慚愧
後書きに挿絵を挿入しています。イメージが崩れるという方は後書きの時点でブラウザバックしていただけたら幸いです。
「殺した……?」
「あぁ。……いや語弊があるな。俺が殺したも同然だ。そちらの方が正しいか」
「って事は理由があるんだね?」
殺したと聞いてクラリッサが動揺を押し込めたのは殆ど偶然と言って良い。そう偶然、殺したという内容を話す時のエンリケが酷く哀しそうだったからだ。
ふぅ、と気怠げに紫色の煙を吐く。
「まず初めに知ってもらいたい事がある。C・コロンは世界一周を目指している。恐らくだが今のまま進めば《未知の領域》への玄関口とも言われている《サンターニュ》に辿り着くだろう」
実際は北の港町に舵を切る事になったが現時点でのエンリケはその情報を知らされていない。
「そうなると次に着くのは《スクウェア・ボルケーノ》か。あそこで一度羅針盤を変えなければ航海もまともに出来ないからな。リリアン・ナビの進路によってはパラオ海域の《ウェーバー諸島》も通るだろう。その先になると多数の島や国が存在する為俺の知らない所も通るだろうな。だがあえて予想するなら……」
「ちょ、ちょっと待って。スクウェア・ボルケーノ? パラオ海域? おじさんが何言っているか分からないわ。だって、そんなまるで見てきたように……語……る……」
まさかという思いが浮かぶ。エンリケはそんなクラリッサの考えを察したように皮肉げに笑う。
「お前の考えている通りだ。俺はこの先の海を知っている。何故なら過去に既に通った道だからだ」
「えっ!?」
もたらされる内容に驚きを禁じえない。だってそうなら彼は自分たちのこれからの航海の先を知っていることになる。
「君が見た俺が乗っていた船。あれは数ある船の内の一つに過ぎん。それも、最も小さなな」
「あ、あの大きさの船が!? だって、いるかさん号と同じくらいの大きさだったよ!?」
「そうだ。……俺の所属していた船団《地平を征する大魚》はガリオン船三隻、キャラック船七隻、その他小型船も含めて十四隻。計二十四隻からなる大船団だ。これほど大規模なのは国からの軍か、歴史に名を残す大海賊ぐらいしかないだろう」
「に、にじゅうよんせき……」
途方も無い数にクラリッサは唖然とする。実際今の時代十隻を超えるだけでも大海賊と名乗れるのに、その2倍以上もあるのだ。クラリッサの反応も当然だろう。
クラリッサは《地平を征する大魚》と言う名の船団を聞いた事なかった。だから数に驚くだけに過ぎたがリリアンならばきっとその名を聞いた瞬間驚くだろう。何故なら15年も前から存在する船団であり、今リリアン達が使っている海図と航路も《地平を征する大魚》が開拓したのだから。
「《地平を征する大魚》正に今の時代において名を馳せた大船団の一つだろう。そしてそれを率いる男がいた。ーー名はゼラン。ゼラン・フェルティング。俺の知る限り最も無謀な男で、最も考えなしで、最も自由な男だった」
ともすれば罵倒にきこえるが、その言葉には深い親しみがあった。
「ゼランは、俺にとって生涯唯一の親友だった」
エンリケの語りは続く。
「15年も前だ。まだ《地平を征する大魚》の人数も少なく、規模も小さい頃から俺とゼランは共にいた。元は俺とゼラン、二人で立ち上げた海賊団だからな。当時から大変なことばかりだった。見知らぬ島に上陸し、その島に住む魔獣と死闘を繰り広げたこともある。渦潮に巻き込まれ、危うく沈没しかけたこともある。海賊同士の抗争に巻き込まれ、挙げ句の果てに当時の大勢力の一つを叩き潰したことだってあった。おかげで裏組織からは賞金首だ。だから色んな奴からも狙われた。全く奴の考えなしの行動のせいで幾度死にかけた事か」
クラリッサはここで初めてエンリケの人間らしい表情を見た。リリアンやビアンカが言っていた仏頂面でなく過去を想い、懐かしみ、そして寂寥を含んだ顔だった。
「ゼランにはカリスマがあった。相手が例え敵であろうと自らの船団に引き入れられるほどの。そして、同時に誇り高い男でもあった。あいつは他の海賊のように港町からりゃくだつはしなかった。変わり者だろう?」
「それは、まぁ」
クラリッサも《いるかさん号》に乗ってから他の海賊を見たことは勿論あった。賊というだけに殆どの海賊はりゃくだつを繰り返していることを知った。コロンはそんな事をせず、奪うにしてもそれは喧嘩を売ってきた敵に限る。
そしてそのコロンの考えが少数派であることも航海で知った。コロンと同じ港町からりゃくだつしないゼランは少数派なのだろう。そしてりゃくだつが出来ないということは船員の不満というものがたまるはずだ。なのに反乱が起きなかったということはゼラン・フェルティングがいかにカリスマに溢れていたかがうかがえた。
「そんな変わった奴だからこそ、皆惹かれたのかもしれん。そしていくつもの船を率いるようになってから奴は総船長と呼ばれるようになった。そして俺の役職だが……知っての通り俺は船医だ。だから《地平を征する大魚》でも船医だった。奴が船団の総船長ならば俺は船医の総責任者。まぁ、殆どゼランの専用船医ではあったから立場だけのお飾りと言っていい。それでも船医長と呼ばれ、他の船医を統括する立場にあったがな」
