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第四十二話 私の想いと覚悟



午後九時。

三日間に及ぶ水仙祭、そしてそこから二時間ほど続いた後夜祭も終わり、ようやく私は静かな自分の家に辿り着いた。

靴を脱ぎ、そのまま着替えもせずにソファへと倒れこみ、瞼を閉じる。


瞼の裏に映るのは、今日の激闘の瞬間と、一人の先輩の表情。


「っ、はぁ~~~~~~……」


私はため息を吐きながら、携帯電話に映った連絡通知を見る。

この家に帰ってくるまで何度も見たその連絡は、何度見ても一言一句違わず、一言だけ書かれていた。


―――"告白したよ"、と。


……。


……燕尾先輩との事前の賭け。

どちらがより来場者の評価を得て、最優秀個人賞をとれるかという勝負の行く末は―――なんと私の名前が呼ばれるという結果になった。


その時点で私の勝利は決まっていた。

美術研究部の席にいた陽太くんもわざわざこちらを見てまで拍手をしてくれた。


……だから、本来ならば私が陽太くんと後夜祭を過ごし―――告白をするはずだった。


以前、私と燕尾さん、そして高校生の笹草さんと、告白をしないという契りを交わし、私たちは今の今までこれを守ってきていた。


……ただ、まぁ、高校生という時間の縛りか、私たちよりも接する機会の短さからか……。


先日、笹草さんから、想いを伝えてしまいましたと連絡があった。


うん……。正直な話、想いを伝えるのが普通で、こういう協定があったこと自体が異常なのにも関わらず、想いを伝えてしまいましたと反省的な文章だったあたり、彼女の言動はアレにしても根は真面目でいい子なんだろう……。


ま、それはそれとして。

彼女が陽太くんに想いを伝えてしまった以上、この協定は意味を成さなくなってしまった。

嬉しい誤算だったのは、陽太くんがちゃんと告白を受け止めて、返事に時間をかけるタイプだったこと。

優しいがゆえにすぐに返事をするタイプかと思ってたからあの協定をしたというのに……もう、こんなことなら早く伝えていれば……なんて思うのは結果論だものね。

……だから、私たちもできるだけ早く彼に気持ちを伝えようという話になったのだけれど……でもやっぱり気持ちを伝えるなら何かしらのイベントの時のほうが印象に残りやすいし、気持ちも盛り上がるんじゃないかと思って後夜祭に言おうと思ってた。


そしていざ、賭けに勝って、想いを伝えようとした。


だけど―――。





―――後夜祭開始三十分前。


閉会式も終わり、陽太くんのアイデアでみんなで集合写真を撮ったすぐ。

私は人気のない場所に燕尾先輩を呼び出した。

あの賭け事について話すために。


……けれど。


「……僕の負け、だね。本当に素晴らしい戦いだったよ」


驚いた。

勝負が始まる前はあんなにもやる気に溢れ、私には負けないと豪語していたあの燕尾先輩がもういなかったことに。

その顔は清々しい表情で、まるで何かを諦めたかのような顔にすら見えた。

……これは……陽太くんの変化といい、何かがあったのかな……?

なんなんだろう……。


「確かに、勝負には私が勝ちました。……けど、教えてくれませんか? 今日、陽太くんと何があったかを」

「……いいけれど……そんなに面白いものじゃないよ。……ただ、君と彼の関係性が羨ましくて、僕は君と同様に彼と名前で呼ぶことを決めた、ってだけだから」


うん……この感じは嘘は吐いていなさそうね……。

でも、それだけで本当にこんなに気持ちに変化が出るもの?

