第三十八話 虚空に伸ばす手の先は
美術研究部――略して美研は、以前サークルの体験会でお邪魔したときに説明を受けたが、大まかに分けて三つのグループに大別されているらしい。
絵画や工芸品など、制作したものを展示して見てもらう、鑑賞芸術。
映像作品や、着ぐるみなど、制作したものを体験してもらう、体感芸術。
そして―――。
「エ。ナニコレ?」
美術研究部の展示を見に行こうと歩き、ようやく辿り着いた先に僕の目の前に現れたのは、美術研究部と書かれた看板に加え、大きな龍が口を開けてこちらを飲み込もうとしている様子を模した、入口と思わしき場所だった。
えっと、確かこれが、設計デザインとかの環境芸術、ってやつだったっけ?
いや、マジですごいなこれ。
どうなってんの????
……いや、ゲーム研究部もそうだけどさ……みんな、この学園祭にお金かけ過ぎじゃない????
いやまぁ、それだけに凄い人が来るらしいからお金をかける価値があると言われればそうなのかもしれないけど……ううむ、芸術ってのはわからんもんだ……。
綺麗な絵や作品でも、それに価値を付ける人がいなければ、美術的価値はゼロ。
はぁ~~~なんてシビアな世界だ……僕には到底無理そうだ……っと、結構ウネウネさせてたけど、そろそろ入口抜けるかな~……って。
「えぇ……ナニコレ……」
龍の口の中を通ること数分。
その先に広がっている光景を一言で表すのなら、そうだなぁ。
ここはあえてシンプルに……ヤバい、だろうか。
僕は鳳仙大学に来るのはこれが初めてだから正確にどう、とは言えないけれど……。
どう考えても外観より広くね????? おかしくね??????
外で見た龍の口がある入口の大きさ、そして、天井の高さなどを鑑みても、どうやってもあり得ないほどの内部空間がしかしそこにはある。
これは一体どういうことだと疑問に思うと同時に、近くに説明看板があることに気が付いた。
えっとなになに?
館内は鏡張り? になってるから実際よりも大きく、広く見えます?
あ~~~、なるほどね!?
要は、スーパーとかでよく鏡張りで商品を多く見せたり売り場を広く見せたりするのと同じ構造をこの規模でやってるってことか。
……いや、すげぇな……。
確かにめっちゃ広く感じるもんなぁ。
そういえば、こういう目の錯覚を利用した展示もいろいろあるんだっけ?
うわ、なんかめちゃくちゃ楽しくなってきたな!?
えーっと、確かパンフレットには……あぁなるほど、一応動線みたいのはあるにはあるのか。
そんじゃまぁ時間もあるし、これの通り一通り回ってみますかねっと、そういえば燕尾先輩のは……あ、絵画は結構奥のほうなのか。
いや~、どんな絵描くんだろう……。
……も、もしかして例のミナトくん書いてたりしないよな―――?
◆
して。
「あ、馬場先輩、お疲れ様です」
「ムムッ!? オャ、男性に話しかけられるタァ、珍しいと思ったケド、遠野クンじゃないか!」
トリックアートやら、映像作品やら、その他にも魅力的な作品を巡った先で、見知った顔――着ぐるみクリエイターの馬場先輩を見つけて僕は声をかけた。
「今日は着ぐるみ着ないんですか?」
「ウム、こういう場は実際の顔を売るのが目的だからネ」
あぁなるほど、確かにそれはそうだ。
「ソダソダ。遠野クンはもう代表らの作品は観たのカネ?」
「あぁいや、まだ観れてなくて……この後に行くつもりです」
「ソウカイソウカイ。まァ、なんだ……。一応、観た身からアドバイスだケド……」
……アドバイス?
