きだと思う。
僕が先輩であろうとも物怖じせずに声をかけてくれ、対等に接し、なにより芸術家としての僕を知ってさえ態度を変えることをしなかった彼女は、僕にとって本当に大切な一人だ。
だからこそ、僕は彼女の言葉の意味をすぐに理解することができたのかもしれない。
―――本来、僕にはなかったはずのチャンス。
水仙祭最終日の藍原さんの勇姿を見て、正直僕も感動してしまった。
だから、きっと藍原さんが最優秀個人賞を取るのだろうと確信し、せめて好きな人に自分の名前を呼んでもらうことを最後の思い出にしよう……と考えていたけれど。
彼女はこんな僕にチャンスをくれた。
なら……ここまで御膳立てをしてもらっておいて、そんなもので満足してなんていられないだろう。
藍原さんから受け取ったからには―――必ず彼に想いを伝える。
それが、僕にできる彼女への誠意だから―――――。
◆
舞台に選んだのは、この鳳仙大学で僕が毎年水仙祭の後に足を運んでいたテラス空間。
一年生時に美術研究部を辞めようと思い悩んだ時。
二年生時の学園祭で最優秀個人賞を取った時。
そして今日という特別な日。
上を見上げれば、数えきれないほどの星々が夜空に浮かび、こちらを見下ろしている。
どれだけ距離があろうとも、この惑星に輝きを届けるその輝きはまるで僕の好きな人のようだなと、ふと思う。
吹き付ける秋風が、僕の頬を撫で、背中を押すように流れたその時。
待ち望んだ彼の声が聞こえた。
「うわっ、涼しくて気持ちいい~~~~!!」
男の子にしては少し高く、あどけなさが残る無邪気な声。
暗い時でも元気にさせてくれる明るいその声に、僕の口角はどうしようもなく上がってしまう。
声のする方を振り向くと、彼と目が合い、お互いに少し顔を赤らめるこの状況だけで胸がいっぱいになる。
僕は少し深呼吸をして、笑顔で彼の名前を呼んだ。
「あ、よ、陽太君。来てくれたんだね」
「すみません少し遅くなって……どうしたんですか? 燕……つ、司先輩!」
名前を呼びあう。
ただそれだけのことなのに、鼓動は早まり、身体は熱を帯びる。
そして彼はそう言いながらも僕の隣の席に座り、少しだけ肩が触れた。
触れた場所が熱い。
ここだけまるで世界から切り取られた空間のように。
「――それで、話ってなんですか?」
と、僕の意識を戻すように彼がこちらを向いた。
その優し気な顔に、僕はあらかじめ考えていた言葉が頭から消えてしまう。
「えっと……あ~、あ、そうだ、水連大にはさ、こ、こういう場所はあるのかい?」
何を聞いているのだろうか、と自分でも思ったけれど、しかし陽太君は相変わらず優しい顔で答えてくれた。
「いや、それが水連大は結構運動施設が多いからこういうお洒落な場所はないんですよね。めっちゃ羨ましいですこれ」
「あはは、そうなんだ。……ら、来年は水連大にでも行ってみようかな?」
「おー! いいじゃないですか! じゃあその時は僕が案内しますよ!」
そう屈託なく笑う君は……。
「っ……、それは、来年が待ち遠しいね」
夜空に浮かぶどの星よりも眩く、僕は思わず顔を逸らしてしまった。
……そして同時に、心の中で深い溜息を吐いた。
僕は今まで生きてきて、恋愛というものをしたことがない。
だから、いつ告白をすべきなのか、どのタイミングなら不自然じゃないのかがわからない。
……プライド、というものか……できることなら陽太君には僕がこういうことに慣れてないと思われるのは避けたいし……ううむ、どうすべきか―――。
「あの、燕尾先輩……?」
っ!?
「なっ、なんだい……?」
驚いた……!
急にどうしたんだ?
す、すごい真剣な顔して……って、エ、これ、もしかして逆告白もあったりするんじゃ――――!?
「すみません……燕尾先輩は、自分が最低だと言っていましたが……実は僕も最低な人間なんです」
いや~~~そんなそんな……いや、ん? 今なんて???
最低な人間……?
……え、何の話だ??????
なんかめちゃくちゃ申し訳なさそうな顔してるし……なんだ???