「えっと、もしかしておじさん、偉い人だった?」
「どうだろうな。古参からいて、総船長に意見できる立場というとそれなりに偉そうに見えるが、それ以外ではあまり役に立たなかったからな。航海士としても最低限の知識をかじった程度だから本職には劣るし、戦闘も得意ではない。弟子も取らなかったから寧ろ他の船医からは疎まれていたかも知れん」
エンリケは自惚れてはいなかった。自分に出来ることと出来ないことをきちんと把握していた。そして他人から自分がどう見えるのかも分かっていた。
「旅は続いた。嫌なことも面倒なこともあったがあの日々が楽しかったのだけは今も断言できる。ずっとこんな日々が続き、このまま世界一周を成し遂げるのだと。……そう思っていた」
そこでエンリケは言葉につまり、ぐっと握り拳をつくる。その様子だけで何が起きたのか何となくクラリッサは予想できてしまった。
「航海の最中、ゼランは病に罹った。その病名は《黒肺病》。名の通り死んだ奴は肺が真っ黒に覆われてる病だ。徐々に心肺機能が失われ、呼吸困難になりつつ喘息、発熱、頭痛にも襲われる。別名《死の予告》。咳から始まる事からそう名付けられた。残念ながら《未知の領域》にこの病を治す薬草も、施設もなかった」
「じゃあ、おじさんがこの海域まで戻って来ていたのはその病気を治せるところまで戻るため?」
「察しが良いな。その通りだ」
ゼランが病気になった後、航海は一時的に中止になるはずだった。だがそのことで《地平を征する大魚》は2つに割れた。当時新しく入った船と古参の船がそりが合わなかったがために起きたことである。結果、一度戻るグループと先に航路を開拓するグループの2つに分かれることとなった。
「船は一度別れ、ゼランを乗せたガリオン船含む七隻は《未知の領域》より帰還した。こちら側には豊富な薬草と医療技術がある島を知っていたからだ。病気を治せればもう一度戻ろう。そしてまた世界一周の旅に出るのだと俺はゼランと語り合った。だが、ゼランの容態は著しくはなかった。俺はあらゆる手を尽くした。結果、普通なら半年で亡くなる所をゼランは一年持ち堪えた。……俺が持ち堪えさせてしまった」
言葉には自責の念が宿っている。
《黒肺病》患者を一年持ち堪えさせたエンリケはまさに名医といっても過言ではない。だが彼はそのことを全く嬉しく思ってなかった。なぜなら
「治るはずだった。治せるはずだった。……だがゼランは死んだ。薬は効かなかった。俺が、殺してしまった」
「……!」
クラリッサは予想通りの内容に言葉が出ない。同時にわかった。彼が殺したと言った訳を。
エンリケは嗤う。全ては愚かな自分を嘲るために。
「自惚れていた。俺はこれでも一流の船医だと自負していた。同じ難病と言われた別の病を治した経歴もあるから今回も治せると驕っていた。だが、現実はどうだ。作り上げた薬は効かず、俺は悪戯にゼランに苦しみを長引かせただけだ。……何が船医だ!! たかだか病一つ治せず、友一人救えないただの愚か者ではないか!」
ダンっと手摺を叩く。
エンリケらしくない、先ほどまでの落ち着いた様子からは思えない語気の荒げた口調にクラリッサは怯える。「すまない」と、落ち着いたエンリケが謝罪する。
「その後は君の見た通りだ。俺は仲間の手で処刑された。ゼランを救えなかった責任を取らされてな」
「そんなの! おじさんは何も悪くないじゃない! 友達を救おうと手を尽くしただけで……!」
「いいや。俺が悪い。どうあがいても俺は結果的にゼランを救えなかった。それが全てだ。ゼランの死後、色々と揉めた。先導者亡き海賊団など崩壊するのが必定。本来ならそれをNo.2などが纏め上げる必要があるのだが……俺はどうでも良かった。ゼランが死んだ時、俺の中の全てが崩れ去った。世界一周も、東の大陸も、どうでも良くなった。唯一一人色々と俺が元に戻るよう説いていたがそれすらも気に留めなかった。そうこうしているうちに疎ましくなったのか、それともゼランを救えなかった事を恨んだのか仲間たちに海へと落とされた。俺は俺を落とした奴を恨んでいないし、憎んでもいない。そして俺は今ものうのうと生き長らえている」
「……………」
≪クゥゥ……≫
もはや何も言えなくなったクラリッサはただ沈痛な様子でエンリケを見た。そんな主の心を感じ取ったのか龍が頭をこすりつける。
「話はこれで終わりだ。俺は仕事に戻る。あまりに夜更かしはしない方が良い。肌が荒れてしまうからな」
根元まで吸い終わったタバコを海に捨て、振り返ることなくエンリケはその場から離れた。クラリッサがどのような顔をしているのかほんの少し見るのが怖かったから。
クラリッサは何も言わなかった。それが有り難がった。
「……?」
途中何らかの視線を振り向くが誰もいない。ミラニューロテナガザルのどれかが起きて見てただけだろうと思いそのまま階段を降りていった。
「……ふむ、あれがクラリッサが拾った人間か。くくく、ビアンカから聞いた通り、実に興味深い。我が眼が疼く……」
クラリッサでもミラニューロテナガザルでもない。闇に紛れて何かがそう呟いていた。




