献杯
アンドライトと呼ばれたドワーフは目を丸くしていたかと思えば、その顔を綻ばせながらエンリケへと語りかけた。
「お前、エンリケか? 随分とまぁ、老けたな! 元より陰気な面がより、陰気になったぞ! カビでも生えそうだ!」
「そういう貴様は、眉間の皺に磨きがかかったな。最早、巌のようだ」
「抜かせ、貫禄と年季が出来たと言いやがれ。それでどうした。貴様が一人で来るとは。あの生意気坊主……いや、もう生意気おっさんか! 奴は何処にいる?」
その言葉が誰を指すのか、理解しているエンリケは僅かに顔に翳りが出来た。
それに気付かず、アンドライトは語り続ける。
「アンドライト」
「どうせ奴の事だ。まーた、武器をめちゃくちゃに扱って壊したんだろう? 直すのはやぶさかではないが、一発叩いてやらんとな。そうだ、テメェらが来たら見せてやろうと思ったものが──」
「ゼランは死んだ」
騒がしかった言葉が途絶えた。
重い沈黙が辺りを包み込む。
「あ、えと、わたし作りかけの泥人形があったら戻るね! さー、はやくつくらないとなぁー!」
空気が変わったのを理解したのか、ラピスがわざとらしく口にしながら出て行った。それを気にかける者もいない。
その間も両者の間には沈黙が走る。
やがて先に沈黙を破ったのはアンドライトだった。彼は深い、深いため息を吐いて言葉を紡ぐ。
「……。そうか、死んでも死なんような奴であったのにな。誰を庇って死んだ?」
「何故誰かを庇ったと思う?」
「抜かせ。テメェがいるのなら、あやつが病気や怪我でおっ死ぬわけがねぇ。毒かなにかは知らんが何か卑怯な手段で誰かを庇ったに決まっている」
「……残念ながら外れだ。俺は、お前が言うほどの医者ではなかった」
自嘲するように笑う。
「黒肺病。ゼランを蝕んだ病の名だ。船乗りにとって悪夢とも言える病にゼランは罹患した」
「あの不治の病にか。そうか……そうか…………。エンリケ、お前は……」
「お前に会ったならば伝えて欲しいことがあると、ゼランから言伝を預かっている」
アンドライトの言葉を、エンリケは押し留めた。
怖かったからだ。
責められることが、ではない。
憐れまれたくなかったからだ。
「『悪りぃ、お前の剣を世に知らしめる事が出来なかった』と」
その言葉を聞いたアンドライトは顔を天に仰いだ。
背が低い為、エンリケから表情が見えているのだがアンドライトは何かを堪えるようにぐっと強く目を瞑っていた。
やがて、アンドライトは無言で歩き出し棚を漁り出す。
ドンっと割れないのが不思議なくらいの強さで瓶を置く。割れないのはドワーフの技術所以であった。アンドライトはもう一つ用意したコップに液体を注ぐ。臭いからして酒であった。
「お前も飲め」
「酒は得意ではないのだが。特にお前らドワーフの酒は度数が……いや、そういうことか。ならば、頂こう」
アンドライトから酒を受け取る。
これは献杯だった。
道半ばで果てた、ゼランへの。
エンリケは注がれたコップを仰ぐ。そして、むせかけた。喉が焼けるほど熱い。
思わず涙が出そうだ。こんなのをがぶ飲みするドワーフはやはりどうかしていると思った。
アンドライトはエンリケ以上に酒をがぶ飲みし、大きく息を吐いた。
「儂が彼奴に剣を与えたのは、奴の旅の助力になればと思ったからだ。断じて己の名声の為などでない」
「知っている。だが、それでもゼランは世に知らしめたかったのだ。ドワーフの友人が作った剣はこんなにもすごいのだと」
「バカだ、奴は大馬鹿ものよ! 死んじまえば、何もかもお終いだろうに!」
「……あぁ、全くその通りだ」
アンドライトの言葉を、エンリケは同意した。
じっと俯く。注がれた酒に、自分の顔が映る。随分と情けない顔だった。
「それで? お前らが此処まで戻って来たのはどんな理由だ? ここは《未知の領域》の初めだとはいえ、戻って来たのには理由があるのだろう?」
「アンドライト。俺はもう《地平を制する大魚》の船医ではない。追放され、海へと落とされ処刑された」
「は? 処刑されただと!? だが、お前は此処にいるじゃねぇか」
「そうだ、俺は生きてしまっている」
エンリケの言葉に、ぴくりとアンドライトは眉を動かす。
「俺が今乗る船は《いるかさん号》。コロン・パイオニアという小娘を船長にした船だ。俺は、そこで船医として働いている。不本意であるが、命を助けられた恩がある」
「はぁ? お前程の奴が小娘の元で働いているだと? 命を助けられだからとはいえ、お前、本当妙な所で律儀な男よな」
エンリケの医師としての技量を知るアンドライトは、エンリケが小娘に付き従うことに大層驚く。
「色々と苦労はあるがな。特にあの船には、ミラニューロテナガザルという猿を除き、人間は女しかおらん。それも、様々な種族のな」
「女だけ……いや、猿もいるが……とにかく、話を聞いていれば大変そうだな」
「そうだ。特に船長であるコロン・パイオニアは勇猛と言えば聞こえが良いが、つまるところ無謀な蛮勇であるとも言える。正直、命が幾つあっても足りんだろう」
「オメェじゃねぇよ。乗ってる他の船員がだ」
「……なぜだ」
「だってオメェ、珍しい種族とか見境なくなるだろ」
アリアの瞳が気になり、調べようとしては煙に巻かれていること。
クラリッサに人魚の人の部分と魚の部分の境目をじっくり見ようとして尾で引っ叩かれたこと。
ビアンカの飛行する際の原理を解明すべく、羽のある腕をじっくり見ようとして斬りかけられたことを
ノワールが語る、眼帯に隠されし闇の力と言うのが何か非常に気になり、確かめようとしては顔が涙目と赤くなりながら逃走されること。
この男、普段から割とやらかしているのである。
思い当たる節があるため、エンリケはふいっと視線を逸らした。
アンドライトは、冷ややかな目で見る。
「お前、マジで昔から変わらんのな。それでも元一国の──」
「アンドライト。俺の話は良い。それよりも俺がここにきたのには目的がある」
エンリケは話を遮った。
誤魔化したな、とエンリケの性格を知っているアンドライトだが指摘するよりも先にエンリケの瞳が真剣味を帯びているのに気付き、先を促した。
「アンドライト。お前は頑固で偏屈だが、その腕はドワーフ随一だと思っている。だからこそ、お前の力を借りたい」
「お前褒めるのか貶すのかどっちかにしやがれ。それで? 何の話だ?」
「……俺が欲しいという訳ではないが、必要だと判断した。お前に作ってもらいたいもの。それはーー」
頭に桃色の髪を持つ、片腕のない薬師の事を頭に浮かべつつ、エンリケが告げようとする。
その時、ドンドンと外から何か叩くような音が聞こえてきた。
警鐘の音だ。それを聞いたアンドライトが顔を歪ませる。
「ちっ、またか!」
「里に入られたのか? 此処には、魔鉱石を使った雷の迸る魔獣用の門があるだろう」
「そんなもん! 資源不足でとうの昔に殆ど機能しなくなったわ!」
アンドライトが吐き捨てるように怒鳴り返す。
「今ドワーフが誇る鋼鉄技術は閉店休業中だ! 一匹の魔獣のせいでな!」
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