65.グロウスター領(2/2)
俺達に用意された宿は一人一泊四百ソリドは下らないであろう上等な部屋だった。グロウスター卿の屋敷には及ばないが、清潔で高級感溢れる内装に思わず圧倒されてしまう。
「なにこれ……ベッドに手を置いたら沈むんだけど……すごい、っていうか、やばい……柔らかすぎない……?」
「落ち着けレオナ。語彙力が落ちてる」
レオナは未知との遭遇に肩を震わせている。こういうときに語彙のレベルが落ちてしまう気持ちは痛いほどよく分かる。俺も感想を口にしていたら同じことになっていたはずだ。
そんな俺達とは反対に、エステルはさっそくベッドの柔らかさを堪能してリラックスしていた。
「さて、今のうちに話しておきたいことがあるんだけど、いいかな」
クリスがおもむろに話を切り出した。当然、揃って耳を傾ける体勢に入る。
「グロウスター卿が嘘を吐いたのは一箇所だけ。病気が治りつつあるという点だけだった。本当は良くなっていないんだろうね」
「それ以外は全部正直に話してたのか?」
「判定は失敗しなかったよ。《真偽判定》を誤魔化せる希少スキルを持っているなら別だけど、それ特有の違和感も感じなかった。グロウスター卿が歴史に名を残すレベルの『騙し』の達人でもない限り、ボクの読みは外れてないと思う」
カードのレアリティで言うならSR以上の隠蔽系スキルということか。
俺はクリスの読みを信じることにした。グロウスター卿が希少スキルの持ち主で、その事実すら世間に隠し切っているほどの切れ者だとしたら、それは単に『相手が悪かった』の一言でしかない。
もしもそうだとしたら、クリスの《真偽判定》がなくても軽く手玉に取られてしまうに違いない。そんな可能性を心配するくらいなら、《真偽判定》を信じて動いた方が格段にマシだろう。
「大した嘘を吐いてないならよかったじゃない。何か問題でもあるの?」
「ああ。まだカイにしか伝えていないことだけど、ファムが言っていた『アンチスペル・シールドを盗賊に強奪された』というのは嘘だったんだ」
安堵の表情を浮かべたレオナの顔が瞬く間に固くなっていく。俺もレオナと同じタイミングでそれに気が付いた。クリスは最初から気付いていたからこそ、屋敷を出るときに難しい顔をしていたんだろう。
少し遅れてエステルも違和感を悟り、室内に重苦しい空気が漂い始めた。
俺は四人を代表して、全員が思い浮かべているであろう事実を言葉にする。
「ファムは『アンチスペル・シールドは強奪されたものだ』と嘘を吐いて、グロウスター卿はそれを事実だと思っていた……どちらが正しいのかは知らないけど、どこかで認識がズレているわけだな」
「君、そういう誤魔化しは良くないよ」
クリスが痛いところを容赦なく指摘する。
「……そうだな。恐らくグロウスター卿は騙されている。本当は盾を強奪なんてされていないのに、強奪されて失われたと嘘の報告を受けていたんだ。そしてファムもその嘘に加担しているんだろう」
俺の推測を誰も否定しない。驚きもしない。やっぱり三人とも同じことを考えていたようだ。
「考えられる理由は二つ。楽観的な仮説は失敗の隠蔽だな。盾を運んでいた誰かが事故や過失で積荷を失くして、処罰を避けるために虚偽の報告をしたんだ。この場合、連中が盾を持っていたのは偶然ってことになる」
今回のスクアマ石の輸送がそうだったように、グロウスター卿が取り寄せた積荷の輸送ルートと盗賊の出現場所は被っている。輸送中に紛失したなら、盗賊がたまたま拾っていても不思議じゃない。
「懐疑的な仮説は、意図的な横流しだ。誰かが何らかの目的で盗賊に積荷を与えていて、ファムもそれを知っていたっていうパターンだな。金銭目的とか領主に対する嫌がらせとか色々考えられるけど――」
仮に金銭目的だとすれば、盗賊から直接金を受け取っているパターンと、盾の仕入先と手を結んでいるパターンが考えられる。
後者の場合、グロウスター卿の配下の誰かがわざと盾を再発注させ、仕入先に支払われた二個分の代金の一部を裏で受け取るという流れになる。早い話が詐欺である。
そういうパターンならまだいい。許しがたいことではあるが、俺達に危害が加えられることはない。
「――最悪の可能性は、盗賊の装備を強化して冒険者を襲わせるため、だな」
「私もそれが最初に思い浮かんだ。それこそ『何のために』っていう疑問があるけど、消息不明になった冒険者が全くの無関係じゃなかったわけだから……」
「ボクらとしては我が身の危険を懸念せずにはいられない、ということだね」
消息不明の冒険者が失踪する前にグロウスター卿かエノクからの依頼を受けていて、なおかつグロウスター領の人間が道中に現れる盗賊に装備を提供していた疑いがある――それも領主の目を盗んで。
これで不安を感じない奴がいるとしたら、いくらなんでも警戒心が欠如していると言わざるを得ない。
「何にせよ、下手に巻き込まれないうちにギルドへ戻ることだけ考えましょう」
「このことをグロウスター卿に教えるっていうのはダメなんですか?」
クリスが小さく首を横に振った。
「ボクが本当のことを言っているという証拠がない以上、信じてはもらえないだろうね。君達はボクを信用してくれているけど、グロウスター卿はそうじゃないから」
