とある騎士の誓い・後編
「こんにちは、イグニス様」
姫が父君の私室に入り、客人・イグニス殿に挨拶をする。
「やぁ、ロランの宝物はしばらく見ない間にまた一段と綺麗になったね」
すでに父君と酒を酌み交わしていたイグニス殿は姫を一目見るなり、ひらりと手を挙げて目を細め、気さくな挨拶を返してきた。
イグニス殿は父君の従兄弟だとか。稀にしか訪れないが彼の騎士然とした風情は羨望に値するので、僕もまた姿勢を正して歓迎の意を示す。
「アベルもいつもながら立派な騎士のお勤めご苦労だね」
首下の毛皮をもふもふされながらとねぎらわれると心地よくて、僕は思わず目を細める。
「ところで、ロランの大事な姫君はそろそろ好きな人ができたかい?」
イグニス殿は僕をもふもふしながら、くすりと笑って姫に話をふった。
瞬間、姫は耳まで赤く染めて僕らから目をそらされた。イグニス殿は「おや?」と眉を上げ、口元の笑みを深くする。
「ロランの厳しいお眼鏡に適うといいけど、どこの誰だかおじさんにこっそり教えてごらん?」
からかい半分で姫に耳を寄せるイグニス殿の後ろで父君が眉をつり上げるのが見えたが、姫はリンゴのような頬を俯け、ぽつりと言った。
「………アベルでしょうか」
え。
え? いやでも、僕と姫では身分があまりにも!
動揺からきょろきょろと3人を見比べると、イグニス殿は背を仰け反らせて豪快に笑った。
「そうか、アベルか。確かにアベルならロランも安心だろうね!」
水を向けられた父君は、苦笑いで僕の頭を撫でた。
「……アベル、ディーネを頼んだよ」
僕はそれが誇らしくて、胸を張って意気揚々と「お任せください!」と返事をした。
するとなぜかイグニス殿と一緒に父君も笑い、姫までが笑ったのだった。
その日から、どのくらい経ったかは定かではないある夜のことだった。
「……あのね、アベル聞いてくれる?」
相も変わらず姫は寝台の中で僕を枕みたいに抱きしめながら、ぽつりとこぼした。
「私ね、結婚するの」
驚いて姫の顔色をうかがうと、姫は少し頬を赤く染めてはにかんだ。
「覚えてる? アベルを最初に拾ってくれた人よ?」
問われて記憶の糸を辿ると、確かに姫が拾ってくださる前に僕を撫ででいた男が思い浮かんだ。
着いていっても邪険に追い払ったりはしなかったけれど、撫で方がとっても下手でぐりぐりされて痛かったのを覚えている。
「……アベルに優しかったみたいに、私にもあの不器用な慈悲をくださるかしら?」
姫は、潤んだ瞳で星空を見上げた。
あぁ。
……あぁ、そうだったのか。
すとんと、肩の力が抜けたような、胸の中に穴が開いたような、そんな気がした。
「……アベル、どうしたの?」
しょんぼりと尻尾が垂れてしまった僕の顔を、姫が心配そうにのぞき込む。
「心配しなくても、ちゃんとあなたを連れて行く了解はいただいたのよ。アベルがいてくれないと私、だめだもの」
ぎゅうっと抱きしめられると、胸まで苦しくて。
だけど、僕が落ち込むと姫まで落ち込んでしまうから。
僕は、足の間に巻き込んでしまいたい尻尾を必死に立ててぱたぱたと振り、どこへでもお供いたしますと誓った。
姫は、ふんわりと笑みを取り戻してくれた。
* * *
教会の鳴らす祝福の鐘の音。
僕は改めて純白のドレスに身を包んで笑っている姫を見つめた。
その隣にいる男が全然嬉しくなさそうなのが全くもって不愉快かつ理解できないが、姫は僕が今まで見た中でもっとも美しく輝いていた。
姫は遠くから見守っている僕に、満面の笑みを送り小さく手を振ってくださった。
僕、人間でなくてよかったと思った。
もし人間だったら恥ずかしいほど泣いてしまったかもしれないから。
僕は、誇り高き騎士だ。
だから神様、僕は改めて誓います。
僕は忠実なる姫の騎士。
たとえ姫が結婚しようと、僕の忠誠は生涯変わることなく愛しの姫に捧げます。
僕は姫に呪いをかけた魔女であろうと、姫が心を寄せる夫であろうと、姫に害を成す者からはこの命に代えても必ず、姫をお守りいたします。