「……えっ、なにを……ん、どういうことだい?」
「実は……燕尾先輩と出会ったとき、僕は、燕尾先輩のことを男性だと思ってたんです……。それも、僕も水族館の時まで……」
……男性と思ってた?
誰を? ん、僕を?
……いや、確かに一人称は僕だし、人より男の子っぽい顔立ちはしてると思うし身長も高いし……けど、ちゃんと初めて会ったときに説明……いや、してないな?
いやでも今まででそういうことも……あった……だろうか? あれ?????
も、もしかして……本当に?
「そ、そうだったのかい?」
「……はい……それに、そのことについて、僕は燕尾先輩に嫌われないようにと黙っていようとも思ってしまったんです……。もっと早く謝るべきだったのに……」
うわぁ、確かに言ってなかったな……。
そんな序盤から僕は馬鹿な勘違いをしていたのか……。
しかし、そんなことを気にしてくれていたのか……少し悲しいけれど、今まで僕がしていた勘違いに比べたら軽い……あれ、今なんて言ってた???
嫌われると思って????
そ、それってつまり、裏を返せば嫌われたくなかったってこと??????
え、え、だって、それって。
「……そうか……でも、僕に嫌われないように……って、陽太君が? どうして?」
僕がそう疑問を口にしたとき、彼は一気に顔を赤くしてすぐに手をぶんぶんと横に振りながら訂正していた。
「あっ、いや! そうじゃなくはないんですけど! えっと―――!」
しかし……そうか。
僕は彼にとってちゃんと女の子でもあったわけだ。
そう認識したとき、自然と、言うべき場所はここなんじゃないかと……ふと、思った。
「あはは、わかってるよ。……だって、僕もそれを伝えたかったから……」
心臓が口から飛び出そうなぐらい拍動は増し、血が全身に巡っているのを感じる。
視界は彼以外のものを認識せずにぼやけて見え、まるでこの広い世界に二人きりだけのような感覚がする。
「僕も……って、え、どういう―――?」
彼がそう言いかけた口を、僕は人差し指で抑える。
だって―――。
「ねぇ、陽太君、本当はもう気づいてるよね……?」
きっと僕の顔は、今は普通じゃないだろうから――。
「~~~~っ、いや、その……まぁ……なん、となくは……ですけど……」
僕はその言葉を聞いて、意を決するという意味を込めて立ち上がり、柵に腕を乗せると同じように彼もまた柵に腕を乗せた。
僕の身長が高いせいか、彼との距離は近く、耳の奥まで響く心臓の音が聞こえてしまっていそうで息苦しくなる。
けれど、ここまで来たのなら、もう行くしかない。
「ねぇ、陽太君。……答えは今出さなくてもいいから、僕の言葉を聞いてくれるかい?」
その言葉を聞いた彼は、小さく頷いた。
多分、僕の意図もすべて伝わっているのだろう。
……改めて、彼をミナトくんと呼んでいた自分が愚かだと思う。
彼は確かに一人の、遠野陽太という男の子で―――。
「……最初は、ミナトくんに陽太君を当てはめて、一人で盛り上がっていた。……けれど、そうじゃないって気づいたとき、僕の中である疑問が浮かんだんだ。陽太君がミナトくんでないのなら、どうして今も僕は陽太君のことが気になっているんだろうかと。……よくよく考えればすぐにわかることだったんだけど、かなり遠回りをしてしまった……」
素直で真っ直ぐで、人の痛みに気づける優しい男の子。
時々見せる子どもっぽい無邪気な笑顔で、一緒にいると安心する男の子。
「……陽太君。僕が描いた花を覚えているかい?」
「……彼岸花……」
「そう、そして、紅い彼岸花にはね、こういう花言葉もあるんだ―――」
僕がそう口にしたと同時。
構内から一筋の白煙と、甲高い音が放たれた。
そして。
「……想うは、あなた一人、って」
僕がそう言うのと同時に盛大な紅い華が空に咲き誇った。
しかし僕らはそれを見ることなく、お互いの顔だけを見ていた。
思いをちゃんと伝えるために。
或いは、想いをちゃんと受け取るために。
……どうしてだろうか。
ほんの数分前までは、この気持ちを伝えるタイミングすらわからなかったというのに。
どう言えばいいか分からない。
どんな顔をすればいいのかも分からない。
でも今だけは違った。
陽太君のその眼差しを見ていると、言葉が胸の奥から自然にあふれてくる。
焦がれるような思いが、もう抑えきれない。
陽太君が真剣に僕の話を聞いてくれるから?