名前呼びをしたにしては、あんまり嬉しくなさそうだし……。


きっと他に絶対に何かがあるはず。


―――例えば。


「……じゃあもう一つだけ。賭けをするとき、燕尾さんが言った、『絵画というのは、永久に成長し続ける僕らの魂……僕の作品は言葉の通り』というのは、結局どういう意味だったんですか? 私は最終日には見に行けなかったので……絵画が成長するとは思えないんですけど……」


一昨日。

水仙祭初日に賭けた時、燕尾さんはこう言っていた。

初めは、ただの啖呵や煽りだと思っていたけれど、最終日に陽太くんが燕尾先輩の絵を見て晴れやかな表情になる理屈だけが未だに理解できなかった。


私も燕尾さんの絵は見たけれど、ただただ深い悲しみや苦しみが感じられる作品で、あれほど晴れやかな表情を浮かべるような作品じゃないと思っているから。

……いや、万が一の可能性で、陽太くんがあの作品を見て晴れやかさを感じることも……っていやいや、さすがにないない。


となると、必然的に、最終日に彼女の言う通り、何かをしたと考えるのが定石でしょ……!


「……うん、そうだね。僕の作品はまだ積んでいないから、藍原さんになら見せてもいいかな」


やっぱり絵に何かしたのね!


そういって燕尾さんは私に付いてくるよう合図して歩き出した。


しばらく歩いたのち、美術研究部が展示していた会場へとたどり着いた私たちは、薄暗く、目立たない位置にある裏口から入り込んだ。

うわ、こんなとこに入口なんてあるんだ。隠し通路みたいですごいな……。


「……よくこんなとこ知ってますね?」

「まぁ、伊達に三年間この会場で展示してないからね」

「ふ~ん」


―――さりげない会話だった。


本当に、ただよくある会話。

だけど……なんだろう。

この時少しだけ……私の胸に小さな棘が突き刺さったような感覚を感じた。


しかしその違和感に気が付くよりも早く、私たちは燕尾さんの作品へとたどり着いた。


衝立のようなもので囲まれた特徴的な空間。


他の美術作品が公にされている中では特異な展示環境だけど、にしても……。

いや……噂では三百万円で取引されたって聞いてたけど……これ、あまりにも警備薄くて雑な囲いじゃない?

こんなの簡単に盗め出せちゃわない????

ていうかこれ盗まれたら、もしかして隠れて入った私疑われないわよね???

作者と一緒にいるし大丈夫よね?


―――って、そうじゃなくて!!!


うーん、特に配置が変わってるわけじゃなさそうだし……。

絵だけを変えた? でも、あそこに何を加えることができるんだろう?

美的センスがあるわけじゃないからよく分からないけど……もしかして新しく絵を書き直したとか?


……などと、様々な予想をしながら、ようやくその絵の正面に来て、その絵をしっかりと見た時。

どうしてか、私には燕尾さんが、陽太くんに何を伝えたかったのかを理解できてしまった。


絵に込められた詳細な意味は私にはわからないけれど、確かにわかるものがある。


だって―――。


「―――なるほどね。これは確かに気分が晴れやかになるね……」


一言でいえば、ただただすごいとしか言えず。

でも、それだけで事足りる。


事前に燕尾さんの元の絵を見ていたからこそ分かる凄さがそこにはあった。


絵画の中で苦しみや悲しさを表現していた作品が、たった一つの白い華によってすべてが好転。

苦しみや悲しみの紅い華はそれぞれ幸せや希望を感じさせる白い華を活かす背景として感じられ、初めて見た時とはまた違う、目の離せなさがあった。


これは……いや、すごい、し……。それになにより……。


「これって、値段が付いたものなのよね? 勝手に変えちゃってよかったの? だ、だってこれ、三百万……」


三百万の値段が付いたと噂になったのは二日目。

つまり、最終日にこれを変えたとしたら、それはつまり三百万を捨てたということで……。


……ん? どうして笑って……?


「ははっ……いや、ごめんごめん。……それ、陽太くんにも言われたから思わず笑っちゃって……」

「……惚気ですか?????」

「いやいや! そんなんじゃないよ。……ただ、僕の作品を見に来る人は基本的に絵に対しての感想を言うから、値段でものを言うのが新鮮でさ。……確かに大金だものね……ふふっ」


なに笑ってるんだこの人は。

三百万は笑えるほどの額じゃないって……。この人もしかして売れすぎて感覚狂ってない???