残念ながら、そういうことだ。万能に思える《真偽判定》の欠点は、それを裏付ける客観的な証拠が何もないことにある。使い手本人や仲間内はまだしも、第三者にしてみればデタラメな証言と全く区別が付かないのだから。
《真偽判定》のスキルカードを実体化させてみせても、スキル持ちが『スキルを使って見抜いた真実だ』と偽る可能性もある以上、あまり意味はない。信憑性は高く見積もっても物的証拠のない目撃証言と同程度だろう。
「まぁ、なんだ。考えうる最悪のケースはグロウスター卿が俺達を騙し討ちにしようとしたってことだから、それがないと分かっただけでも儲け物だな」
「そうだね。例の冒険者達の失踪が貴族の企みだという可能性は限りなく薄くなった。ボクとしては最有力の仮説だったんだけどね」
「……二人とも物騒なこと考えてたんですね……」
ポジティブに考えてはみたものの、やはり言い知れない不安は残る。他の三人も同じ心境だろう。
そのとき、誰かの腹の虫が空腹を訴える音を鳴らした。
「……そろそろ飯にするか」
「昼頃の休憩から何も食べてなかったからね」
「一階にレストランがあるみたいですよ。行ってみませんか?」
「でも高いんじゃないの? たまには良いとは思うけど」
誰一人として音の発生源を追求することなく、申し合わせたようにぞろぞろと部屋を出る。
あれこれ考えても、現時点で俺達にできることは何もない。レオナの言うとおり、無事にギルドに戻れるよう頑張るだけだ。ひょっとしたらその心配自体が取り越し苦労なのかもしれないが。
レストランへの移動中、クリスがさり気なく俺に近付いて話しかけてきた。
「正直な話、ファムはボク達の敵だと思う?」
「……突っ込んだことを聞くんだな」
「必要だからね。もしもボク達への陰謀があったなら、その先導役は彼女だ」
「だったら質問がおかしい。俺達が標的ならファムは敵かもしれなくて、そうでなければ敵じゃないんだ。今の質問は、盾についての『嘘』の真相をどう思うかって質問と何も変わらないんじゃないか?」
そう答えると、クリスは歩きながら俺の顔をまじまじと覗き込んできた。
「敵かもしれないというのは?」
「企みを知っているけど加担はせず、かといって俺達に打ち明けられないっていう場合もあるだろ。例えば身内が関わってるとかな。俺達みたいな他人より身内を優先するのは当たり前だ」
クリスはにこりと笑って両手を肩の高さに上げてみせた。まるで気の抜けた降参のポーズだ。
「君の言うとおりだ。今のはボクが軽率だった」
「ったく……試すようなことするなっての。どうせまた、やっぱりギデオンの見込んだ冒険者だなとか思ってるんだろ」
「あはは、バレてたか」
ことあるごとにこうなのだから、いい加減慣れるというものだ。
一階のレストランは、部屋の内装以上に光り輝いていた。酒場でもなければ定食屋でもない。俺のような人間は場違いなのではと思わされる雰囲気である。
「ほら、旅人みたいな人もけっこう来てますし。意外と入りやすい場所なんですよ、きっと」
「……いやまぁ、それはそうなんだけどな……?」
エステルの言うとおり、今の俺達よりも簡素な服装の人達も普通に食事を取っている。背もたれに掛けられた外套の種類からすると、歩き旅を続けてグロウスター市にたどり着き、久し振りに真っ当な食事を楽しむ旅人なのだろう。
周囲に気を取られながら歩いていると、そんな旅人の一人と思しき大男に、うっかり肩をぶつけてしまった。
「おっと、大丈夫か」
「すみません、よそ見してて……あっ」
「ん? ……ああっ!」
見上げたその先には、フードでタテガミを隠した白獅子の顔があった。声にも思いっきり聞き覚えがある。
「アルスラ――」
俺はアルスランの豪腕に抱えられてフロアの隅に連れて行かれた。アルスランはそこでフードを取り、改めて俺と向き合った。
「君、こんなところで何をしているんだ」
「アルスランこそ、どうしてこんなところにいるんですか」
そう言ってしまってから、お互いに『とてつもなく馬鹿な質問をしてしまった』という顔になる。ハイデン市の冒険者がこんな遠くにまで出向く理由なんて、里帰りか依頼くらいだと分かりきっている。
俺はアルスランが依頼でグロウスター領に来たと悟り、アルスランも同様に俺が依頼でここにいると理解したはずだ。
「まぁ……つまりそういうことです」
「お互いに詮索は無し、だな」
進行中の依頼の情報を他人に喋るのは、冒険者としてあまり好ましい振る舞いでないとされている。もちろん、依頼が終わった後にその情報をギルドにフィードバックするのは推奨されているが、それはまた別だ。
「だが、もしもこの街に留まるというのなら、ひとつだけ助言をしておこう」
アルスランは周囲を伺い、他の誰もこちらに意識を向けていないことを確かめてから、ぎりぎり聞こえる程度の小声で俺に耳打ちをした。
「この地の支配者達を信用するべきではない。たとえ領主であってもだ」
「……! それはどういう――」
聞き返す暇もなく、アルスランはレストランのどこかへ歩き去っていった。
領主であっても信頼するな。アルスランが意味もなくこんなことを言うとは思えない。だとしたら一体どういう意図があっての助言なのだろうか。
俺はアルスランの言葉を記憶に刻み込み、怪しまれないうちにパーティの皆と合流することにした。
次回、急展開(予定)




