王宮の片隅で
こってりとお説教を受けてから部屋を出る。
だけど、叱られた方であるスピアの足取りは軽い。
鼻唄混じりに歩みを進めて、白いコートの裾を小気味よく翻している。
むしろ散々に怒鳴り声を上げたエキュリアの方が、溜め息を吐いて疲れた顔をしていた。
「朝から元気無いですねえ」
「ああ、誰かさんのおかげでな!」
また睨まれて、スピアはそっと目を逸らす。
スピアだって反省していない訳ではない。
次に転移陣を設置する時には、ちゃんとエキュリアにも相談すると約束した。
「まったく、本当におまえは……転移陣は貴重な物だと、これまでだって何度も注意したはずだぞ?」
「大丈夫です。秘密なんですよね?」
「ああ、そうだ。徐々に広めていくにしても、慎重に行わねばならん」
実のところ、すでにスピアは数組の転移陣を作成している。
女王代理となったセフィーナへ譲って、城の宝物庫に収めてあった。
それらを惜しみなく活用すれば、王国は大いに繁栄するだろう。
物の流れが活発になり、商売は賑わう。商人をはじめとして、他国からも大勢の人々がやってくる。
軍事面での利点も大きい。必要な場所へ兵力を素早く移動できるようになれば、魔物に対しても他国に対しても有利に戦える。武器や糧食といった補給物資も、確実に送り届けられるようになる。
貴族間の結束も深められるだろう。遠くの領地を治めている貴族も、簡単に王都を訪れられるようになるのだ。それぞれに積極的な交流を行えば、余計な争いを避けやすくもなる。
転移陣を自由に使えるようになれば、それは正しく革新となる。
けれど、良いことばかりでもない。
便利な力を持てば、間違いなく他国から“やっかみ”を受ける。東の帝国などは、武力をちらつかせて譲れと迫ってくるだろう。
客観的に見て、王国の軍はあまり強くない。
もしも強兵を誇る帝国に攻められれば、万全の状態でも国境を守れるかどうかも怪しいほどだ。
ましてや、いまは国内が不安定な状態になっている。
他国との争いは避けたい。と言うよりも、絶対に避けなくてはならなかった。
もっとも、スピアという戦力を計算に入れれば、どうなるか分からないが―――。
「国を治めるって大変ですよねえ」
そういった事情を、スピアも一通りは承知している。
だから転移陣もこっそりと使っていた。
エキュリアに怒鳴られる行動も、一応は配慮を加えた結果なのだ。
「呑気に言うな。仮にも、おまえとて騎士なのだぞ」
「親衛隊長です!」
「胸を張るなら、少しはそれらしく振る舞ってみせろ!」
またエキュリアが眉を吊り上げて声を荒げる。
「新しく隊に入った者には、おまえの顔すら知らぬ者もいるのだぞ」
「影の隊長ですね。隠れんぼは得意です」
「隠れてどうする!? 矢面に立てとは言わんが、少しはおまえの力を見せてやっても……」
セフィーナの直属である親衛隊は、新しい騎士を迎えて再編を行っている。
先のゴーレム騒動の後にまた増員もされていた。
正式な親衛隊長はスピア、副隊長がエキュリアだ。
それと、以前は操られて近衛隊に属していたザームが、第二副隊長というややこしい地位に就いている。
ただし実質的には、エキュリアとザームで隊を動かしていた。
スピアはまったく仕事をしていない。
それはもう、完璧に。
新人騎士との顔合わせすら欠席していた。
新規隊員の選抜試験には同行したが、そちらは親衛隊の仕事とは言い難い。
ほとんどスピアが暴れただけだし、正式な命令も受けていなかった。
セフィーナの所に顔を出すことはあっても、雑談をしたり、おやつをご馳走になったりするばかりだ。
「あまり聞かせたくはないが……お飾り子供隊長などと揶揄する者もいるのだぞ」
「むぅ。子供じゃありません」
「だからだな、一度くらいは鍛錬場にでも顔を出して……」
「そういう人には、罰としてお菓子を奢ってもらいます」
「何故そうなる!?」
エキュリアが朝から部屋を訪れたのも、スピアを鍛錬に誘うためだ。
親衛隊としての護衛任務などは退屈だが、鍛錬ならばスピアも乗り気になるのではと、エキュリアなりに気を配っていた。
だからスピアも、その厚意を無碍にはしない。ただし―――、
「その内に、です」
「ん? どういうことだ?」
「親衛隊の稽古です。今日はちょっと調べ物があります」
