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紅い桜  作者: 道豚
39/151

ANA565

 ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。

 { }で括られたものは無線通信を表します


 白く光る雲海のはるか上を、白い胴体に機首から垂直尾翼まで少しずつ広くなる青いラインの入った旅客機が飛んでいた。

 やや狭く感じられる……飛行機の大きさに比べて……コックピットには、制服のパイロットが二人。

「位置報告と降下の許可を取ってくれ」

 左に座った、40代後半の機長が右席の30代の副操縦士コパイに指示をした。

「はい」

{『関西アプローチ ANA565……』}

 すかさずコパイは無線で管制を呼び始めた。

{『ANA565 関西アプローチ ゴーアヘッド』}

 少し混雑しているのだろうか……コパイの何度目かの呼び出しで、やっと管制から返事が来た。

{『関西アプローチ ANA565 現在ALBAT 着陸のための降下をリクエスト』}

{「え!……降下? まてまて……ぉぃ……」}

 どうなっているのか?

 管制が慌てているのが、無線越しに聞こえる。

 コパイは機長を見た。

「俺が話そう」

{『関西アプローチ ANA565 どうなってる?……』}

 コパイでは荷が重いと感じた機長は、マイクに向かって話し始めた。

{『……きちんと指示をしてくれ』}

{『ANA565 関西アプローチ 高度1万まで降下』}

 管制官も代わったのか、違う声で答えが来た。

{『関西アプローチ ANA565 高度1万まで降下』}

「どうなってるんだろうか……なんで1万までしか降下させてもらえないんだ?」

 マイクのスイッチを切って、機長は首を捻った。




 ANA565は自動操縦オートパイロットを使って、燃料消費が最小になる最適な降下率で高度を下げる。

 やがて雲海が直ぐそこに見えてきた。

『シートベルトサイン』

 機長が指示を出す。

『シートベルトサイン ON』

 コパイは手を伸ばしてシートベルト着用サインのスイッチを入れた。

「ただ今、シートベルト着用サインが点灯しました。 皆様、シートベルトをご確認ください。 これより先はトイレの御使用はご遠慮ください」

 客席乗務員キャビンアテンダントの放送が聞こえてくる。

「(……ん! OK……)」

 その放送を聴いて、機長が頷いたとき……

{『ANA565 関西アプローチ 高度5000まで降下』}

 管制から指示が入り……

{『関西アプローチ ANA565 高度5000まで降下』}

 コパイがすかさず返事をした。




 ---------------------




 窓の無い大きな部屋の中に、スクリーンやモニターを見ている十数人の人間が居た。

「……おい、どうするんだ!? このままだとANA565は、10分ほどでエクストラ111Gに追いつくぞ……」

 その中の一人が声を上げる。

「……エクストラ111Gは、着陸まであとどの位だ?……」

 それに対する返事なのか?……別の男が言った。

「……120ノットで飛んでるから……8分ぐらい?……」

 幾何学模様の映っているモニターを前にした男が、それに答えたようだ。

「……無理かな?……」

「……無理だな……」

「……仕方が無い。 ANA565は5000でホールドだ……待機させよう……」

 三人は頷きあった。




 ---------------------




{『ANA565 関西アプローチ 高度5000で左ターン360度』}

 雲海を突き抜けて眼下に海が見えたときに、旅客機のパイロット達に管制からの無線が入った。

{『関西アプローチ ANA565 聞き取れなかった。 もう一度言ってくれ』}

 こんな、着陸コースに入ろうかと言うところで、態々(わざわざ)一回転のターンをさせるなんて……機長にしても、経験が無かったのだ。

 つい確認してしまうのも、仕方が無いだろう。

{『ANA565 関西アプローチ 先に着陸する飛行機が居る。 高度5000で左ターン360度。 そちらは2番目の着陸だ』}

 機長が疑問を持つのを理解してくれたのか……今度は詳しく説明があった。

{『関西アプローチ ANA565 高度5000で左ターン360度』}

 兎にも角にも、管制官の指示には……自機が危険に遭わなければ……従わなければならない。

「……しかし……こんなタイミングで待機? 管制の連中は、抜けてるんじゃないか……」

 ボヤキながら、機長はオートパイロットに指示を入れた。




 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 黒いペイントで塗られたように、地面に引かれた一本の線に見える滑走路の横顔を、サクラはキャノピーの左前に見ていた。

