第二十三話 貞操観念が逆転しただけの世界
―――目が覚めたとき、最初に見えたのは白すぎる天井だった。
おぉ……映画やアニメの始まりのような感覚を、まさか自分が体験するとは思わなかった……ここはどこ……? なんつってな?
まぁ匂いとか音とかで病院だってのはわかるけど……。
えーっと、確か、日向さんと出会って……なんか想いをぶつけて……え、もしかしてそれで倒れた???
いや、なにそれ恥ずかしすぎない?????
大学生にもなって感情高ぶって気絶??? うっそだ~!
どうせ夢落ちとかデショ??
「あ……っ、よかった~……!」
おや? この声って?
いやいや、これは夢だからここに日向さんがいるわけが……。
「ぎゃっ!?」
「……わっ!? 遠野君……!? ま、まだ痛む~?」
いや、全然隣にいたっすね。
しかも手も握ってもらってるっすね。
「遠野さん大丈夫ですか!? 急に心拍が上がりましたけど!?」
あ、看護師さんすみません……。
ジブン、手握られるだけで心拍上がるカス童貞なんっす……。
◆
「はい、とりあえず今日はそこのパックがなくなるまでは安静にしていることね。なくなったらこれで呼んでくれたらいいから」
「……うぃす」
そう医師に言われ、僕は腕に刺されたホースの先にある透明な液体の入ったパックを眺める。
結論から言えば、僕はどうやら夏の暑さによる熱虚脱で倒れてしまったらしい。
朝から水族館という涼しいところにいたからと水分を取らなかったことに加えて、感情が高ぶって血圧が上がったことで引き起こされた、とのこと。
まぁ命に別条がないのはよかったけどさ?
……こんなんで死んだらさすがに未練ありすぎて地縛霊になっちゃうところだったよ?
いやぁ喉が渇いてなくても水分は取るべきなんだね。初めて知ったヨ。
とまぁ新たな発見が今日はあったわけだが、とりわけ新発見としてインパクトが強いのは間違いなくこれだろう。
「おじいさ~ん、持ち上げますよ~?」
そう口にしながら、病室のベッドからおじいさんを持ち上げる薄ピンク色の制服に身を包む――ムキムキの男性。
元の世界でも男性看護師というのはいるらしいが、それでもこれで男性看護師を見るのはもう十人目。
要するに……。
――夢じゃなかった……ってことなんだよな……。
男女の貞操観念が逆転している世界。
当然この病院ももれなくその影響を受けており、看護師は男性がメインだし、さっきの医者は女性といった具合に、ある一定の職業についてもこういった変化がある。
……この世界ではナースというのは希少価値が高いのだ……ヨヨヨ。
まぁ~ナースがあまり見れないとはいえ、この世界は僕みたいな童貞にとっちゃかなり素晴らしい世界で。
帰りたい、なんて思うことなんかは今ままでなかったけども……ハァ~~~~~。
昨日のことだけは夢であってほしかったと思っちまうな~~~。
だって、何も悪くない日向さんに向かって八つ当たりした挙句に目の前で気絶でしょ???
普通に恥ずかしすぎてもっかい気絶するわこんなの……。
けど―――。
「……え、っと……遠野君……ごめん……いきなりあんなこと言って……」
と、僕の横で心配そうに、申し訳なさそうにする日向さん。
―――それは、あくまで僕視点の認識で言えば、の話だからな~。
彼女からしたら僕は過去に未練のある男性で。
過去に振っておいて今更好きだっていうのは自分勝手だという認識が発生し、僕が怒った理由にも正当性が生じている。
恐らくの話だけど、これは元の世界じゃきっとこうはならなかっただろうし……。
「……いや、僕の方がごめん……。日向さんに当たっていい理由なんてなにもなかったのに……」
日向さんの話を聞く限りだと僕の過去と、日向さんの過去は同じなのかもしれない。
けれど、そこに至るまでの考え方や、そこからの過ごし方は大きく変化しているだろう。
でなければ、過去にあんな告白の仕方をした奴を好きになっているはずがないのだから。
だから……。
「……あの時の話だけど……なかったことに、してくれないかな?」
僕のようなモテない陰キャにとって、こんなに綺麗な人から好きだといわれることは、もう二度とないのかもしれない。
というか、この世界に来てなければ一生体験することのなかった経験をさせてくれたことは本当に感謝すべきだよほんと。
ただ、この世界においては僕は日向さんと付き合わないほうがいい。
彼女の好意がこの世界では正しいものだとしても、別の世界から来た僕にとってはこれは偽物だから……。
何も知らせずに、ただ離れるのが一番良い……。
―――いや、本当にそうか?
