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48 小姑たち その2

「つまり、酢酸を加えることによって得る化学反応を巻き戻してしまうってことですか?」

「まぁ……単純に言ってしまえば、そんなもんかな。医薬品は専門外なのに、理解が早いねぇ」

「恐れ入ります」

「ああ、すまん。ちょっと、トイレに行って来る」


 テーブルを挟んで向かいの席に座っている高杉先生が席を立ち見えなくなってから、俺はほぉっと息をついた。

 ふと周囲を見れば、高部や他の助手たちは学者先生の挨拶回りは早々に終えて、上司たちの注文を聞いて新しい飲み物を頼んだりと気遣いに奔走してたりしている。本当なら俺も、あの手の役回りをやるはずなんだが……助手を代表して長老たちの長話受けの担当だ。

 飲み始めて既に1時間くらい経過していた。

「お前、マジでマメだよな」

 気がつくと、高部が後ろからビールの瓶を渡してくれた。先生相手に持ってきたビール瓶はもうすぐ空になるところだったので、助かった。

「ゲストの先生の論文、全部読んできたのか?」

「まさか……高杉先生のなんて一番新しいのしか読んでないですよ。どうせ、こういう役回りになるって思ってたんで……てゆうか、この手の話は俺より高部さんの所属する研究所の方が専門でしょ? 大学院卒で詳しいでしょうし、代わってくださいよ」

「お前に空気を読んで行動する能力があればな。幹事とか雑用とか、気遣いは苦手だろ?」

「まあ……確かに」

「お前、論文読んでる暇なんてよくあるなぁ」

「え? ないんですか?」

「いや……ないっつーか、そんな暇あったら遊んだりしない? それでなくても嫁とかカノジョとかさ……自分の時間なくね?」

「独身だしカノジョなんかいないし、遊びにいくよりは部屋でコーヒー飲みながら本でも読んでるほうが気楽です」

「相変わらず、寂しい奴だなぁ。そんなんじゃ、一生独りだぜ」

「別にそれで良いんですけど……残念男子だし、納得して生きてますから」

「それを変えようとは思わねぇの?」

「今更、面倒臭いっすよ……って」

(またかよ……)

 もう何度目になるのだろう? 学者先生たちの相手でいっぱいいっぱいで放っておいた携帯電話がまたポケットの中で震えだし、俺はウンザリしながらやっと着信を確認した。

 画面を確認すれば、ここ数十分の間に不在着信が……16件!? 頻繁に着信してんのはわかってたけど、ここまでやるか……!!?


 『サトコ』『フミカ』『サトコ』『サトコ』『フミカ』『フミカ』『サトコ』『フミカ』『サトコ』『ジタク』『フミカ』『サトコ』『ジタク』『フミカ』『サトコ』『サトコ』


(うわー……出たくねー)

「すいません。ちょっと、席を外します」

 着信履歴にゲンナリしながら、俺は席を立った。そのまま、店の外に出る。

 後手後手に回ってんなぁ、俺。

(きっと、すっげー誤解をされてんだろうなぁ。これはもう、なんとしても弁明せねば……)

 どれに電話するか迷ったが、ここは一番多い聡子にした。

「もしもし、聡子?」



『クゥオラッ、アニキィッ!! どういうことか説明しろ!! こんの……ロリコンがああぁぁっ!!!』



 ◆ ◆ ◆ ◆



「お待ちしておりました。裕一さんの妹の文香さんと聡子さんですね? はじめまして。須藤 結衣と申し……!?」


“バタンッ!”


 目の前の光景に、私は咄嗟にそのドアを閉めた。

 ドアに差し込まれたラミネートされた表札を確認すれば、ここは兄ちゃんの部屋に間違いないようだ。


「「そんなバカな!?」」


 聡子とそろって声をあげて、私は今見た光景が果たして現実なのかまったくわからず混乱して、額を押さえた。

「あのさ、聡子。お姉ちゃん……今日は疲れてるみたい。幻覚が見えちゃった」

「すごいね、アネキ。私もなんか……存在しないものを見た気がするわ」


 何を見たかって?

 いや、だって……エプロン姿の“美少女”だよ!?

 どう見たって、まだまだ未成年で……高校生かな?

 肌白いし瑞々しいし張りがあって化粧っけまったくないし、顔小さいし、線細いし、黒髪が艶々でサラサラで、メガネの奥で知的に濡れ光る黒目がちで大きな瞳と、鈴の鳴るような綺麗な声と……なに、あの子!? 天使!?? 清楚可憐を絵に描いたみたいだよ!!

 はっ!? そうだよ! きっと、まだドアは開いていないんだ。今見たのは夢……きっと夢だ。



「あ……あのぅ、どうして閉めるんでしょうか? 私、何か粗相を?」



「「!!!??」」

 違う! 現実だ!!


 エプロン姿の美少女は、恐る恐るといった様子でドアを開けながら遠慮がちにこちらの様子を伺っている。

 不安そうに濡れ光る瞳を見ていると、なんというか……申し訳なくなってくる。

 え? これが兄ちゃんの嫁候補? んなバカな!?