よく今までボロ出さなかったなこの人。


「……まぁでも、これは陽太君にも言ったけれど。この絵にすることの意味は、僕にとっては三百万円以上の価値があった。……ただそれだけのことだよ」


そう口にしながら燕尾さんは物思いに耽っているような表情を浮かべた。


そして、私はその表情とその言葉を聞いて、つい先ほど胸に突き刺さった棘の正体を理解した。


……理解、してしまった。


「……燕尾さんは、今日告白しなくて本当にいいんですか?」


私のその言葉に、燕尾さんは驚いたような表情と共に複雑な表情を浮かべた。

それもそうだろう。

勝負に勝ったのは私で、今日の後夜祭を彼と共にする権利は私にある。


その状態で、そんな相手から「告白しないの?」なんて言われたってそりゃ誰だって戸惑う。


でも。

燕尾さんの絵を見た時、否が応にも理解してしまったのだ。


燕尾さんは、これを機に陽太くんから手を引くつもりなんだと。


確信はないけれど、陽太くんと名前呼びを今日し始めたのは既に勝負には負けることは知っていて、最後の思い出作りにそれだけを願ったんじゃないだろうか。


燕尾先輩は三年生で、今日が水仙祭に参加できる最後の機会。

これから四年生になり、就職活動、論文、そのほかにもやるべきことはどんどん増えていくだろう。

こうして私たちと集まったり、話したりすることも、次第にはなくなっていく。

もし、私が同じ立場だったのなら、陽太くんとのこれからを考えるならきっと手を引く。


でも、本当にそれでいいの?


人生という長いレールの中で、大学生としていられる時間はかなり短い。

社会人になれば自由な時間も少なくなり、それこそ恋愛をしているような暇はきっとないだろう。


……今回の賭けの時も、私は燕尾さんに……恋敵に塩を送るようなことをして後悔をした。

けれど、いざ実際に正々堂々と戦えたことは本当に楽しかったし、なによりその柵があったからこそ私は今回、最優秀個人賞を取ることができたのだと思っている。


多分、私は生粋のゲーマーなんだろう。

やるのなら、徹底的に、確実に、正々堂々と。


だから、笹草さんが想いを伝えたと聞いた時、私は正直ホッとした。

このまま曖昧なまま過ごすのはどうなのかと思っていたから。


―――これでようやく私も、燕尾さんも正々堂々と想いを伝えられると思ったから。


けれども今、私の目の前で、時間的制限を理由に勝負を降りようとしている人がいる。

……それは正々堂々勝ったと言えるだろうか?

もし、今日私が想いを伝えて付き合えたとして、私は一切を後悔せずに過ごせるだろうか?


そう思ったとき、私にはもう、覚悟は決まっていた。


「……賭けに勝ったのは私ですけど……。多分、今日一番陽太くんの心を動かせたのは燕尾さんの……燕尾先輩のこの絵だと思います」

「……え? どういう……?」

「……悔しいですけど、自分のことは自分が一番わかります。……この絵は陽太くんの……そして、私の心を動かすだけのそれだけの価値があったということですよ」


だから―――。


「今日の後夜祭、燕尾先輩に譲ってあげます。……最後の学園祭……それも今日は花火が上がるそうですし……絶好の機会じゃないですか?」


思っていたよりも自然に言葉にすることができた。

……もっと悔しい気持ちとか、嫌な気持ちとかあると思ったけど……。

う~ん、多分これは、なんだかんだで私も燕尾先輩が気に入ってるのかな~なんて。

一番近くで同じ気持ちを抱いてきたが故、かなぁ。


「……」


燕尾先輩は、しばらくの沈黙の末に、言葉を紡いだ。

……きっと、先輩も私の想いを汲んでくれたんだろう。

そこに長い言葉は、いらなかった。


「……ありがとう、藍原さん……僕は……今日、告白をするよ」


その覚悟に、私は笑顔をもって応えた――――。



これでよかったんだ。

きっと――――。



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― 新着の感想 ―
やっぱり、彼女だけまだ、になってしまったのだなあ。 いい人過ぎて、貧乏くじ引くことにならないといいけれどねえ… そのいい人だという所が彼にちゃんとわかってもらえるかなあ。
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