第十八話 一羽のペンギンと、変わりたい自分
ペンギンの餌やりは、展示エリアの少し奥にある、"ふれあい広場"という場所で行われていた。
「おぉ~! これは可愛いね!」
「あ~……確かに、か、可愛い、すね……」
そこで戯れているたくさんのペンギンたちと初めてペンギンに触れて笑顔の燕尾さん。
傍から見ればまるで絵画のワンシーンのような美麗さだが、それを見て、やはり僕は思う。
いや可愛いのはペンギンもだけど先輩もだよ???、と。
もうこの際ハッキリ言おう。
僕は燕尾先輩が女の人なら、正直付き合いたいとさえ思う。
オイオイ、お前、こんなのでいきなり好きになるんかよ……とか思ったか?
いや、なるんだよこれが。
いいか、分からないのなら教えてあげよう陰キャの生態をッ!
まず、異性から優しくされるだけで、正直好きになる。
髪を耳にかける仕草を見るだけで、ちょっと気になり始める。
笑顔を向けられた日なんかには、夜に何度も思い出す。
気持ち悪いと思うたか?
だが、それが僕という、陰キャという生き物だ。
そして、何度も言うが燕尾さんは顔が良く、性格も良く、気遣いもあり、よく笑ってくれる。
むしろ好きにならないほうがどうかしていると思うよ?
「はーい、それじゃあそろそろご飯タイムにするよ~!」
「おっ、始まるみたいだね!」
――と、僕のどうでもいい思考もそこらに。
ご飯タイムと口にする係員の人の言葉を理解しているのか、その言葉を皮切りにさっきまでぽけーっと立っていたペンギンたちを含めた全ペンギンが一斉に機敏な動きで係員に群がっていった。
「……うわ、すっご……意外と陸地でも早いんだ……」
「ふふ、意外と機敏なことに驚いたろう? と言ってもこんなに陸地を走るのを見れるのは水族館でぐらいだろうけどね」
「あ~、確かによく動画とかで見かけるのって氷の上で滑ってますもんね~」
「おや? 実はペンギンも暖かい地域に住んでる種類もいるんだが……と、それは後にして今は彼らの可愛らしい姿でも見ようじゃないか」
燕尾さんにそう言われるがままにペンギンたちを見ると、飼育員が魚を放るやペンギンたちは小さなジャンプを繰り返しながら、空中で見事にキャッチしていた。
「おぉ~!」
それらを見ていた僕を含めた観客から歓声が上がり、いくらかの拍手が起こり、僕の意識も燕尾さんからペンギンへとシフトしつつあったその時。
……あれ、あのペンギン……。
ふと、群れから大きく離れた岩の陰にできた小さな影の中で、一羽のペンギンがただ口を開けたまま、そこに餌が入るのをただ待っているペンギンを見つけた。
……お腹が空いてるならもっと頑張って前に出たらいいのに……。
あれじゃ絶対もらえないだろ……。
独り言のように、心の中でそう思ったその時。
その言葉が、まるで返す刃のように自分の胸の奥深くに刺さってくる感覚があった。
心の中を暗く染める嫌悪感のようなもの。
これは……。
――あぁ、そうか。
あれは。あのペンギンは僕自身なのか。
同族嫌悪。
ペンギンに対してこれ抱くのはどうかと自分でも思うが、僕は、自分と同じように、意志薄弱なペンギンに、自分を重ねてしまった。
ペンギンがいくら魚を食べたいと願い、口を開けていたとしても、自分からは進んで行動はせず、あくまで誰かに気が付いてもらおうとするその行為は、まるで、僕がいくら口ではモテたいと言っても、どこかで怯えて、諦めて、そして最後には相手から気が付いてもらうことに逃げているものと似ていたから。
……自分から動かなきゃ、何も変わらない―――。
『―――うちが遠野と!? ありえないって!』
……ははっ、そうだった。
変わらなくていいこともあるよな。
危うく、また勘違いと思い上がりをするところだった。
たかがとも言うのは失礼かもしれないけれど、ペンギンに感情を重ねたただの陰キャが、何を付け上がろうとしていたんだろうか。
僕なんかが前に出れるはずもないって、わかってるだろ……。
陰キャは夢だけ見て、現実ではひっそりと生きる。
それが一番良いって、あの時決めたんだから。
だから、僕は何をすることもなく―――。
「おや、あそこに食べはぐっている子がいるね……お姉さん! あそこのペンギンにもあげてもらえるかい?」
――え。
「え? あ~っ、またこんな隅っこに逃げて~! ほらいくよ~! えいっ」
燕尾先輩の言葉に反応した飼育員の人は、先ほどまで岩陰でひっそりとしていたペンギンに向かって奇麗な放物線を描くように魚を放り投げた。
その魚は宙をまるで泳ぐかのように、ひらひらと舞いながら、パクッとペンギンの口に収まった。
「おぉ~!!!!」
それを見た観客は歓声を上げるが、しかし、それは今の僕の耳に入ることなかった。
ごくりと喉が鳴る。
それが魚を飲み込んだペンギンの音だったのか、それとも――僕自身のものだったのかはわからない。
ただ、一つだけ言えるのは――。
「ふふっ、よかったね! 一匹だけ仲間外れなのは悲しいからね……」
燕尾さんが笑顔でつぶやいた言葉が、僕の胸にまで染み込んでくる。
……まったく、この人は……。
他のペンギンたちが何匹も食べているものに比べたら、たかがほんのひと欠片の魚。
……だけど、あのペンギンにとっては、きっと世界で一番美味しく思える魚だっただろう。
誰かの一言。
誰かのちょっとした気づきで、たとえ陰に隠れていたとしても、思いが伝わることがある。
確かに今までと同じように人任せなのは変わらないのかもしれない。
だけど、踏み出す一歩が、チャンスがそこにあるのなら。
水族館に燕尾先輩が誘ってくれたこの機会に。
ほんの少しだけ、ほんの一歩だけ前に出てみてもいいのかもしれない。
たとえそれが報われない結果になるとしても……。
「あの、燕尾先輩……!」
「わっ、急にどうしたんだい?」
……いや、僕は今まで燕尾先輩の何を見てきた?
過去の人は、しょせん過去。
燕尾先輩は、燕尾先輩だ。
「あの……少し、ここで待っててもらえませんか?」
柄にもなく言わせてもらえるのであれば、そうだな……。
きっと、何かが変わる瞬間というのは。
こうした、些細な出来事なんだろう――――。