それとも、夜空に打ち上がる花火が背中を押してくれたから?
いいや、違う。
多分。そのどれもがそうで、そうじゃない。
これはきっと、僕の心がもう黙っていられないほど強く叫んでいるからだ。
どんなに有名な美術展に作品が展示されようとも緊張することのない僕は今、誰にも見せたことのないほど震えている。
それは、決してこれが軽い恋なんかじゃないことを示している。
僕の中で確かに芽生えて、育って、今、咲こうとしている小さくも確かな華。
もし、拒まれたらどうしよう。
この関係が壊れてしまったら?
……そんな不安は、とうに通り過ぎた。
もう、止まらない。
溢れ出る気持ちが、言葉が、感情が。
今、僕の中で叫びだす――――。
「陽太君……僕は……どうしようもなく、君が好きだ」
多分声も震えていた。けれど、それは怖さからじゃない。
むしろその感情は、ようやく本音を言える喜びに近い。
今まで勘違いしてたから、信じられないかもしれない。
けれど、誰が何と言おうと僕は君のことが好きで好きで仕方がないんだ。
今すぐ君の笑顔を独り占めしたい
他の誰にも触れさせたくない。
君の隣には僕だけがいたい。
―――けれど。
「……付き合ってほしい、なんてすぐには言わない。……君が何を思っているかはなんとなく検討がつくし、僕も事情を知っているから。……けれど、僕は三年生で、陽太君は一年生。……僕には時間がないから、どうしても伝えたかった」
「……はい」
―――それを叶えることは、今の僕にはできない。
なぜなら……。
「……ちゃんと聞いてくれて、ありがとう……そして、その代わりといってはなんだけど……」
「……?」
ねぇ陽太君。君は知っているだろうか。
今の僕がこうして想いを彼に伝えることができたのは、一人の優しい女の子がくれたからだってことを。
だから、僕は彼女が勇気を出すその日までは、我慢しようと思う。
……まぁ、思うけれど……僕としてもそう長く待てるほど時間がないからね。
……陽太君や彼女には余計なおせっかいかもしれないけれど……僕にできることはなんでもしようと思う。
―――例えばそう。
僕がバイト先で知った君の―――。
「もうすぐ来る君の誕生日に、藍原さんと、一緒にお出かけしてほしいんだけど……どうかな?」
十一月の十三日。
君がバイト先で話してくれた、一年で一番特別な日。
君は十三日の金曜日という不吉な日に生まれたと自虐していたけれど……今年はきっと、いつもよりもとても特別な日になることだろう。
「えっ、どうして……って、いや、なるほど……そういうことだったんですね……。……わかりました」
「ふふ、わかってくれるなんて、さすが陽太君だね……あ、それと―――」
……そして、今日という日も、君にとって特別であってくれたらいいな――――。
「――――ん?」
僕の唇が、彼の頬に触れたその瞬間。
夜空にという無限に広がるキャンパスに、紅い華がいくつも描かれた。
それはまるで誰かがこの空間を、この時間を祝福しているかのように、夜の帳が色とりどりに染まっていく。
激しく打ち上がる花火の音は、まるで今の僕の鼓動に呼応するようだった。
ふと、空を見上げる。
光の残像が瞼の裏に焼きつくように何度も、何度も視界いっぱいに広がる。
赤、橙、紫、そして金。
すべてが一瞬で現れ、そして儚く消えていく。
花火の音が身体の芯に響くたびに胸の奥が、なによりも唇が熱を持つ。
―――きっと、僕は君と出会っていなかったら今日という日をこんな気持ちで過ごすことはできなかっただろう。
こんなにも祭りが終わるのが惜しいとも、こんなにも花火が、星が、夜空が綺麗だとは思わなかっただろう。
私は今、確かにこの空の下で生きている。
大切な人と共に同じ時間を、同じ景色を見つめている。
それだけで今はもう、十分すぎるほどに幸せだった。
夜風は涼しく、柔らかく僕の横を通り過ぎていく。
それは、風がもう、僕に後押しは必要ないと言っているようだった――――。