作品を見るのにしなきゃいけないことでも……。
「……彼女ラは……人じゃナイと思ったほうがイイョ?」
「人じゃない……って……いやいや、そんな大袈裟な~!」
「……ウン、まァ、君は美鈴や司とも親しいしきっと大丈夫ダロウ、楽しんでくれよナ!」
―――僕は、この時の馬場先輩の言葉をしっかりと受け止めるべきだった。
……いや、というよりも、もっと先に理解しておくべきだったのかもしれない。
普段からは想像できないが、森先輩と燕尾先輩は、有名な画家ですら足を運ぶと言われているこの鳳仙大学の、それも美術研究部という中で代表と副代表をしている、ということの意味を。
こんな精巧な着ぐるみを作れるほどの人物が、そうまで言ってしまうことの、その事実に―――。
―――絵画の評価基準は曖昧だという話はよく聞くものだ。
人によって美的センスが違うのだから、そりゃ意見が揃わないこともあるだろう。
だけども、まぁその中の一人でも、作品にお金をかける価値があると判断すれば、それは紛うことなき"価値ある作品"となる。
……が、つける値段は買手次第という条件であることが多いため、絵にどれほどの価値があるかをわかりやすい指標でいえば、やはり、どれだけ高く売れたかだろう。
一円で売れる絵と、一万円で売れる絵の価値は大きく違う。
買い手にとっても、絵師にとってもその事実は確かにある。
では、将来絵師として活動するためには、一枚いくらで売れればいいのか?
まぁそれは単純な話。
必要な生活資金分――一般には大体二十万円ほどだろうか。
なんて簡単に言うが、そもそも一枚二十万円で売ることなんて現実的じゃあない。
おおよそよくて一万から三万前後。
知名度があってようやく十万に届くかという、シビアな世界。
そもそも昨今は美術品を買う人が減ったという要因もあるが、それでも絵師として活動していくにはかなり狭き門だ。
―――じゃあ、これはなんだ?
―――作:鳳仙大学 法学部三年 森 美鈴。
―――作品名『虚空に伸ばす手』。
―――落札価格―――五十五萬円。
ごっ……五十五萬……。
……僕には芸術がわからない。
けれど、この絵を見たときに感じた胸騒ぎは、間違いなくこの絵が普通ではないことを表していた。
虚空を表現した暗闇に手を伸ばす綺麗な指先。
言葉にすれば、ただそれだけのはずなのに、どうしても目が離せなくなってしまう。
―――これが、鳳仙大学―美術研究部代表―森先輩の実力なのだと、確かにそう感じたとき。
「フム……五五か……悪くない……」
「えぇ、これほどの絵で、あの森氏の作品であればこれ以上出す価値はあるかと……」
ふと、隣で僕と一緒に作品を見ていた紳士風の男女がそう会話するのが聞こえて思わず聞き耳を立てる。
森先輩……結構名前知られてるんだ……いや、それもそうか……。
これだけの落札価格が出るぐらいだし……って学祭で出していい金額なのかよとも思うけど……。
「では……八十はどうでしょうか?」
――――はっ、八十っ!?!?
八十って……え、ほぼ百万じゃん……!?
えっ、や、マジ??? ここ学祭ぞ????
「ウム、しかし……これほどの作品が五五である、ということはだ……後にそれ以上のものがあると考えるのが妥当ではないかね?」
「はっ、仰る通りで……して、森氏以上の作品ともなると……やはり……」
「……ツバメ・エンビ……彼女の作品だろうね……ではそちらを見に行くとしようか」
そう言って彼らは先へと進んでいった。
そして、森先輩の作品の前に残ったのは、僕だけになった。
……。
ツバメ……エンビというのは、間違いなく燕尾先輩だろう。
これを超える、だって?
いや、だってこの絵もとてもすごいのに……燕尾先輩って一体―――。
「やぁ、来てくれたんだね、遠野君」
と、ふと後ろから聞こえた聞き覚えのある声に、僕は振り向いて応える。
「あ……森先輩。はい、燕尾先輩に招待してもらったズルみたいなもんですけど……」
「はは、美研に貢献してくれた君だし、招待券なんていらないつもりだったけど……すまないね、実は司から最終日以外は止められていたんだよね」
……燕尾先輩が?
どうして?
