外人さんが居るんだよ
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
高専も休みになった12月の下旬。
夏ならば、まだまだ太陽が高いはずの午後6時。
しかし、今はしっかりと「夜」の風景になっていた。
「……わー サクラさん、運転が上手なんだねー」
LEDヘッドライトを煌かせて走る、真っ赤な「フォレスター」の助手席で、博美がはしゃいでいた。
「そう? 普通だと思うけど」
サクラは背筋を伸ばして、運転席に座っている。
「上手だよー 全然揺れないもん。 康煕君なんか、けっこう揺れるよ?」
「その康煕君……一緒に来なくてよかったのかな?」
「しかたがないよ。 康煕君は自分の車で帰らなくちゃいけないんだから」
「学生なのに、車を持ってるんだね」
「自分のじゃないよ。 お父さんのだって言ってた」
「借りてるんだ」
「そうだね。 康煕君のお父さんって、船乗りだから……留守が多いんだよ。 だから、わりと自由に使ってるよね」
博美のスクーターを店の駐車場に置いて、二人は博美の家に向かっているところだった。
「スクーターも乗せられたら良かったんだけどね」
「仕方が無いよ。 原付とはいっても、流石にトラックでなきゃ積めないよね。 もし入ったとしてもガソリン臭いだろうし」
サクラに答えながら、博美は後ろを見た。
まだ新車の香りが漂う車内はどこもピカピカで、古くて汚れたスクーターを載せるには気が引けるものだった。
「それに、遅くなったのは私の所為なのに、わざわざ送ってもらって、そこまでしてもらうのも悪いよ」
そう、こんなの遅くなったのは、二人が話し込んでいて「暗くなるまでに帰る事」という母親との約束を、博美がうっかり忘れていたからだ。
「ぜんぜん問題ないよ。 それにラジコン機を貸してもらえるんだから……私の方が動かなきゃね」
もっともサクラは、博美の家に行く事を煩わしいと思うどころか、喜んでいた。
なぜなら、今日ヤスオカに行ったのは「暇を潰すのにラジコン機を飛ばそう」と思ったからなのだが、その事を博美に話したら……「家に沢山飛行機があるから、使う?」……と言われたのだった。
「ただいまー メールした通り、お客さんだよー」
博美が玄関を開けた。
「……はーい……」
すぐに奥から明美(母親)が出てきて……
『……はじめまして。 Hiromiの母のAkemiです。 ようこそいらっしゃいました……』
サクラを見るなり、流暢な英語で挨拶を始めた。
『はじめまして、サクラです。 夜分に失礼します』
それに合わせて英語で答えたサクラだが……
「……あの……日本語で大丈夫です」
すぐに日本語に切り替えた。
「えっ! あ、あら……日本語が上手なんですね」
「ありがとうございます。 Akemiさんの英語も素晴らしかったです」
「やだー お恥ずかしい……」
褒められ、明美の頬が少女にように赤く染まった。
「……いっぱい有るねー これ全部博美の?」
8畳間ほどの広さの部屋に棚が置かれ、沢山のラジコン機が置かれていた。
「そうだよ。 って言うか……お父さんが作ったのが多いんだけど」
博美は、持って帰った送信機ボックスを、仕舞っている。
「そうなんだ。 おとうさんもラジコンするんだね……今はどちらに? 出張かなんか?」
「……ううん……私が中学校の時に死んじゃった……」
「ご、ゴメン…………変なこと聞いちゃったね……」
「いいよ、気にしないで。 もう随分前の事だから……」
振り返った博美が、手を胸の前で振った。
「……そんな事よりさ、サクラさんの飛行機って「エクストラ300L」だったっけ?」
「う、うん。 正確には「エクストラ300LX」っていう、ハイパワーバージョンだけど……」
「んじゃ……これは?」
博美が指差す先には、太いチークカウルが覗いている。
「これ、井上さんって人が使っていたスポーツ機なんだけど「エクストラ330SC」のスケール機なんだ」
「それって単座のエクストラだ。 エアロバティック機だよ」
「出してみようか……」
博美が踏み台を持って来た。
「……大きい、って言うか……太いね」
胴体を支えながらサクラが零した。
二人掛かりで棚から下ろした「エクストラ330SC」だが、機体スタンドに入らなかったのだ。
「そうだねー スケール機って、胴体が大きくなるよね。 でも実機に忠実に縮尺すると、こうなるらしいよ」
主翼を取り付けるボルトを、博美は締めている。
「はい、出来た。 サクラさん、下ろしていいよ」
「ん? 出来た? んじゃ、下ろすね」
サクラは主翼や尾翼をぶつけないように、そっと「エクストラ330SC」を床に置いた。
ブルーの塗装が、蛍光灯の光を受けて輝いている。
「綺麗な色だね。 うん……こうしてみると、本物そっくりだ」
「これが、この飛行機の送信機だよ」
博美が無骨なスタイルの、やや古い送信機を出してきた。
「動かしてみようよ」
送信機、受信機という順番で、博美がスイッチを入れる。
力なく、だらんとしていた補助翼、昇降舵、そして横を向いていた方向舵が「ぴんっ」と真っ直ぐになった。
博美がスティックを動かすと、それぞれの舵が滑らかに動き出す。