 否、待てよ。もしかしたら聡子の予想通り……。


「あ…あのさ、結衣ちゃんだっけ? お母さんは、いないの? あと、アニキはどこかな?」


 そうだよ! きっと彼女は兄ちゃんのお相手の娘で、聡子の予想した通り兄ちゃんの嫁はバツ1子持ちだったんだ! いやぁ……まさか聡子の感が当たるなんてねぇ……。


「私の母でしたら、今頃実家で裕一さんのお母様がお会いしていると思います。裕一さんは、今日は仕事の懇親会で遅くなるそうです」


 …………。


 ………………。


 …………………え!?


「あの……こんな所ではなんですし、どうぞ中へお上がりください」



 ◆ ◆ ◆ ◆



「ええっと……つまり、結衣ちゃんは諸々の事情で家庭が困窮して、アニキに学費と生活費を出してもらうべく私らの妹の紹介でアニキに結婚を申し込んで、ここに押しかけたってこと?」


 目の前の美少女による丁寧な説明を3回くらい受けて、どうにかこのありえない光景に至るまでの経緯を一通り理解した。

 同時に、この事実が伏せられていることについても概ね理解した。だって彼女、未成年だもん。しかも、親の承認があっても結婚できる年齢である16歳になるのは2ヵ月後ときた。

 そりゃ確かに、大きく訳ありだわ……。表沙汰になれば、事情はどうあれ通報されそうだ。

 でも理解したけど…………納得いかない。こんなことが実際に起きるのか?


「はい! 今では結婚を前提に、このお部屋で裕一さんのお世話をさせていただいております」


 目の前の美少女・須藤 結衣は幸せいっぱいとばかりの眩しい笑顔をしていて、アネキも私もまともに直視できない。

「いやいや、結衣ちゃん。ちょっと待って。アニキで良いの? 高校卒業って、条件安すぎない? いや確かに、アニキは結衣ちゃんの高校生活どころか一生にだって責任持ってくれると思うよ。優しいし、悪い人じゃないし……でも、歳の差とかどうなの? それに、魅力ないでしょ? 残念男子だよ? 家庭が大変なのはわかるけど……悪いこと言わないから、お姉さんたちともうちょっと考えない?」

 とりあえず私は何とか彼女を説得しようと試みた。

 だってさ、こんな美少女の将来をアニキごときが預かっていいのだろうか? てゆうか、よくよく聞いてりゃ、これって結婚を傘にした終身契約の児童買春じゃん! 彼女が身売りして、アニキが身請けしてるだけじゃん!! いつの時代の貧困農村よ!?

「いいえ。私は裕一さんと結婚します。裕一さんは結婚相手として十分に魅力的です」

 う~ん……彼女の決意は固いみたいだ。目の色が全然違う。

 アネキも黙って考え込んでないで、なんとか言ったげてよ。これっておかしいと思わない?


「あのさ……アニキをよく見てみなよ。頭固いし、頑固だし……一生一緒なんて疲れるよ」

「それは違います。真面目で堅実で、頑固なのは意思の固さだと思います! そういう良いところは、しっかり立てていきたいと思います!」


「服のセンスないし、休みの日はずっと部屋で小難しい本読んでる引きこもりだよ」

「仕事や外出の際はキチンとスーツで決めて、どこに行っても失礼のない格好をしています。自分の時間を割いてまで専門書を読んで、向上心のある立派な方です!」


「高収入じゃないし、金持ってる分だけケチ臭いよ。収入に見合った生活してないよ!」

「自分で家計管理ができて、キチンと蓄えて将来を見据えた経済感覚があって立派じゃないですか? 収入に関わらず、贅沢をしないで慎ましい生活を志すのはとても立派なことだと思います」


「仕事が忙しくなって集中すると周りが見えないから、家事全部請け負うハメになるだろうし、それってすっごい大変だと思うよ」

「家事を受け持つのが奥さんの務めです! その程度のことに、裕一さんの手を煩わせるつもりはありません!」


「てゆうか、結婚したとしてアニキと子供作れるの!?」

「そ、それは、その……2年と少し待っていただければ私も卒業しますので、それ以降でしたら……あ! でも、もちろん、その……そういう夫婦の営みはキチンとしていくつもりです!」


 ……。


 …………。


 ………………なに、この子? めっちゃ良い子じゃん!


 いやいや、んなバカな!!? この子、騙されてんじゃないの!!? でも、アニキって人を騙せるタイプじゃないし…………ああ! もう!! どうなってんのよ!!? いったいどんな口説き方したらこうなんのよ!?


 気がついたときには、私は自分の携帯電話を取り出してアニキに電話をかけていた。

 まったくもう……出ろよ、このバカアニキ! この状況説明しろ!!

 もう問い詰めずにはいられなかった。

 アネキも同じように、最近代えたばかりの新機種のスマホをいじっている。

「そういえば裕一さん、いつ頃帰ってくるのでしょうか? 遅くなるとは思うのですけど……」

 途中で結衣ちゃんも電話の受話器を取ったけど……繋がらなかったようだ。


 時間差をつけてかけても繋がらなくて、イライラが頂点に達したときだった。


 『アニキ』


 アニキの方から着信があった。気づくの遅ぇよ!!


『もしもし、聡子?』




「クゥオラッ、アニキィ!! どういうことか、説明しろ!! こんの……ロリコンがああぁぁっ!!!」

 結衣さん、全く揺るぎません。

 聡子さん、咆哮。

 文香さん、静観?

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