するり、とスピアは通路の角を曲がった。
「あ、おい。待て―――」
エキュリアが慌てて呼び止める。
けれどそちらへ顔を向けた時には、もうスピアの姿は忽然と消えていた。
エキュリアの追跡を振り切ったスピアは、静かな通路を軽い足取りで進んでいった。
どこの国でもそうだが、王城内にはあちこちに装飾がされている。
目立つ所では絵画や花が飾られていたり。
目立たない所でも、壁や柱に彫刻が施されていたりする。
けれどスピアが足を踏み入れた区画は、無骨な通路が続いていた。
図書館へと繋がる通路だが、良く言えば、無駄を省いた造りだと言える。
ほとんど人が立ち入らないので、飾り立てる必要もないのだ。通路の端には薄っすらと埃まで溜まっていた。
「んん~……こっちのはずなんだけど?」
道を間違えたかな?、とスピアは首を捻る。
だけど次の角を曲がると、薄暗い通路の奥に大きな扉が見えた。
「よかった。迷子なんて、ちょっと恥ずかしいもんね」
ほっと息を吐いたスピアは、そのまま扉を押し開けようとした。
でも手を伸ばしかけて止まる。
目を細めて、むぅっと口元を歪めた。
「結界が張ってある。そういえば、王宮でもいくつかあったっけ」
魔法によって作られた透明の壁が、スピアには認識できていた。
許可なく立ち入ろうとする者を弾く壁だ。
単純な効果である分、強固なものになっている。
力尽くで打ち破るのも、スピアならば可能だったが―――、
「すいませーん!」
訪問先の玄関を叩き割るほど、スピアだって考え無しではない。
ちゃんと常識的に声を掛けるくらいはできる。
それに、扉の奥、広い図書館の中にいる人の気配は感じ取れていた。
「本を読みに来ましたー! 入れてくださいー!」
大声で呼び掛ける。
ややあって、扉の向こうで人の動く気配があった。
足音も近づいてきて、両開きの扉がゆっくりと開けられる。そこから姿を見せたのは、スピアよりも幾分か年上に見える少女だった。
その姿を見て、第一声。
「図書委員さんですね!」
「は……?」
眼鏡を掛けた少女は、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
そんな様子もスピアは気に留めずに、一人で納得した顔をしていた。
「おさげ髪で、眼鏡で、完璧です。古式ゆかしいってやつですね。あれ? でもその眼鏡、レンズが入ってないんですか?」
「えっと、レンズ……? これは魔導具で……って、そうじゃなくてですね」
勢いに流されそうになりながらも、少女は頭を振った。
姿勢を正して、スピアへと向き直る。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか? 私は一応、ここの司書長を務めさせていただいております、アリエットと申します」
軽く膝を曲げて、アリエットは行儀良く挨拶をする。
対してスピアは―――、
「スピアです。ひよこ村村長で、親衛隊長です」
いつも通りだった。
平坦な胸を張って、得意気な笑みを浮かべてみせる。
「っ……スピア……それじゃあ、やはり貴方が……」
「あれ? わたしのこと知ってるんですか?」
「え? あ、その……城内での話を小耳に挟んだので……」
躊躇いながら返答するアリエットは、落ち着きなく視線を彷徨わせる。
まるでなにかを隠しているような態度だ。
不審な様子を、スピアは小首を傾げて見つめる。
元より静かだった場に、妙に重々しい沈黙が流れた。
そして―――、
「そうですか。わたしも有名になったものですね」
嬉しそうに、まったく疑いなく、スピアは陽気な声で述べた。
「だったら身分証明とか要りませんね。親衛隊長のマントとか貰いましたけど」
「マントですか? たしか王族から直接に手渡されると……」
「はい。とっても派手なんです」
口元に指を当てて、スピアは少しだけ渋い顔をする。
「わたしより、ぷるるんの方が似合うんですよねえ」
「は? ぷるるん……?」
「最近は、お城の庭が気に入ってるみたいです」
アリエットは眼鏡に手を当てて、どうにか困惑顔を取り繕おうとする。
こうして王宮図書館に騒がしい日々が訪れた。
新たな犠牲者?と接触。
エキュリアさんの苦労が、少しは分散されるかも知れません。