「あ~、まぁ、それは司の作品を見たらわかると思うよ……」
その言葉に、僕が問いを投げかけようとしたその時、森先輩が大きなため息を吐いた。
―――そして。
「……悔しいけど、司はすごいよ」
そう口にしながら自分の作品を見つめる森先輩の表情に―――ふと、僕はどこか親近感が湧いた。
これほどまでの絵を描く人が、僕と同じなわけがない。
そう思おうとして、しかし、つい先ほどの出来事を思い出した。
……あぁ、なるほど。
この親近感は……これは、僕が藍原さんに抱いている感情と同じだ。
―――悔しさや嫉妬、しかし、なにより、寂しさ。
近くにいるはずなのに、どこか遠くにいるように感じてしまう、そんな感情。
森先輩は、依然として自分の作品と、値段が付けられた札を見ていた。
―――その時、何を思っていたかはわからない。
けれど、どうしてか。
僕は、そんな森先輩に思わず声をかけてしまっていた。
「……僕に絵はわかりませんが……」
僕が話し始めたとき、森先輩は驚いたようにこちらに目を向けたけれど、僕は気にしないようにして言葉を続ける。
「なんていうか……美術って難しいですし、素人が軽々しく評価できるもんじゃないとは思います……。でも、僕は……この森先輩の絵を見て、胸を掴まれました。……えっと、上手くは言えないですけど……でも、確かに心が動いたんです!」
それがどんな感情だったのか、どうしてあんなにも胸騒ぎがしたのかは正直わからない。
けれど確かに、あの一枚の絵を見たとき、自分の中で何かが動いたのは理解できた。
「なんていうか……僕みたいな素人の心に届かせる絵ってだけで、僕はすごいと思ってて……森先輩がどんな気持ちでこの作品を描いたのか、どんな時間を費やしたのか、全部は知らないけれど、でも、その一部を僕は確かに受け取れた気がするんです」
正直、誰が誰にどの目線で言ってんだ、とは思う。
けれど……僕自身がすごいと思った人には、そんな顔をしてほしくないから。
「だから、何が言いたいかっていうと……その、森先輩も、ちゃんとすごいですよってことで……え、燕尾先輩の作品をまだ観てないからかもしれないですし……その、どの目線から言ってるんだって感じですけど……でも! 僕はちゃんと今、森先輩が描いた絵に出会えてよかったって……そう思ったので……!」
あぁ、うまく言葉が出てこない……!
どうしよう、これで森先輩怒ったりしないかな……。
こんな芸術も理解できない男に褒められてもいい気はしないだろうし―――。
「……君は本当に、どこまで良い人なんだい?」
「……えっ?」
そう言いながら、森先輩は五十五萬円と書かれた、落札額の札を手に取った。
「……ははっ、こうして真っ向から気持ちを伝えられたのは久しぶりだ。……ねぇ、遠野君。君は芸術がわからないといったけれど……私の絵は好きかい?」
ん? なんでそんなことを今……?
怒ってはないみたいだけど……。
好きかって言われたら、それはまぁ。
「はい、好き……ですけど……」
正直モチーフやらなにやらはわからないけど、こんな綺麗な絵なら欲しいし……って、え?
あの、森先輩、なにを? な、なんで板を持って……。
―――僕の答えを聞いた森先輩は、満面の笑みを浮かべ、そして、落札値段の書かれた札を大きく上に掲げて―――。
「―――ふんっ!!!!!」
「えぇえええええ!?!?」
バキィッという、生々しい音が広い空間に響き渡ると同時、森先輩が持っていた札は真っ二つに折れ……ってそれ結構な厚さの木の板じゃありませんでしたか????
っていうかいったい何を!?
五十五万円ですよ!?!?
当然のように動揺する僕を他所に、森先輩はなおも笑顔で言葉を紡いだ。
「改めて聞いてもいいかな、遠野君!」
「え、あ、ハイ……ナンデモドウゾ」
えぇ……。なんでこんな満面の笑みで……。
なんていうか、この人は本当にはちゃめちゃだな……。
「私の絵を見てどう思った? この絵に、五十五万円の価値があると思うかい?」
えぇ、価値があるか?