 「ルクシ」ことサクラの「エクストラ300LX」は120ノット、とアプローチには早すぎる速度でベースレグを飛んでいる。

「(……これなら十分近くで旋回できるかな?……)」

 正面には夜須やすの海水浴場が見えていた。




「(……よっし、ここらで良いな……)」

 左に滑走路端が見えてきた。

 サクラは操縦桿スティックを左に倒し、左のラダーペダルを蹴った。

 「エクストラ300LX」は左にバンクを取り……釣り合いの取れた……滑らかな旋回をした。

「(……ん! ドンピシャ……)」

 風の弱いこともあり、サクラがバンクを戻した時は、機首は真っ直ぐ滑走路を向いていた。

{『高知タワー エクストラ111G ショートファイナル』}

 さっき指示されたように、サクラはタワーに連絡を入れた。

{『エクストラ111G 高知タワー クリヤード ツー ランド 着陸後は速やかに滑走路から出てください』}

 サクラの状態は、既に関西アプローチから連絡が行っているようだ。

{『高知タワー エクストラ111G クリヤード ツー ランド 着陸後は、直ちに滑走路から出ます』}

 サクラは返事をすると……

「(……右ラダー、エルロン左……)」

 右のラダーペダルを踏み、機首が右を向くのに合わせて……釣り合いを崩すように……左にスティックを倒した。

 「エクストラ300LX」は滑走路に対して右を向きながら、左に横滑りを始めた。

 不思議な操作方法だが、これは「フォワード スリップ」と言われる、ブレーキを掛けるための正統的な操縦方法だ。

 どういうことか……

 「エクストラ300LX」には、フラップやスポイラーのような、空中で速度を下げる為に有効な装置が付いてない。

 そういう飛行機が速度を落とす単純な方法は、高度を上げる事で、運動エネルギーを位置のエネルギーに変えて速度を落とすことだ。

 しかし、それでは元の高度に戻したら、元の速度……位置のエネルギーが速度エネルギーに変わる……になってしまう。

 よって着陸の時には、それは使えない。

 そこで使うのが「フォワード スリップ」……胴体が進行方向からズレた方向を向く事で、胴体に大きな空気抵抗を発生させる方法なのだ。

 さて、何故サクラは「フォワード スリップ」を使うのか……

 それは、ここまで通常より早い速度で飛んできたからなのだ。

 「エクストラ300LX」のアプローチ速度は、最終着陸態勢ファイナルで82ノットとなっていて、さらにタッチダウン時は64ノットと非常に遅い。

 それをサクラは、旅客機と同じ120ノットという高速で……米沢を早く降ろしてあげるため……アプローチしてきた。

 このままでは、安全に着陸できない。

 ……という訳で、サクラは「フォワード スリップ」で速度を落とし始めたのだった。




 痛む胸を腕組みして支えながら、米沢は……試験官なのだから……サクラの操作を見ていた。

「(……随分、早く飛んできたけど……これは……なかなか強烈な「フォワード スリップ」ね……)」

 米沢が驚くのも無理は無い。

 「エクストラ300LX」は、ほとんど真横を向いて……左の主翼の先に滑走路が見えている……飛んでいた。

「(……これだけ横を向いてると……速度が正確に出ないわよね……)」

 そう……速度を測る「ピトー管」は胴体と平行に……左翼の先端付近に……取り付けられている。

 そのため、胴体が進行方向を向いてないと……圧力が正確に測れず……表示される速度も違ってきてしまう。

「(……どうやって、適正アプローチ速度にするのかしら?……)」

 米沢はミラーに映るサクラの横顔……滑走路を見るために横を向いている……を見た。




 サクラの目の前で、速度計と高度計の針が激しく揺れている。

「(……やっぱり役に立たないな……こいつは切り替えておこう……)」

 サクラは何を切り替えたのか……

 実は、高度計の大気圧を取り入れる穴は胴体の横に開いている。

 そこに直接風が当たると、その影響が出て……風が当たると圧力が高くなる……高度が不正確になるのだ。