よく考えてみれば、今、僕がいるのはこの世界で。
むしろこの世界においては僕が偽物で、彼女らにとっては自分たちが正しい存在だ。
ということは、今、一方的に僕が彼女を拒絶するのは、ただの僕のエゴで。
彼女からしてみれば、訳も分からないままに拒絶されているということなんじゃないのか?
―――そしてそれは、僕がされて、一番嫌なことだったんじゃないのか?
……だけど、これを言ったとして。
もし、これが夢から覚めるトリガーだったら?
もし、正直に全部話したとして、そこでこの世界が終わってしまったら?
……そう思って今まで誰にも言えずにいた、僕の秘密。
ただまぁ、そうだな。
いつか、誰かには話さなければいけないと思っていたしなぁ……。
―――いくら自分にとって都合のいい世界だとしても。
自分だけが別世界から切り取られてきた異物感に、誰もが本当の僕を知ることのない孤独を感じ始めた時から、そう思っていた。
……だから。
日向さんが今の僕のすべての始まりだとするのなら、日向さんにすべてを話して、夢を終えるのもいいのかもしれないね。
これがエモいってやつだろう。きっと。
……よし。
「……日向さん……信じられないかもしれないけど……僕の話を聞いてくれませんか?」
「……え?」
「今から話す話を、ただ、今は何も言わずに、そういうものだとして聞いてほしいんだ」
……あぁ、ようやく誰かに話すことができる。
あとはただ、結果を待つのみ、だな。
「実は、僕はこの世界の人間じゃないんだ―――」
◆
それからどれだけの時間が経っただろうか。
僕は、これまで誰にも言うことのなかった自分の秘密を、すべてを彼女に話した。
元の世界での高校時代の話。
そして、大学入学を機にこの世界に来てしまったことと、これまでのこと。
そのすべてを、僕が言った通り、日向さんはただ静かに、時折相槌を打ちながら聞いてくれた。
そして、今こうして僕がこの世界で続けて語れている、ということは、これを人に話すことで元の世界に戻るとか、そういう次元の話ではなかったようだ。
嬉しい気持ち半分、戸惑い二割、恥ずかしさ三割ってところかな。
なんかかっこつけた割に全然何も変化ないから拍子抜けというか……。
というか。
この世界の普通の住人である日向さんから見れば、僕はひどく滑稽だったろうな……。
笹草さんですら目を輝かせてしまうほどの現実離れした話だし、気が狂ったとか、気絶して頭おかしくなったとか思われてそうだけど大丈夫そう??
ま、それでもしっかりと日向さんは聞いてくれたあたり、やっぱり彼女は優しい人だ。
話の途中、ところどころ顔を逸らしちゃってたから全部の彼女の表情はわからなかったけど、困惑、動揺、驚き、可愛い……あ、間違えた。んんっ、まぁそんな表情をしてたかな。
頭の病気を疑われても仕方のないこの話に、日向さんは何を思うだろうか。
「……だから、今話したように。……僕はこの世界の人じゃなくて、違う世界から、ここにやってきたんだ……」
僕が語り終えたとき、日向さんが、小さく息を吐いた音が聞こえた。
それは何かを整理するような、自分を落ち着けるような、そんな音。
そして―――。
「……なん……ていえばいいのかわかんないけど~……それって、男女で貞操観念? ってのが入れ替わっただけ、なんだよね~?」
「え? あ~いや、まぁ、今のところ多分そう、ってだけだけど……」
あれ、なんか思ったよりも素直に受け入れてくれたな?
ていうか入れ替わった"だけ"って……それでも十分驚いてほしいんですけど?
そもそも貞操観念が逆転することは、この世界では女性にとっては羨ましいはずだろうに、いったいなんだってんだい?
「ふ~ん……それじゃあ~なんていうか、あんまり変わらないんじゃないかな~?」
……え???
「変わらな……えっ、いや、全然違うくない? だってほら、現にこの病院だって――」
変わらないだって!?
何を馬鹿なことを!
男女で貞操観念が逆転してるってことは、この世界じゃ男性は女性に好意を抱かれやすいんだぞ!!
それがなければ、僕は藍原さんや燕尾先輩、笹草さんとだって仲良くなれていない!!!
変わらないなんてことあるわけないじゃないか!
「いや~、世界はそうなのかもだけど~、少なくとも私の過去と遠野君の、元居た世界? の過去は変わらないみたいだし……それなら、過去の私の気持ちは変わらないんじゃないのかな~って……」
……フム?
