99.帝都探訪
翌日、俺は生まれて初めて帝都の門を潜った。
大陸を支配する神聖帝国の首都。古今に例を見ない、歴史上最大級の巨大都市。文化の粋を集めて生み出された至宝。世間の人々が帝都を表現する言葉はどれもこれも大仰だが、実際に訪れてみると納得せざるを得ない。
「すげぇな……」
思わず足を止めて周囲を見渡す。田舎者丸出しの反応だと分かってはいるが、それでも反応せずにはいられなかった。
高くそびえる城壁は地平線の向こうにまで広がり、その内側には数階建ての豪華な建築物が建ち並んでいる。高さも質も、一つ一つがハイデン市で最高の建物に匹敵するだろう。
芸術的なジオラマじみた街並みだが、それでいて道幅は充分に広く、数え切れないほどの人の群れが何の不自由もなく行き来できている。
こんなに大きな都市なのに、ハイデン市の馬車やグロウスター領の馬車鉄道のような乗り物が全く走っていないのは不思議だったが、人通りの凄まじさを考えると、安全のためにあえて禁止しているだけなのかもしれない。
そんなことを考えていると、どこからか微かな車輪の走行音が聞こえてきた。どうやら建物の壁の地面すれすれに開いた小さな穴から聞こえているようだ。
「何をしてるんだい?」
一緒に帝都まで来ていたクリスが怪訝そうに首を傾げた。
「変なところから車の音が聞こえた気がして……」
「ああ、それね。車両が地下を走っているんだよ」
「地下を!?」
つい声を上げて驚いてしまう。こんな大きな都市の下に地下空間があるというだけでも驚きだが、そこを車が走っているなんて。
グロウスター邸の実験棟の地下がそうであったように、建物の下に広大な地下空間を設ける技術はこの世界でも確立している。しかし車を走らせて日常的に利用できるほどとなると、実験棟とは比べ物にならないほど大規模なはずだ。
「元々この土地には採石場があったんだ。地中の石材をどんどん掘り出していった結果、補給さえ保てば千人以上の人間が暮らせるくらいの地下空間が出来上がったそうだ」
クリスは軽く足踏みをして、この真下にそれがあると強調した。
「統一戦争が始まってからは軍事拠点になり、地上に要塞都市が築かれた。地中は天然の冷暗所だから保管庫として都合が良かったんだ。それに石材を運ぶための道路も整備されていたから、軍需物資を持ち込むのも楽だった」
そういえば、こんな話は生前の世界でも聞いたことがある気がする。確かイタリアのナポリの地下にも似たようなものがあったはずだ。情報源は本かテレビか……そこら辺はよく覚えていない。
「後に帝国を築く王国が紆余曲折を経てこの都市を手中に収め、大陸制圧の足がかりとするために遷都……統一後も引き続き帝国の首都になったという流れさ」
「なるほど。けど走らせてる車ってのは何なんだ? まさか地下通路に馬を走らせてるとか……」
「いい機会だから乗ってみようか。ちょうど目的地の近くまで繋がってることだし」
せっかくなので、クリスの提案を受けて地下の交通システムを利用してみることにした。
乗車の受付カウンターは近くの建物の一階にあり、そこで乗車料金を支払ってから階段で地下に降りる。ただし支払ったのは俺だけで、クリスは定期券を見せるだけで受付を通過した。
「ボクは帝都の登録市民だから定期券があるんだ」
帝都に実家があるというのは、言い訳のための嘘ではなかったらしい。
階段を下った先には、地下鉄のプラットホームをスケールダウンしたような乗車場があった。床も天井も白味がかった石を加工して作られている。より正確には、天然の岩盤を綺麗に加工して造られた待合スペースのようだ。
ホームの前には地下鉄と同じやり方でレールが引かれている。ホームよりも一段低くなっているところもそっくりだ。
他の乗客と一緒に待っていると、線路の通ったトンネルの奥から鉄の車輪と鉄のレールが擦れ合う音が聞こえてきた。そろそろ到着かと思って線路に近付いたところで、俺は車輪の音とは違う妙な音がしていることに気が付いた。
「ん……?」
線路を見下ろすと、二本のレールの間で金属の太い線のようなものが高速で走っているのが見えた。スピードが速すぎてよく分からないが、レールに沿って張られた鎖か何かが高速で引っ張られているらしい。
やがて、電車一両分に相当する大きさの客車が、馬に牽かれることもなくホームに入ってきた。
「……ケーブルカー!?」