 そういう時は、コックピット内に開いた穴に切り替えるのだ。

 ピトー管も切り替えられれば良いのだが、残念ながらそれは付いてなかった。

「(……だいぶ落ちてきたな……)」

 そうこうしているうちに、速度が落ちてきたようだ。

「(……ん~~ 90ノット位? もう少し……)」

 サクラの腕に掛かる、スティックからの反力が小さくなってきた。




 「エクストラ300LX」は滑走路端の数百メートル手前の堤防を飛び越えた。

「(……もう良いだろう……)」

 サクラは「フォワード スリップ」の姿勢を解いた。

「(……75ノット……)」

 不安定に揺れていた速度計が生き返り、適正な速度で飛んでいる事を示した。

「(……PAPIは白2灯……OK……)」

 滑走路の横で、PAPIが白赤2灯ずつ輝いている。

「(……滑走路端通過……アイドル……)」

 75ノットで飛ぶと、数百メートルは10秒程度で通過してしまう。

 滑走路に入った事を確かめたサクラは、スロットルレバーをアイドリングの位置にした。

 パワーの無くなった機体は、どんどん速度を落とし……「トン・トン」と滑走路に車輪を付けた。




「(……ここから出よう……)」

 サクラは中央手前の誘導路……さすがに滑走路端から一つ目では出られなかった……に「ルクシ」を進ませた。

{『高知グランド エクストラ111G リクエスト 駐機場までのタキシー』}

 管制の許可をもらう為、サクラは「ルクシ」を止めた。

{『エクストラ111G 高知グランド そのまま待機 救急車が行きます』}

{『高知グランド エクストラ111G このまま待機 了解』}

「(……は? 救急車? 怪我人でも出たのかな……あ! 本当に走ってきてる……)」

 救急車という言葉を不思議に思いながら、サクラがエプロンの方を見ると、赤い回転灯が見えた。

「米沢さん。 救急車が来ますね。 何でしょう?」

「そうね……どうしたのかしら? あら、ここに来るの……」

 二人が見ているうちに、救急車は「ルクシ」の側に止まった。

「エンジンを止めますね」

 訳が分からないながら、サクラは危険なためエンジンを止めた。




「(……本当に来ちゃったよ……)」

 止まったプロペラの向こう側から、救急隊員がストレッチャーを抱えて走って来るのが、サクラに見えた。

「どうしました?」

 キャノピーを開けて、サクラが尋ねた。

「けが人は何処ですか? この飛行機に怪我人が乗ってると連絡を受けたのですが」

 ストレッチャーを下に置き、救急隊員の一人が答えた。

「え? 怪我人……って言えば……」

 サクラは前席を見た。

「ひょっとして……私かしら? 確かに胸は痛いけど……」

 腕組みをしたまま、米沢が声を上げた。

「それじゃ、直ぐに降りて下さい。 介助は必要ですか?」

 救急隊員が、二人ともコックピットを覗き込んだ。

「あ、一人で降りられます。 ちょっと離れて下さい」

 男性に知られるのは……ちょっと恥ずかしい所の負傷なので、米沢は痛みをこらえて一人で降りていった。




「あ! 機長。 誘導路に救急車が居ます」

「ん。 どうやら待機させられたのは、あの所為だな。 フラップ 最大……」

「フラップ最大。 小型機ですね。 あれは何でしょう?」

「どうも「エクストラ」のようだな。 アイドル……」

「アイドル。 「エクストラ」と言えば、最近若い女性がトレーニングしているそうですよ」

「ほう! それは凄いな。 フレア……」

「フレア。 西洋人で、かなりの美人らしいですよ」

「おいおい。 何処でそんなことを聞いたんだ? ブレーキ……」

「ブレーキ。 いやー 管制官に大学の同期が居るんですよ。 そいつからですね」

「しかし、救急車かー 大事がないと良いんだがな。 右ターン……」

「右ターン。 そうですね」

「皆様、ただ今高知空港に到着いたしました。 機体が止まるまで、シートベルトは外さないでください」

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