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宣言と逡巡


 決闘から数時間。


 あんなことがあったとは思えないほど、清々しい程の明るい空。


 コロンは元より他の連中が軒並み、夜通しの戦いで眠り果てる。リリアンですら、航海の方向を確認しつつも、こっくりこっくりと甲板の樽にもたれかかり、眠りかけている。


 エンリケは甲板の一角にある植物を育てる箇所にいた。意外とこの男、タフである。自らの医務室以外にも、外にも植物を育てている。


 元々はオリビアが育てていたが、エンリケもしばしば手伝いをすることがあった。それだけでなく、最近は彼自身も色々と種を植え始めた。


「……成長が悪いな。土の栄養をいじるか。ミネラルの豊富な結晶を混ぜるとするか」

「ほう、植物とはただ水をあげるだけではダメなのだな」


 エンリケが植物の剪定(せんてい)をしていると、工具と板を肩に背負いながらビアンカが話しかけて来た。


 鳥種の為か相変わらず腋から下へ布を大きく切り取った露出度の高い服を着ている。

切り込み過ぎたのか乏しい横乳が見えるが本人は気にした様子はない。


 武人であるビアンカにとって、自らの装いによる他者の視線恥ですらないのだろう。


 それでも軽い防具なども装備していないことから、いつもよりも動きやすそうな服をしている。


 ビアンカは船の修理を行っていた。自らの<竜巻旋風刃>の余波であちこちが痛んでしまったのだ。被害が広がらないようワザとエンリケは正面から受け止めたがそれでも余波で帆を畳むロープが切れたりや船の側面に亀裂が入ったのだ。


 直したばかりなのに直ぐに壊れた箇所が出来たことにリリアンは裏で泣いたという。一方コロンは世の中こんなもんだと笑っていた。


 そしてその怒りをビアンカにぶつけた。ビアンカもそれを粛々として受け入れた。元々コロンの命令もあったからか、ここ最近は鍛錬もそこそこに船を直してばかりいる。


「栄養とは与えるだけでは意味はない。あげ過ぎれば根腐れする。ならばこそ調整する必要がある」

「ふん、甘やかすだけではダメということか。やはり何事もみっちりと厳しくしなければならない。鍛錬と同じだな」

「鍛錬もし過ぎれば逆効果だがな」

「何? そうなのか? すればするほど筋肉むきむきになるのではないのか?」

「そんな単純な訳ないだろうが。より良い鍛錬と食事、それが無ければ意味がない」


 ただ鍛えるだけでは意味がない。成長とは食事と鍛錬が密接に関わっているからだ。


 それだけにコロンがわからんとエンリケは頭を悩ませる。いくら鬼という力に優れる種族とはいえ、あの肉ばかり食う食事で何故あれだけの肉体を保持出来るのか。一度隅々まで調べたい。が、それを言ったらコロン本人はともかく、リリアンに撃たれそうだ。


 エンリケが一人思考に耽る中、ビアンカは何か気付いた表情をする。


「……そういえば最近リコが前よりも成長していたな。さては貴様が何かしているのか?」

「さて、どうだろうな」


 いまだにちょこちょこと、こっそりご飯をたかりにくるリコに、普段から見て偏り足りない栄養を補う為に、バレないように色々な食材を混ぜているだけである。


 エンリケの言葉に、答える気はないようだなとビアンカは肩をすくめた。


「そちらもそちらで苦労しているようだな」

「修理のことか? 罰は罰だ。受け入れよう。この事に関しては全面的に自分に非がある」

「そうか。だが水分補給はきちんとしておけ。今日の気温は高い、熱中症になりかねんからな」

「ふっ、貴様が自分を心配するのか? 海に叩き落とした相手だぞ?」

「医療において私怨は持ち込まない。それは医師として当然の義務だ。」

「……そうか。貴様は大人なのだな」


 エンリケの言葉に、ビアンカが悔しそうな顔をする。

 自身の行いを恥ているのだろう。


「何か自分に手伝えることがあれば言え。そのくらいはやってやる」

「……ほう。ならば一度身体検査をさせてもらいたいものだ。獣人の、それに鳥種の体というのは非常に興味深い。一体どのような構造で、人の身体で飛行を可能としているのか。鳥のように骨が軽いのか、ワイバーンのように何かしら特別な用法で飛行しているのか気になるのでな」


 自身の言葉に、饒舌になりながら長く話すエンリケに、自分で言っていながらドン引きするビアンカ。


「貴様は……。わかったぞ、貴様さてはノワールにも同じように詰め寄ったな?」

「黙秘しよう。それで、どうなのだ?」


 睨むビアンカ。それを真正面からエンリケも睨み返す。


 やがてビアンカはフッと笑う。


「良いだろう。自分が言い出したことだ。今度隅々まで調べてみろ。だが、変なことをすれば喉を掻っ切る。貴様は時折怪しい目をするからな」

「ずけずけと言う。だが下手に策略を巡らせる輩よりは好感がもてる」


 パルタガスの事を思い出し、苦虫を噛み潰したような表情になる。今回は《サンターニュ》から脱出する際に助けられたが、あぁいった老獪さを持つ相手との会話は非常に疲れる。


