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私、ダンジョンマスターやめます! ~迷宮少女の異世界譚  作者: すてるすねこ
第五章 王宮図書館の司書見習い編(ダンジョンマスターvs英知の神)
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親衛隊長のお仕事②


 突き出された槍先が、黒髪を掠めて大きく揺らす。

 あわや少女の首筋を貫くかと思われた一撃だが、完全に避けられていた。

 艶やかな黒髪も揺れただけで一本も傷ついていない。

 ワイズバーンの鋭い攻撃に、スピアは完璧に対応していた。


 避け難い胴突きも、手刀で受け流す。

 素早く切り返される薙ぎ払いも、呼吸すら乱さず避けてみせる。


 その最中にもスピアは踏み込む。ワイズバーンへと肉迫し、拳や肘を繰り出すと、体の中心部や膝といった急所を的確に狙っていった。

 小さく頼りなく見えても、スピアの攻撃はすべて一撃必殺の威力を秘めている。

 それをワイズバーンも感じ取っていた。

 精悍な顔に冷や汗を流しながらも、槍を回し、身を捻って対処する。


 同時にまた、ワイズバーンは攻勢にも移ろうとする。

 槍の石突きがスピアの頭部を捉えたかのように見えた。しかし空中に透明の壁が浮かんでいて、力を込めた一撃も受け止めていた。

 そこでまたスピアが手刀を振るう。

 ぞわり、と怖気を覚えたワイズバーンは大きく後方へと飛び退いた。


「……見事だな。体術だけで、ここまで儂を圧倒するか」


 重々しく息を吐いて、ワイズバーンは眉根を寄せた。

 苦々しげでもあり、嬉しさも混じっているような複雑な表情だ。


「以前も思ったが、貴様は武器は使わんのか?」


「武器は難しいです。わたしの国だと、下手すると銃刀法違反ですし」


「ジュートウホウ……? よく分からんが、単純であるからこそ強さに繋がるとも言えるか」


 言葉を交わしながらも、ワイズバーンは僅かな槍の動きや足運びで、スピアの隙を誘おうとしていた。

 しかしスピアは一切動じない。

 だらりと両手を下げて、自然体で静かに立ち続けている。


「お爺ちゃんが言ってました。武器を相手にする時は、風を味方につけろって」


「風、か……なるほど。空気の微細な動きを感じ取って先読みを……」


「まったく意味が分かりませんでした!」


 にべもなく言い捨てられて、ワイズバーンは言葉を失った。

 ほんの一瞬だが呆気に取られて隙を作ってしまう。

 その瞬間、スピアは素早く地面を蹴った。


「まあ、いまならなんとなく分かりますけど」


 呟きながら、ワイズバーンとの距離を一気にゼロにする。

 同時に足下から魔力を流していた。

 地面が勢いよく隆起して、ワイズバーンを囲む形で背後を塞ぐ。逃げ道を奪っただけでなく、長い槍を使い難くもする搦め手だ。


「くっ……!」


 卑怯だ、とはワイズバーンは思わない。

 戦いの最中だったのだ。言葉の遣り取りとはいえ、虚を突かれた方が悪い。


 それでも咄嗟にワイズバーンは迎撃しようとした。

 壁が作られたために、薙ぎ払う技は使えない。

 突き技も、苦しまぎれに出したところで通用しないのは目に見えている。

 さほど厚い壁ではないので壊せなくもないが、その瞬間は大きな隙になってしまう。


 ならば、とワイズバーンは受けの姿勢を取った。

 至近から繰り出されるスピアの技をいなし、体勢を入れ替えようというのだ。

 逆に壁を背負わせてくれる―――、

 そう覚悟を決めて、ワイズバーンは腰を落とす。


 直後、スピアの拳が突き出された。

 ワイズバーンの腹を狙って、真っ直ぐに、とても軽い感じで。

 とん、と。


 体を守る位置に置かれた槍の柄に、小さな拳が当たる。

 まるで触れただけのようだった。

 けれどそのままワイズバーンの体へ槍ごと押しつけられる。

 違和感を覚えた時には、もう受け流すことは不可能になっていた。


「なんだ!? いったいなにを―――ッ!」


 疑問を言葉にしようとした瞬間、ワイズバーンは吹き飛ばされた。

 凄まじい衝撃を腹に受けて、くの字に折れ曲がりながら背後の壁を突き破る。

 しばし空中を舞ってから、ゴロゴロと地面を転がった。


 一拍遅れて、元の位置にあった槍がスピアの足下へと落ちる。

 金属質の音を聞きながら、スピアは小首を傾げていた。


「ん~……やっぱりまだ力が散りますね。浸透撃は難しいです」


 その言葉を理解できた者はいなかった。

 周囲が呆気に取られている中で、ワイズバーンは苦悶の声を漏らしながら起き上がろうとする。地面に爪を立てながら、震える膝で辛うじて自身を支えた。


「どうします? まだやりますか?」


「ぐっ……当然だ。真剣勝負に情けなど無用」


 荒い息を吐きながらも、ワイズバーンは足を前に進めようとする。

 だけど、それだけで体勢を崩してしまう。とても戦える状態には見えない。

 それでもスピアは、まだ隙の無い自然体を保っていた。


「試合なんですけどね。でも、言っても仕方ないか」


 足下に転がっていた槍を、スピアはワイズバーンの方へと投げた。

 情けを掛けたつもりはない。

 ただ言葉にした通り、試合のつもりだから。


 ワイズバーンも黙って槍を受け取ると、その場で足を開いて腰を沈めた。