「サクラさんも動かしてみて。 えっとー ユーハブ コントロール だっけ?」
博美がサクラに送信機を渡した。
「ふふ♪ I have control ね」
博美の拙い発音の英語に微笑みながら、サクラは送信機を受け取った。
「あ、笑ったー いいなー サクラさんは英語が話せるんだもんなー」
「そう? でも話せないと、どうしようもない、っていう経験をしたからだよ。 博美もそうなれば、話せるようになるよ」
話しながら、サクラは送信機のスティックを動かした。
「あ! これって……」
サクラの手が止まった。
「……そっかー 右側がスロットルだったんだ……それに左右がエルロン?」
サクラは左のスティックを上下左右に動かした。
「……ラダーとエレベーターが同じスティック……」
「ん? ラジコンは普通そうだよ? 実機は違うの……って、そうか……操縦桿って右手で握る?」
博美がサクラの顔を見た。
「ん、そう。 スティックは右手で、スロットルは左手。 並列座席(サイド バイ サイド)の大型機の機長は、左右が逆になるけど……スティックに繋がるのが、エルロンとエレベーターというのは変わらないね」
サクラが右手を握って、スティックを動かすジェスチャーをした。
「そうかー そうだよね。 ねえ、サクラさん……慣れられる?」
「んーー 分からない……」
でも、とサクラは言を続ける。
「やってみなくちゃ、分からないんだから……」
「んじゃ、持って行って。 明日飛ばしてみよう」
博美が先回りして、サクラのセリフを言った。
「あら? サクラさん、もう帰るの?」
サクラが玄関から「エクストラ330SC」を出していると、明美が台所から出てきた。
「あ、はい。 もう遅いですし」
「まだ7時よー 折角だから、御飯食べていかない?」
「ぇえー そんなー 悪いですよ。 それに帰ったら用意してあると思いますし」
「あら? サクラさん、ご家族も此方にいらっしゃるの?」
「はい。 お父さんとお母さんと一緒に……」
「お母さん……」
博美が横から割り込んだ。
「サクラさんって、ハンガリーの生まれだけど……今は戸谷っていう苗字なんだよ」
「あらまあ、随分日本的な名前ねー」
こてん、と明美が首を傾げた。
「もしかして……戸谷さん、って方と結婚したとか……」
「い、いえいえ。 実は戸谷家に養子に入ったんです。 だから、今は日本人なんです」
サクラが胸の前で手を振った。
「ただい……」
その時、突然玄関のドアが開き、肩まで髪を伸ばした女の子が顔を覗かせ……
「……ま……」
サクラを見て……
「……間違えました!……」
慌ててドアを閉めた。
「……チョット、ちょっと……」
明美が外に出て行き、サクラと博美は外を窺うために、薄くドアを開けた。
さっきの女の子は、門の前で首を傾げている。
「……おかしいなー 確かにウチだけど……」
小さく独り言も聞こえてきた。
「光。 あんた何してんの?」
そこに明美が辿り着く。
「あ! お母さん。 やっぱりウチだよねー」
答える少女の顔が「ぱっ」と輝くのが、離れて見ているサクラにも分かった。
「当たり前じゃない。 ほかに何っていうの?」
「や! だって……外人さんが居るんだよ? おかしいじゃない」
「あの人は、サクラさん。 博美のお客さんよ」
「え! お姉ちゃんの? お姉ちゃんって……英語話せないよね?」
「サクラさんは日本語ペラペラよ。 それに博美も少~しは話せるわよ」
「嘘だー お姉ちゃんは、やっと挨拶ぐらいでしょ」
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「誰?」
様子を窺っていたサクラが、胸の下で……博美の方が背が低い……同じように覗いている、博美に尋ねた。
「私の妹。 光って言うの」
「妹さん? 何歳かな?」
「私の三つ下。 今、高2」
「そうなんだ。 花の女子高生だね」
「そうね。 最近、生意気になってきたけど……」
二人が歩いて来るのを見て、博美の声が小さくなった。
『……はじめまして サクラさん。 私はHikariです……』
右手を出した光が、サクラを見上げている。
『こちらこそ はじめましてHikariさん……』
出された手を、サクラは握った。
『……綺麗な発音ね。 勉強してるの?』
『……はい。 英会話クラブに所属してます……』
『わぉ! それは素晴らしいわ。 何か目的があるの?』
『……私は、日本を出て働きたいの……』
『素敵な夢ね。 きっと今の勉強は、無駄にならないわ』
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「ねえ、お母さん。 あの二人、何の話をしてるのかな?」
居間を見通せる台所で博美が訪ねた。
「光が将来の夢を話してるようね。 サクラさんはそれを応援してるみたい」
出来上がった夕食を皿に盛り付けながら、明美が答えた。
「そっか……光は海外で働きたいんだよね?」
「そうね。 お父さんが行ってた所に、行ってみたいんだって」
「アフリカだよ。 英語が通じるのかな?」
「まあ、大丈夫でしょ。 ……さあ、出来た。 博美、運んで」
カウンターの上には、4皿の夕食が出来ていた。