う~~~ん……。
「いや、本当に綺麗ですごい絵だと思いますし、まぁそこまでいってもおかしくないかな~とは思いますけど……でも、正直言うとよくわかんないです……」
さっきはちょっと恥ずかしいこと言っちゃってたけど、実際僕には価値なんてわかんないし。
この解答でいいんだろうか……。あ、めっちゃ笑顔だ……合ってたっぽい?
「あはは! いいね! いや~正直言うとね、私も全然価値がわからないんだよね!」
え、えぇ……? 描く方がそれでいいのか……?
ていうか五十五万の絵を描く人がわからないってそんなことあるんだ……。
「勿論、私の絵を価値があると判断してくれる人がいることはとても嬉しいことだし感謝はしてる。世の中にはもっとすごい絵なのに見つかることなく消えていく作品だってたくさんある中で、こうして見てもらえるのは幸運だとも思う。……けれど、やっぱり私はどうしようもなく絵師なんだなって、君のお陰で気が付いたよ!」
「え、いや……僕は何もしてないと思いますが……」
「いやいや。君は私の"絵"ではなく、"私"をすごいと言ってくれただろう?」
……あ。
いや、まぁ、確かにそう……か?
うん、僕に絵は分からないけど、森先輩はすごいと思うし……。
え、それがどうして?
「……絵師にとって一番嬉しい瞬間ってのはね? 絵を褒められた時でも、その絵が高く売れた時でもない。……描いた本人を褒めてくれる瞬間。自分が誰かに認められたと感じた瞬間さ」
―――っ!
……自分が誰かに認められたと感じた瞬間……。
……そうか、だから僕はあの時。
藍原さんが色んな人に認められて寂しく感じて……何も褒められていない、認められることのない自分が惨めに感じてしまってたのか。
栄光を歩く彼女の近くにいる資格などないと、そう思ってしまったんだ。
「―――遠野君」
「……はい」
「君が今、何に悩んでいるかを私は知っている。……私も彼女の栄光の瞬間を見ていたからね」
……森先輩の言葉に、僕は唇を嚙み締めた。
言い当てられた悔しさや恥ずかしさではなく、ただ、彼女の栄光を素直に喜べなかった自分自身に。
―――そうして、血が出そうなほど唇を噛み締めたとき。
「遠野君!!!!」
館内に響く声で森先輩は僕の名前を呼んだ。
えっ!? な、なに!? 森先輩!?
「遠野君は、良い人だ!!!!!」
「――――え?」
な、何を言ってるんだ、この人は?
僕が良い人??? どういう……。
「君は自分を低く見積もりすぎている節がある。だから、私が君に価値をつけてあげよう!」
「か、価値???」
え、いや、なにこれ????
価値をつけるって……え、なに????
「遠野君。私はね、この絵についた五十五万円よりも、君がくれた一言のほうがよっぽど価値があると思ってる。確かにお金がなければ作品を描くこともできないからそれも必要なピースではあるけれど、それでも、絵師にとって絵を描く原動力になる言葉はお金じゃ買えない価値のあるものだ。……君のたった一言で私は今まで絵を描いててよかったって、心の底から思えた。だって、誰にも伝わらなかったら、いくら値がついても心は空っぽのままだから」
森先輩はそう言って、ふっと笑った。
そして、僕の胸の前に、自分の指をそっと差し出した。
「だから、私も君に言うよ。君には価値があるって。君は誰かをちゃんと見て、感じて、言葉を尽くせる優しい人だ。……優しさを当然のように振舞える君は、この世界において最も尊く、価値がある。当然、私にとってもね」
そして、森先輩は小さな手を僕の頭に乗せて―――。
「いつも手伝ってくれてありがとう、遠野陽太君!」
―――その瞬間、僕の視界に映る森先輩の顔が見えなくなった。
絵師にとって一番嬉しい瞬間が、人から認められる時だというのならば、きっと僕は絵師だろう。
でなければ、人から感謝されるだけでこんなにも嬉しく感じることはないはずだから。
誰かに認められる。
ただ、それだけのことなのに、こんなにも心が熱くなる。
今まで、自分は何もできない人間だと、何もない人間だと思ってた。
だから、藍原さんの姿を見て、隣にいる資格はないと思った。
けれど、森先輩が……僕がすごいと思った人に褒められる、ただそれだけのことで、勇気が、自信が、希望が涙とともに溢れ出てくる。
「あ、そうだ、遠野君。もう一つあるんだけどさ、いいかな」
「……っ、あい……な、なんでしょうか……っ」
僕は女性の前で泣いてしまっているという事実に目を背けながら、森先輩を見つめると、森先輩は満足そうに頷きながら、自信の作品を手に取り、僕の前に置いた。
「これはね、『虚空に伸ばす手』というタイトルで……実はこれ、司の才能と努力に届かない私を表現した作品なんだよね」
「……は、はい」
「でも……君に認められて、私は今、司を超えられる気がしてきた」
「……な、なるほど……?」
「となると……この作品に込めたメッセージを変えなくちゃいけないでしょ?」
「……ウン?」
「だから……」
森先輩はそう言うや口角を上げて、僕に少し離れるように指示をしたのち―――。
「ふんっ!!!!!!」
バキィッ!!!!!!!