驚きつつも車内に入る。客車の内装は高級な乗合馬車を一回りか二回りほど大きくしたような雰囲気で、地下鉄よりもレトロな――この世界の人々にとっては最新の――デザインを施されている。
ガギン、という音がして車両が走り始める。
グロウスター領の馬車鉄道もこの世界ではかなり高度な技術の産物だったが、帝都の地下鉄はそれ以上の代物だ。
「帝都の地下には巨大な貯水池があってね。その水をより下層にある水路に流すときに水車を回して、線路に張った鎖をぐるぐると循環させているんだ」
「後は車両の側が鎖を掴んでロックすれば自動的に走り出すってわけか。よく出来てるもんだ」
「元は地下採石場から石材を運ぶためのトロッコを走らせていたらしいよ。当時は十人掛かりでハンドルを回す人力式だったそうだけど」
鎖ではなく金属ワイヤーで同じことをするケーブルカーは、確か生前の世界にもあったはずだ。当然あちらは、水車ではなく電動モーターでワイヤーを循環させる仕組みだった。
「水車を利用する仕組みを考案したのは、実は冒険者ギルドのサブマスターの一人なんだ。サブマスターに任命される前のことだけどね」
「凄いな……その功績で成り上がったってことか?」
「いいや。サブマスターのうち二人は成り上がりと呼んで差し支えないけど、地下鉄道の考案者は貴族の地位と領地を持つ人物だ。どうして冒険者になろうと思ったのか不思議なくらいだよ」
クリスは理解できないとばかりに肩を竦めたが、俺はなんとなくその人物の気持ちを理解できる気がした。
「そりゃあ、冒険がしたかったからじゃないか?」
「貴族の地位と名誉があるっていうのに?」
「社会的な肩書や経済的な成功と、浪漫の追求は別腹だろ」
「……分からないな。持たざる者が貪欲に高みを目指すことが冒険者の在り方じゃないか。既に満たされた者が好き好んでやる仕事じゃないだろう」
なるほど、やはり確かにクリスはギデオンの信奉者だ。
――冒険者は強欲でなければ務まらない。
――金を求め、名誉を求めて駆けずり回るからこそ高みまで上り詰められる。
かつてギデオンは俺にこう語り、クリスも賛同していた。
エステルの実家のように諸事情で困窮した貴族ならともかく、金と名誉を既に充分得ている者は最初からこの理想形に当てはまらない。俗っぽく言うなら『ハングリー精神が足りない』ということになるのだ。
けれど、人を突き動かす動機は強欲さだけじゃないと俺は思う。
確かに成り上がりは俺の最大の目的の一つだ。けれどそれ以上に、俺は『何でもいいからデッカイことがしたい』という夢を抱いている。転生前も転生後も変わらない共通の目標だ。
言い換えれば、成り上がり――社会的な成功は『デッカイこと』をするための下準備、前段階に過ぎない。冒険者としての活動を通して『デッカイこと』が実現できるなら、俺はどれだけの地位と財産を得ても冒険者を続けるに違いない。
「だったらギデオンさんはどうなんだ。サブマスターなんていう高い地位にあって、四十万ソリドを二つ返事で用意できるくらいに満たされるけど、あの人は好き好んで冒険者であり続けているんだろ?」
「それは……確かにそうだ。けど……」
地下鉄が減速する音が車内に響く。そろそろ次の駅に到着するようだ。
この地下鉄道は、生前の世界の電車のように多数の駅で小刻みに停車したりはしない。ホームにあった路線図を見る限り、少数の重要なランドマーク間を結ぶ直通便が複数用意されていると言った方が近い。
車両が停止し、プラットホームに降りたところで、再びクリスが口を開く。どことなく寂しそうに見えたのは、俺の勘違いではないはずだ。
「確かにあの人は冒険者であることを楽しんでいる。あの人がそうやって喜んでいるのを見るのは嬉しいけど、ボク自身は冒険者としての活動を楽しいと思ったことは、ただの一度もないんだ」
「クリス……」
「君を待っているサブマスター達は、皆どれだけ満たされても冒険者であり続けることを望んだ人達だ。ボクには理解が及ばないからコレ以上の助言はできないけれど――」
階段を登り、乗車受付カウンターのある建物から外に出る。
「――君ならきっと上手くやれる。ありのままの君を見せてやるといい」
大きな道路を挟んだ向かいにそびえ立つ、小さな城と見紛うほどの壮大な建築物。あれこそが冒険者ギルド本部。帝国全土に広がる冒険者の総本山。
俺はその威容に圧倒されながらも、意を決して正面玄関から踏み込んだ。