なるほど、確かに――。
「――っていやいや、絶対違うよ! だって、僕のいた世界とこの世界の感覚は全然違うから……この世界だからこそ、きっと日向さんは僕にこ……恋……いや好意を! い、抱いてくれたんだろうし……だから、元の世界じゃきっと僕なんかを好きになってないよ……」
あっぶね~~~。納得するところだった。
いやいや、どう考えても元の世界で変わらないわけないって~~。
確かに過去は一緒かもしれないけど、感じ方が違うんだからねぇ?
あの観覧車の時、日向さんはこの世界では特に気にしなかったかもだけど、元の世界じゃ気持ち悪がられてもおかしくないからね????
いや自分で言うのもなんだけど……。
「う~ん……遠野君がいた世界を知らないから、絶対にそう、とは言えないんだけど~。そもそも、女の子と男の子でそんなに恋の価値観って違うかな~? 確かに私の友達にも体の関係だけがいいっていう特殊な人はいるけれど、でも、それが全員そう思ってるわけじゃなくない~? 価値観そのものが逆転しているならそうかもだけど~……」
……いや……!
まぁ……うん、それは……そう、か……?
確かに、元の世界でも別に異性に対して好意を持ちやすいのは男の人のほうかもしれないけど、別に女の人でもそういう人はいるわけで……。
今まで特に考えてなかったけど、その考え方なら……辻褄が合わんでもない、けど……。
「これは遠野君に確認なんだけどね~? どうして、今の私とは付き合えない、って思ったの~?」
「……それ、は……」
……正直、初めは、意地だった。
高校の時に振ってきたのに今更そんなこと言うなよ、っていう、しょうもないプライド。
けれど今は……。
「今の、日向さんは僕とは違う世界の人で……この世界では僕は偽物だから……今付き合ったとして、もし。もし僕が元の世界に戻ることがあったとしたら……多分……辛くなる……から……」
……自分で言葉にして、ようやく理解した。
僕はこの世界に来た時、ハーレムを作りたいと願っていた。
いや、その気持ちは今でもなくはないけど、僕が自分を陰キャだと卑下し、藍原さんや燕尾先輩、そして笹草さんと、恋人になりたいと思いつつもどこか一線を引いていたのは、僕自身がこの世界の人間じゃないということと、元の世界に戻った時の落差に怯えていたからか。
……何かを手に入れたとき、それを失うのが怖いから、最初から手に入らないようにしていただけ。
―――そうか。僕はただ、怖かったんだ。
そう、自覚すると同時に、僕の頬に、何かが流れた。
これが何かはわかる。けれども、今はそんなことはどうでもいい。
「僕は……どうしたら……っ」
僕はどうしようもない陰キャだ。
どこまでいっても卑屈で、臆病で、弱気で、孤独な人間。
この世界に来たことで多くの人が関わってくれたお陰でその感覚が薄れていたけれど、元の世界に戻ったら、また何もない存在に戻ってしまう。
それが、たまらなく怖いんだ。
そんな僕は、これからどうすべきなのか―――。
「遠野君、これは絶対、とは言えないから無責任なんだけどさ~?」
「……?」
「もし。もしね~? 遠野君がその元居た世界? に戻ることがあるんだとしたら~、私を探して声をかけてほしいな~って思うんだけど~……いいかな~?」
……?
どうしてそんなことを……?
「あぁ~いや~。ほら、さっきも言ったけど~、貞操観念が逆転しただけならもしかしたら私は遠野君がいた元の世界でも、多分……その……す、好きだと思う……から~……だから~、探してほしいな~って……思って~……」
「……え?」
逆転してない世界でも、僕のことを好き?
いや、そんなわけ……。
でも、もし。
もし、本当にそうなんだとしたら?
「そ、それに~、この世界で得たもののすべてがなくなるわけじゃないじゃん~?」
「それはそう、だけど……」
「だから大丈夫~! ここで得たものは無駄にはならないし、元の世界に戻っても私がいるから安心していいんだよ~!」
――――彼女の言葉は、本当に無責任なものだと思う。
彼女も言っていたけれど、元の世界に戻っても彼女がこうして話してくれるとは限らないし、普通に嫌われている可能性のほうが高いのだから。
……けれど、その不安以上に、彼女の言葉は僕の胸の奥底にあった暗闇を照らしてくれた。
そうだ、そうだよ。
何をビビっているんだ? 遠野陽太!!!!
元の世界に戻るのが怖いから何もしない?
この世界で多くのものを得たら失うのが怖い?
笑止千万! 笑止億兆!! 笑止京垓!!! 馬鹿も休み休み言え!!
彼女の言う通り、僕自身が得たもの、気づけたことは、確かに僕の中に残るじゃないか!!