「えっ!? えっ、えぇええええええ!?」
―――再び館内に木材の割れる音―――森先輩が、正拳突きで自分の作品のちょうどど真ん中をぶち破る音が響き渡った
っていやいやいやいや!!!!?
何やってんのこの人!? 板はいいにせよ作品は駄目じゃない!?
明らかに異常行動過ぎて涙も感動も止まっちゃったんですけど!?
てか力つっっっよ!?
いや、というかすごい音鳴ったけど大丈夫ですか!?!?
「なっ、なにをしてるんですか!?」
と、そういう僕の言葉に、しかし森先輩は答えず、ぶち抜いた先の手で、クイッとジェスチャーをしていた。
……えぇ、と思ったものの、笑顔での森先輩に負けて、僕はその森先輩の絵から飛び出る手を握った。
すると、森先輩はさらに口角を上げた。
「ほら! 勇気を出して手を伸ばせば、必ずそこには誰かがいるだろう?」
―――っ!
「たとえ進む先が、見えない虚空に見えたとしても、確かにそこには誰かがいて、必ず君の手を掴んでくれる」
……まったく……この人は……。
「今からこの作品は、『希望を掴む手』だ! 私と君がこうして勇気を出したことで掴めたように、決して届かないものなんて一個もないんだ。だから、もう少しだけ勇気を出して手を伸ばしてみようぜ! 遠野少年!!!」
「ははっ、どんなキャラなんですかそれ……でも、ありがとうございます」
これを伝えるためだけに価値のある絵を……。
……いや、きっと森先輩にとっては、これを割るほどの価値があったということなんだろうな。
本当にすごい人だ。
「……でもいいんですか? それ、買ってくれる人がいたんじゃ……」
「あんな魂が無くなった作品は売れないよ! それに、これもまた芸術だからね! 芸術は爆発だ~~~ってやつさ!」
えぇ……。たぶんそういう意味じゃなかったと思うけどそれ……。
ま、でもいっか。
「本当にありがとうございました……森先輩のお陰で、僕も少しは分かった気がします」
「ふふっ、それなら良いってことよ! じゃあ私は展覧会に向けて新しく作品を描こうかな!!! じゃあ、司の絵を楽しんでおいで! 司、君に見てもらうのを楽しみにしていたからね! じゃあね!」
――と、さっきまでの喧騒が嘘のように森先輩は"新しい作品"を手に颯爽と立ち去り……その、希望に満ちた背中を見て僕も笑顔になる。
僕にも価値がある。
そう言ってくれただけで、さっきまでの重たかった思考はクリアになり、心が軽くなった。
――この先にある、燕尾先輩の絵はどんな世界なのか。
あの森先輩が、悔しいけれどすごいとまで言った、燕尾先輩の描くもの。
それがどんな世界なのかを、今の僕ならちゃんと見れる気がした。
そしてその先の、僕自身のこれからもまた―――。
それから約数週間後。
開かれた秋の展覧会にて、燕尾先輩が特選であるのに対し、森先輩がその年の最高傑作である、文部科学大臣賞を受賞したことはまた別の話である――――。




