第三十二話 好きになる資格と三角関係。高まる感情に届く声。
「……それで、いきなり呼び出して何の用ですか? 燕尾さん」
水連大学と鳳仙大学の合同学祭である、水仙祭の一般公開の少し前。
僕は、久しぶりに訪れた学館で、彼女―――藍原 唯さんを呼び出していた。
無論、理由はただ一つ。
「藍原さん……この際、賭けに遠野君を乗せたことはいい。……大方、ゲー研の内藤か筒井辺りが言い出しそなことだし……けれど、どうして君がゲーム研究部にいるんだい……?」
遠野君から聞いた話では、元々は藍原さんも賭けの対象だったらしいが、どうやら賭けが決まった直後にゲーム研究部に入部したらしい。
となると藍原さんのことだし、なんらかの理由があることは明白。
ただ、その意図がなんなのかまでは読めなかったためにここに呼び出したわけだが……。
「元々、遠野君を守るためにサークルには入れないつもりだったんじゃないのか? それに、よりにもよって女子が多いゲーム研究部だなんて……一体どうして―――」
僕が藍原さんに詰め寄ったとき、しかし藍原さんはどこか悲しい目をしながら、こう言い放った。
「……ねぇ、燕尾さんはさ。……陽太君のこと、本当に好きですか?」
「そんなの……っ……」
当然だと言おうとした僕の口は、しかし言葉は喉を通らず、息を吞んだ。
その一瞬の間を藍原さん少し不思議そうに僕を見つめたが、尚も彼女は言葉を繋げた。
「本当に好きなら、彼の思いを尊重することも大切だってことも分かりますよね?」
「それは……そうだが……でも、それでも他の女を近づけないようにって僕らで話し合って―――」
「―――その他の女に、私は燕尾さんも含めて考えてます」
……!
「それは……要するに、僕がいる美術研究部ではなく、あくまで自分が所属するサークルに彼を引き入れる、という意味かい?」
僕のその言葉に藍原さんは頷きつつ、そして真っすぐにこちらを見てこう言った。
「……燕尾さん、私と勝負しませんか?」
「勝負……?」
「はい。勝負の内容は、この学際で、どちらがより多くの評価を得られるか。……そして、この勝負に勝った人が、学際の夜―――後夜祭を陽太君と過ごせる、というのでどうでしょうか」
―――僕には、勝負に勝てるという自信はある。
これでも美術研究部として三年間活動してきた僕の絵が、ぽっと出のゲーム研究部員に負けることはないと言い切れるから。
……けれど。
「……いや、僕は……遠慮しておくよ……後夜祭は、藍原さんが彼と過ごすといい」
最初から遠野陽太としてちゃんと見ていた彼女と、ミナトくんという推しの姿を重ねて好意を抱いた僕。
こと、恋心という条件で平等に視線を向けたとき。
秤にかけるには、あまりにも釣り合いが取れていない罪悪感が、僕の心を縛り付ける。
自業自得。
ただ、その言葉だけが僕の心のすべてを支配して―――。
「ふ~ん、燕尾さんって、意外と臆病者なんですか?」
……? なにを……。
「いや~、勝てるかもしれない勝負を捨てるあたり、やっぱ燕尾さんは燕尾さんですね~?」
「藍原さん……? それは……どういう……」
僕は僕?
藍原さんは何が言いたいんだ……?
「わかりませんか? 燕尾さん。私たちが出会った時から、私は貴方のことを尊敬したことがないということを」
―――っ!