 喰らったのは腹部への一撃なのに、全身のあちこちが痛む。

 もはや派手な動きは不可能で、繊細な技も繰り出せそうにない。


 ならば、渾身の一撃によって決着を―――、

 そう覚悟を固めて、ワイズバーンは呼吸を整えていく。


「おぬしのおかげで、まだまだ研鑽を積めそうだ。受けてくれるか?」


「わたしの技はすべて護身術です」


 言外に肯定を示して、スピアはゆっくりと歩を進めていく。

 黒い瞳で、ワイズバーンを静かに見据えたまま。


 一歩、二歩と。

 周りから見守る者たちには、随分と長い時間に感じられただろう。

 しかし確実に距離は詰まっていって―――、

 槍の間合いに入った瞬間、ワイズバーンは力強く踏み込んだ。


 小細工はなく、ただ真っ直ぐに、己の持つ最高の一撃を繰り出す。

 槍先はスピアの胸元を狙っていた。

 練習用に先端を潰してあるとはいえ、まともに受ければ無事では済まなかっただろう。

 けれどスピアは自然な歩みを保ったまま、するりと腕を回した。

 その腕の軌道に沿って、槍先が歪曲する。


「―――ダンジョン武闘術奥伝、超時空回し受けです」


 涼やかな声を、ワイズバーンは空中を舞いながら聞いていた。

 何が起こったのか分からない。

 ただ、屈強な体は錐揉み回転していて、その視界に捻れた槍先がちらりと映った。

 辛うじて、自分は敗北したのだと悟ると―――ワイズバーンは頭から地面へと落下した。


 そのまま意識を失う。

 地面に突っ伏した大柄な体へ、スピアはじっと眼差しを向けた。


「……やっぱり別人に見えますねえ」


 まるっきり警戒心なく呟く。

 そうして決着はついたが、スピアは何処か遠くを見るような眼差しをしていた。







 練兵場の外れ―――、

 木陰に身を隠しながら、アリエットは試合の様子を見つめていた。

 ぱちくりと瞬きを繰り返して、何度も眼鏡を上げ直している。


「す、すごい……ワイズバーン侯爵と言えば、武断派でも有名なのに……」


 親衛隊長という肩書きを、アリエットだって疑っていた訳ではない。

 実際に、傭兵たちを叩きのめすのを目撃もしていた。

 だけど今回のそれは、まったく別物と言えるほどの戦いだった。


 最初から最後まで、アリエットには何が起こったのか分からなかった。

 ただ、迫力だけは感じられた。

 もっとも、最後に起こったことは、もっと近くで見ていた騎士たちもさっぱり理解できていなかったが―――。


『くすくす……確かに、人間にしては規格外の能力ですわね』


 アリエットの手首、英知の神のお守りが淡い光を放っていた。

 そこから響く声は愉しげに弾んでいる。


『ですが、限定的に空間を操っただけ。あの程度ならば驚くには値しませんわ』


「空間を……? そ、それって魔法でもかなり高度な部類じゃないですか!」


『貴方たちにとっては、そうなのでしょうね。ですけれど……』


 不意に、言葉が途切れた。

 アリエットは事態が飲み込めず、しばし手首を見つめ続ける。

 なんとなく“繋がっている感覚”が消えたのは感じ取れたけれど、いきなりすぎて困惑してしまう。


「なにしてるんですか?」

「うにゃわぁっ!?」


 変な悲鳴を上げて、アリエットは肩を縮めた。

 小さく飛び退きながら振り返る。と、そこではスピアが小首を傾げていた。


「アリエットさんだけですか?」

「え……あ、はい! もちろんでちゅ!」


 噛んだ。が、そちらはまあ大した問題ではない。スピアからも指摘されず流される。

 ただ、ずきりとした罪悪感がアリエットの胸を突いた。

 それでも本当のことを話す訳にもいかず、アリエットはなんとか誤魔化そうと早口にまくしたてる。


「す、すいません、覗き見みたいな真似をしちゃって。だけどあの、勝負を見てましたけど、本当にスピアさんって凄いんですね。ワイズバーン侯爵をあんなに圧倒するなんて……」


 言葉を連ねるアリエットを、スピアはじっとりと見上げる。

 半目の眼差しが、アリエットの全身を上から下まで観察していった。


 それは、嘘を並べる大人を、子供が見定めようとしているようでもあった。

 静かな緊迫感がアリエットを包み込む。


「え、えっと……」


 どうしよう? バレたのだろうか?

 もしもそうなら素直に話した方がいいかも知れない。

 メルファルトノール様からの神託だって言えば、スピアさんだって好意的に受け入れてくれるはず―――、


 そう思案を巡らしつつ、アリエットはごくりと唾を飲み下した。

 やがて、ゆっくりとスピアが口を開く。


「アリエットさんも痩せてますね」


「は……はい?」


「もう少し食べた方がいいです。ってことで、一緒に行きましょう」


 アリエットの手を引くと、スピアはくるりと身を翻した。

 そのまま練兵場へと軽やかな足取りで戻っていく。


「みんなで“ちゃんこ”パーティです。トンカツも付けます」


「い、意味が分かりませんよぅ」


「海の幸も産地直送ですよ」


 強引に手を引かれるまま、アリエットは騎士たちの中に放り込まれる。

 誰も彼もが親衛騎士。つまりは目上の者ばかり。

 アリエットは恐縮しっぱなしで―――だけど、初めて食べる鍋料理とトンカツはとても美味しかった。



親衛隊長ならちゃんこ鍋くらい作れないと(ry

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