藍原さんとの出会いで得た幸せ。
燕尾先輩との出会いで得た知識。
笹草さんとの出会いで得た楽しさ。
そして、日向さんとの出会いで気づけた、自身の弱さ。
そうだ、恐れることはない!
弱さを自覚することは、決して弱さを証明するものじゃない。
これからどう強くなるか、成長していくかの目標を立てられるもの。
すぐにこの性格を変えることは難しいけれど。
まずは身近なところから徐々に変わっていこうじゃないか!!
「……ありがとう、日向さん……! あ、と……その……いきなりなんだけど……、し……」
「……し?」
ぐ、ぐぅ……僕は、変わって……いくんだ!!!!!!!!!!!!
「し、下の名前で呼んだり……とかって……しても……いい、とか、ある?」
「え……えぇ~~~~!? そ、それは急に距離詰めすぎじゃない~?! いや、その……え~? いや、うれ、嬉しいけど~……」
う、ぐあ~~~~~~~。
なんだこの恥ずかしさは!!!!!!!?
いくら覚悟を決めたとはいえ恥ずかしすぎるぞ!?!?
今のはさすがに間違えたか!? いやわからないけど多分大丈夫だろう!!!
こんなのみんなやってんの!? くぁ~~~~~!!
……でも! できた!! できたぞ!!!
僕でも、できることがある!!!
「その~……下の名前で、よ、呼んでくれる……って、コトは……そ、その、私にもチャンスがある、ってことで……いい、んだよね?」
―――あ。
そ、そうか……。確かに名前で呼ぶというのはそう捉えられることもあるのか……。
……確かに、すでに過去を清算した僕は、正直よ? 普通に日向さんと付き合いたい気持ちが芽生え始めている。
いやだって可愛いし、昔好きだった人だし、僕のこと好きって言ってくれてるし、そんなん恋するわって感じじゃない?
……ただ。
「えっと……その、ほ、本当に申し訳ない……んだけど―――」
と、僕がそう言ったとき、日向さんはすべてを分かったような表情で、口元を緩めた。
「分かってるよ~。さっき話は全部聞いたからね~」
あ、そういえばそうだった……。言わなくていいことも話しちゃったもんな……。
……それは恥ずかしいことを知られたものだ……。
「だけど~、他にいい女の子がいても、最後には絶対私を好きにさせるから~。覚悟しててよね~! 陽太君~!」
―――きっと、何かが変わる瞬間ってのは、些細な出来事なんだと思う。
けれど、人生が大きく変わる瞬間は、間違いなく大きなきっかけがある。
僕にとってはそれが―――今。
改めて言おう。
僕は、どうしようもない陰キャだ。
人付き合いが得意なわけでもないし、自分に自信なんてこれっぽっちもない。
誰かと目が合うだけで、無意識に視線を逸らしてしまうような、そんな人間。
だから、僕にはきっとハーレムなんて無理なのかもしれない。
たとえこの世界では男が選ぶ側だとしても。
僕には、みんなを惹きつけるような魅力なんてないし、堂々と全員のことを愛してるだなんて言える度胸も器もない。
……好意を伝えてくれた女の子がいるというのに、それに対して答えずに他の女の子に行くのは失礼なのかもしれないけれど、今の僕のままじゃ彼女の想いにちゃんと応えてあげることはできない。
だから。
僕と仲良くしてくれている女の子たちと、それぞれにこれからちゃんと真摯に向き合って。
―――一番愛せる人を見つけることなら、僕にもできるかもしれない。
たとえ、思いが伝えられないまま元の世界に戻ることになって、この関係がすべてなかったことになってしまったとしても。
たとえ、思いを伝えた瞬間に元の世界に戻ることになったとしても。
それでも。
僕は、そのときの後悔を覚悟してでも、今を大切にしたいと思う。
もう逃げないで、自分の気持ちとちゃんと向き合って、前を向こうと、そう決めたから。
……これは、僕にとって大きな一歩。
臆病で、卑屈で、弱気で、いつも後ろ向きだった僕が、初めて自分で前に踏み出した、記念すべき第一歩―――。
「ははっ、善処するヨ……雪乃」
僕が、初めて異性を名前で呼んだ瞬間だ―――。
ここまでご覧頂きありがとうございました!
これにて第一章(と分けてた訳じゃないですが)が完結です!話は終わりません!!!!
とりあえずの区分けとしてここまで書けたのはみなさんのお陰です、、本当にありがとうございます!
ここまでで4人のメインの女の子と他にもいろんな女の子が出てきていますが、皆さんの好きな女の子はいますか?
これからも毎日更新は続けていきますので、彼女ら、そして陽太のこれからの成長を是非見ていただけると嬉しいです!
それでは、改めてありがとうございました!