「はぁ~、前までは年上のくせに子供っぽいなぁとか思ってましたけど、それでも最近は、実は意外とちゃんと考えている人なんだなと思う時もありました。……けど、ハッキリ言って今の燕尾さんは出会ったときよりも遥かに子供ですよ」
「……」
言いたいことはたくさんある。けれど、言い返そうにもできなかった。
だって、彼女の言っていることは正論だったから。
だから僕は、ただ、無言を貫くしかできない。
「はぁ……わかりました。じゃあこうしましょう?」
と、返答に困る僕を見た藍原さんは僕に近づいてきて、しっかりと目を向けてさらに言葉を続けた。
「―――この勝負に勝った人が、陽太君に告白をする、ということに」
「……んなっ、そ、それは……と、いうか、あの高校生との約束としても―――っ」
そうだ、いくら藍原さんと今この約束を決めても、あの時告白をしないと決めた協定は三人。
笹草さんに内緒で決めるなんて……。
「えぇ、だから彼女には事前にそのことはもう伝えてある。快く……というわけではなかったけど、数日前にやってもいいと連絡が返ってきた。つまり、最後に決めるのは燕尾さん、貴方よ」
そんな……いや、それでも僕は……。
「僕……は……」
彼を好きになる資格がない。
あれからずっとそう思い続けてきた。
……なのに、どうして彼女が告白をする想像をすると、こんなにも胸が痛くなるのだろうか。
連絡しないと決めたのも自分。
かかわらないようにしようと決めたのも自分。
そして、好きにならないようにと決めたのも自分。
全部、自分で決めたことなのに。
それなのに―――。
胸の奥が、焼けるように熱かった。
言葉にできない衝動が、喉の奥に詰まって、呼吸がうまくできない。
藍原さんは、黙って僕を見ていた。
目を細めるでもなく、睨むでもなく――ただ、まっすぐに。
その目が……彼の向ける視線に似ていたからだろうか。
……僕は、心の中の毒を吐き出すように、思わず口を開いた。
「……実は……僕は……ずっと遠野くんを、ミナトくん……ゲームの中の推しと重ねて接していた……」
当然、いきなりこんなことを言われた藍原さんはきょとんとした表情を浮かべていた。
……情けないな、本当。
これは確かに尊敬されないのも頷ける。
「だから……僕はちゃんと遠野くんを好きになったわけじゃなくて……偽物から始まってる恋だから……君らと肩を並べることなんてできるわけがないんだ……」
まさか、彼よりも先に彼女に吐き出してしまうなんて……。
彼女からすれば、本当に何を言っているんだというものでしかないのに。
あぁしかし、ここで彼女に否定されれば、僕はもう諦めがつくというものだろう。
あの優しい彼の心根に甘えて、今日までしがみついてきた初恋は。
ここで終わりにしよう……。
「燕尾さん……」
あぁ、言ってくれ。
容赦なく僕を否定してくれ。
「燕尾さんって……子供っぽいとは思ってましたけど、まさか馬鹿なだけ、なんですか……?」
……え?
「いや、え、なんかすごいスッキリした~みたいな顔してますけど、え、いや、もしかして、そんなことで悩んでたんですか?」
「そんなことって……いや、これは僕にとっては重要なことで――」
何を言っているんだ、藍原さん?
僕のやってきたことは、君の好きな遠野君を傷つける行為なんだぞ?
糾弾してしかるべきことなのに……そんなこと、だって?
「はぁ~~~~~。燕尾さん、この話は陽太君には?」
「でっ……できるわけないだろう……っ! いや、しなきゃいけないとはわかってるけど……っ……」
「あっそうですか、なるほど。それでこんなアホアホな思考になってるんですね?」
アッ、アホアホ!?
「さ、さっきから何が言いたいんだい? 僕を責めるならもっとちゃんと……」
「あ、そういうのもういいですよ」
っ!?!?
「まぁそうですね、さっさとそれ、陽太君に話したらどうですか? もうそれで解決する話ですよソレ」
「いや、そうと分かっていても……!」
そう、彼女の言う通り、話せばすべてが終わる。
けれどそんな勇気があるのなら、もうとっくに―――。
「もうめんどくさいんで、今陽太君ここに来てってお願いしました」
「―――えっ!?」
こ、この人はいったい何を!?
ってか連絡はやいな!?
「あ、もう来れるみたいなんで、後はちゃっちゃとお願いしますね~、じゃあまた、全部終わったらまた私に会いに来てください」
そう言って彼女は、先よりも冷めた目で。
……しかし、どこか期待するかのような視線を向けて去っていった。
なんだったんだ、彼女のあの発言の意図は……。
い、いやしかし、今は彼にどう話すべきかを考えなくては……。
……はぁ……僕に、本当に話せるのだろうか―――――。
そうして、高まる鼓動を抑えていると、来てほしいけれど、来てほしくなかった彼の声が……僕の耳に届いた―――――。