 対してこうして自身の感情を偽れない者との会話はなんと楽なことか。最も感情的に行動する事もあるのでそこはマイナス点だが。


「貴様、何か失礼な事を考えてないか?」


 鋭い目で射抜かれる。

 本当に勘の鋭い奴だ。


「いいや、別に何も」

「どうだかな。何かロクでもないことでもしようと企んでいるのだろう?」

「何度も言うが俺は何もしていない。この船に害をもたらす気もない」

「……その言葉、今は信じよう。だがもし偽りならば自分は容赦なく貴様を斬るからな」

「その時は好きにしろ。その時死のうとも悔いはない」

「貴様は……」


 その言葉に再び怒りの炎が宿るビアンカだが、思い出し抑える。


 やがて下を向くと何かを決意したような表情を浮かべ顔を上げた。


「自分は決めたぞ。いつか貴様に生きること喜びを思い知らせてやる! いつか貴様が死ぬ時に後悔するようにしてやる! もっと生きていたいと思うようにな!」


 ビアンカの思わぬ宣言にエンリケは多少、面をくらう。


 その間も、ビアンカは言葉を続ける。


「自分はお前が嫌いだ。今も変わらない。だが、少なくとも認めてやる。この船に共になる仲間として。背中を預けてやる。……言いたいことはそれだけだ! わかったら、容易く死ぬなど言うなッ!」


 言いたいことを捲し立て、そのままビアンカは去っていった。


「……なんなんだ、アイツ。考えることはよくわからんな」


 エンリケはその背を見送った。


 あれは多分、ビアンカなりの気遣いだったのだろうか。だとしても、もう少し言い方があるだろうに。


 そんな風に思っていると別の女に声をかけられた。


「素直じゃないよね、ビアンカさん」

「お前か」

「お前じゃなくてクラリッサ! おじさんってちょっと口悪いよね」

「別に気を使う相手でもないだろう」


水の浮き輪(アクア・リング)》で浮きながら、クラリッサが横にいた。


 エンリケの言葉にクラリッサの尾がぷりぷりと左右に揺れる。相変わらずわかりやすい娘だ。感情に比例してよく動く。その姿にふと悪戯心が湧いた。


「いや、違ったな」

「ん?」

「お前は命の恩人。ならば多少は気を使うべきだろう。ーー申し訳ない事をしました、クラリッサ嬢。これまでの態度をお許しください」

「えっ、ま、待ってよ。今更そんな事さらな態度になられても困るよ。ねぇ、いつもの口調に戻ってよ!」


 胸に手を当て慇懃(いんぎん)洗練(せいれん)された礼をするエンリケにクラリッサが慌てる。


 その様子をエンリケが笑みを抑えた状態で見ていると、気付いたのかぷくーとフグのようにクラリッサの頰が膨らむ。


「あ、あぁー! からかったね! からかったでしょ! もう! 意地悪なんだから! そんなのじゃモテないよ!」

「常時他人に気を使うなどいずれ破綻する。ならば俺は他人に対して気を使わない。お前もそうすれば良い」

「うわぁ……この人絶対好きになる人なんていないよ」


 ジト目でエンリケを見る。


 それをどこ吹く風と流す。やがてクラリッサは何を言っても意味がないと大きくため息を吐きーーやがて神妙な顔になった。


「ねぇ、おじさん」

「なんだ?」

「……ううん、なんでもない」

「そうか。ならば俺はもう行く。まだ仕事が残っているからな」

「うん」


 去っていくエンリケを何処か憂いに満ちた目で見送るクラリッサ。


 クラリッサには一つだけ気がかりがあった。


『やはりそうだ。貴様はに執着していない。オリビアを助ける時もそうだ。あの時、貴様は一人残った。それは勝算があるからではない。もしかしなくても、死んだらそれはそれで良いと思ったのだろう!?』


 それはビアンカとの決闘時の会話。


 エンリケは生に執着していないとビアンカは語った。エンリケもまた、それを肯定した。


 そしてさっきの会話もそうだ。

 エンリケは生きることに目的を見出していない。彼が此処にいるのは不本意だが、助けられた事への恩義だとわかった。


 他の船員と違い、エンリケの過去をクラリッサは知っている。


 ゼランを失ったと。それで自らの生きる目的が消失したと。


 だからこそ思うのだ。




 それは即ちーー()()()()()()()()()()()




 彼は死にたがっていた。

 あの時助けたのは自分だ。あの時はそれが最善だと思った。だが正解ではなかったのではないか。


 だからクラリッサは何も言わない、言えない。


 それはエンリケをいたわる気持ちと共に、彼に恨まれていたら怖いという自分の臆病な気持ち、両方があった。


「どうしたら良いのかな……」


 結局クラリッサは去っていくエンリケの背に問いかけることはできなかった。




 一つの物事が進んだが代わりに新たな問題が生まれてしまった。それが解決するのはまだ先の話である。





 今はただ《いるかさん号》だけが、迷いなく航路をとるのみだ。次の島を目指して航海は進む。



よろしければポイント評価、ブックマークの程よろしくお願い申し上げます。

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