とある騎士の誓い・前編
鐘が鳴る。
教会の鳴らす祝福の鐘の音だ。
教会の扉が開く。
僕は純白のドレスに身を包んで嬉しそうに笑っている姫を見つめた。
姫は僕が今まで見た中でもっとも美しく輝いていた。
本当に本当に綺麗で、幸せそうに笑っていた。
* * *
僕はアベル。
姫に仕える騎士である。
忠犬などと呼ぶ奴もいるが、言わせておけばいい。
野垂れ死にしそうだったところを拾ってくださった心優しいディーネ姫にお仕えして5年――この恩義は命をかけても姫をお守りすることで返すと心に決め、常にお傍に控えているのである。
それは朝も夜も問わず24時間体制で、姫が寝台でお休みになる時は寝台の脇に控えて不審者を警戒し………。
「……アベル……?」
そっと寝台の天蓋をめくり、姫が不安げな顔を半分だけ覗かせた。
「……一緒に、寝てくれる?」
姫、そろそろ姫も年頃なので慎まれたほうがいいかと思います。
と言いたいところだけれども僕としたことがうっかりふぁさっと尻尾を振ってしまったので、説得力に欠けるなと心に秘めてまた次の機会にし、ひらりと寝台に乗る。
姫が細い腕を僕の首にぎゅむぅっと回すと、心細い表情からふんわりと笑顔に変わっていき、小鳥のようなとくとくと速い心音が少しずつ落ち着いていき、最後にはすぅすぅと健やかな寝息が聞こえてくる。
そんな姫を見守ることこそが、僕の幸せだった。
朝になると、姫はご自分で身支度を整える。
それが終わるとご自身の御髪よりも時間をかけて、僕のクリーム色の毛皮にブラシをかけてくださる。
毛をとかしてもらう時間も、姫の愛情を受けた証であるこの毛皮を皆にほめそやされる時間も、僕の至福のひとときだ。
「ねぇアベル、お庭のお散歩に行きましょう?」
朝食を済ませると、姫は水面のように輝く銀色の髪をさらさらと揺らして小首を傾げ、菫色の瞳を穏やかに細めて僕に声をかけてくださった。
麗しの主君に向かいぴしりと姿勢を整え「喜んでお供いたします!」と返事をした僕に、姫は僕の自慢の毛皮を両手でもふもふしながら満面の笑みを浮かべてくれる。
おっと、無意識に尻尾を振ってしまった。
決して遊びではないのだと気を引き締め護衛の任を遂行するべく、僕は姫の散歩に追従する。
姫は屋敷にある広いお庭が大好きで、天気が悪くなければ必ず散歩に出かける。
その日は暑い夏の一日で、まだ朝だというのに毛足が長い僕にはなかなか辛く、息がきれてしまうほどの強い日差しが降り注いでいた。
「アベル、大丈夫? 暑くない?」
姫は差している日傘を傾けて、僕にも影が差すように気を遣ってくださった。
「お気遣いは傷み入りますが大丈夫です」と強がって答えると、姫は僕をぎゅっと抱きしめた。
「今日はとても暑いから、噴水のところにいきましょうか」
姫は白い手でパタパタと自分を扇いでみせてから、ゆっくりと噴水に向かって歩き始めた。
姫、僕は姫の優しさに感動すら覚えます。
飛び込みたい衝動を任務中だと押さえ、風向きによっては水飛沫を浴びる噴水の縁に座って涼をとる。
姫は僕の目の届く範囲をゆっくりと散歩する。
庭に咲いているヒマワリに手を伸ばし、背伸びをして顔を近づけて太陽と緑の香りを体いっぱいに吸い込むと、幸せそうに口元を綻ばせた。
「お嬢様、お気に召されたのならお取りしましょうか?」
声をかけてきた庭師に、姫は少しだけ花を見つめてからふんわりと笑顔を返した。顔見知りの庭師だが、僕は念のため姫の傍らに陣取る。
「お気遣いありがとうございます。でも、気持ちだけで結構です。せっかく一生懸命に咲いている命ですから。また見にきます」
「そうですか。いつでもいらしてください」
「はい」
庭師に静かに返事をした姫はそっと僕の頭を撫でて、ひっそりと僕しか気づかないような小さな小さな吐息をこぼした。
見上げると、姫は笑顔を作る。
けれど、それが心からの笑顔ではないことは僕にはすぐにわかって、よけいに姫が心配で堪らなくなる。
「……アベル、かくれんぼしましょう。あっちのお庭に隠れるから、探しにきてね」
姫は笑って僕を撫でると、軽い足取りでバラの植え込みが迷路のようになっている庭園へと走っていった。
姫を捜すのは、とても簡単だ。
人は感じないようだが姫は黒い靄のような独特の影を背負っていて、その影はどこか甘い独特の匂いを放っている。ごくわずかではあるがその独特の匂いを探すのは容易なのだ。
けれど、あまりすぐに見つけては面白くないので、僕は鼻は使わずに耳を立てて音で姫を探すことにした。
耳をぴんと立ててみると、まずさっきの庭師がメイドのひとりと話をしている声が聞こえてきた。
「お嬢様にご縁の話はないのかい?」
「それが、旦那様がなかなか……」
姫は、とても優しい。
草花にも、動物にも、人にも、すべて平等に優しい。
けれど、姫と他の人間の間には、地割れでもあるかのような隔たりがあった。
「もう17だろう? あの噂が本当だったら……」
がさっ……
声と割合近い場所でわずかな葉擦れの音がした。
僕は垣根を飛び越えたりくぐりながら、全速力で音の発生源に向かって駆けた。
小さく蹲り、埋まってしまいそうなほどバラの垣根に体を押し当てている姫を見つけ、ふんふんと鼻で肩を突つくと、姫は潤んだ目をこすってから笑った。
「もう見つかっちゃった」
僕は姫のこの笑顔が嫌いで、ぴくりと眉を揺らしてしまう。
姫は再び目尻からこぼれる涙を隠そうと俯きかけたので、僕は頬を伝う涙を拭う。すると、姫は今度こそふんわりとした本当の笑みを浮かべて僕を抱き寄せた。
「……アベル、ありがとう。……私、きっとアベルがいないと生きていけないわ」
耳元に密やかに囁かれる言葉にふらりとのぼせてしまいそうなのは、きっと暑い中を走ったからだと自分に言い聞かせていると、姫は心配そうに僕の顔色をのぞき込み、額を撫でた。
「……大好きよ、アベル」
僕を抱きしめた姫の声が、震えていた。
僕は細い肩を震わせている姫の心臓の音に耳を傾ける。
命の鼓動を刻む、その音。
血が巡り、呼吸をして、生きている音。
それを聞いていると、僕は安心する。
……姫は時々、人形のように空っぽになろうとする。
あの甘い匂いのする黒い靄に魂を絡め取られて、いつか本当に人形になってしまうのではないかと不安になる。
僕は、そんな姫を見ていると、もやもやした気持ちになる。
あの黒い靄がまとわりついてくるかのように。
――いつかあの黒い靄の匂いを辿り、姫を救ってみせる!
靄を振り払うように、僕は密やかに心を決める。
「あら、いけない」
物思いに耽っていると、姫はふとぱちんと手を打った。
「今日はお客様がいらっしゃる予定だったんだわ。アベル、帰りましょう」
姫はとても愛らしい笑顔を浮かべ、ゆっくりとした足取りで家路についた。




