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13 妹の采配(休戦2)

 倒れていたお兄ちゃん……その真相やいかに?

「お兄ちゃん! しっかりして!! 何があったの!!?」

 床に倒れているお兄ちゃんを揺すりながら、私は必死で声をかける。

 胸を押さえている手をどけて、心臓の音を確認する。


 生きてる! よく観察すればちゃんと呼吸もしていて、特に乱れていない。

 特にどこか大怪我をしている様子もない。

 寝てるだけ? それとも、気絶してるの!?


 私はお兄ちゃんや周囲の状況を確認する。

 お兄ちゃんはスーツの上着を脱いだワイシャツ姿で倒れていて、上着は奥にある部屋のベッドの上にカバンと一緒に投げ出されている。帰ってからそれらを置いて、キッチンにきたようだ。

 シンクの横の台には水の入ったコップがあり、半分まで減っている。多分、飲んだのだろう。

 ふと、キッチンの上下の戸棚が全て開いていることに気づいた。さらに、奥の部屋に見えるカバンの中身が何かを漁っていた後のようにベッドの上に散乱している。


 まさか……、強盗!?

 お兄ちゃんは襲われたの!?


 サッと血の気が引いて、それでも倒れているお兄ちゃんを見て……。

(私がお兄ちゃんを守らないと……)

 私は近くにあったホウキを手にとって立ち上がり、周囲を警戒する。

 人の気配はないけど……油断はできなかった。


「う……唯?」


 突然、足元でお兄ちゃんの声がして、私はすぐにしゃがんでお兄ちゃんの顔を覗き込んだ。

 お兄ちゃんは焦点の合わない虚ろな目をして、グッタリとして起き上がる様子がない。

「お兄ちゃん! 大丈夫!? どこか痛いの!? すぐ、救急車を……!」

「いや……待て」

 慌てて携帯電話を取り出した私の手を、お兄ちゃんが掴んだ。

 そうして、お兄ちゃんはどこを見てるのかわからない虚ろな目をしたまま、弱々しく声を出した。


「ほら、いつもの……あれだから」



 ▼ ▼ ▼ ▼



「お兄ちゃんのばかああああああああっ!!!」


 食卓で私がコンビニから買ってきたお弁当を食べ終えて、何が起きたのかを説明してくれたお兄ちゃんに、私は怒り心頭で叫んでいた。

 お兄ちゃんの説明によると……。


 いやね、ここ2週間……いや3週間かなぁ?

 もうね、研究所も本社も修羅場状態でね。なかなかこの部屋にも帰れないし、たまに帰れても急に呼び出しはあるし、帰ったら帰ったで疲れてて買い物にもいけないくらいだし、パソコン仕事持ち帰りだから部屋の外には出れなかったりで、冷蔵庫は気づけば空っぽ。戸棚のカップ麺とか非常食もなくなっちゃってね。

 この部屋にいてもしょうがないし、先週から研究所に泊まり込んでて、今日になってやっと終了の目処がついて帰ってこれたんだけど……。

 3日徹夜で、食事もゼリーと栄養ドリンクしか摂ってなくて、ヘロヘロになってタクシー呼んでどうにか帰ってこれたまではいいんだけど、台所のどこを探しても食べるものがない。

 一番近いコンビニまで行く体力もないし、携帯電話は電池切れして誰も呼べないし、そう言えばコーヒー飲んでばかりでまともな水分全然摂ってなかったから水だけは飲んでおこうと思って一口飲んだら、急に気が抜けちゃって……こう、意識がパッタリとね。

 え? カバン? ああ……戸棚に何もなくて、そう言えばカバンの中にはビスケットがあったなぁと思って探してたんだけど、見つからないからひっくり返しちゃってね。

 ……あとはまあ、唯が来てくれて、こうして発見されました、と。


「信じらんない! 餓死したらどうするのよ!?」

「大丈夫だって。きっと十分に寝たら回復して、その足でコンビニに行ってたさ。リミットカットで燃料切れなんてよくあることじゃん。」

「ないっ! そういうことが出来て、そう思ってるのは、お兄ちゃんだけだから!!!」

 お兄ちゃんには、普通ではない信じられない特技がある。

 特技、というよりも、真面目すぎて勤勉なお兄ちゃんだからこそ発症した、病気だ。

 お兄ちゃんはこれをカッコつけて“リミットカット”と呼んでいる。そしてその状態が長く続くと引き起こされるのが、“オーバーヒート”と“燃料切れ”だ。

 リミットカットとは、要するに極度の集中力で眠気や疲労や空腹を押し込めて、勉強や作業を不眠不休でできる状態だ。無意識のうちに始まり、どの程度続くかはまちまちで、お兄ちゃんの言う最長記録は実に丸々4日間。

 最初は、大学の受験勉強を始めた頃くらいに発症した。

 この状態になったお兄ちゃんは、食事や睡眠といった休憩をすることを一切忘れて作業に没頭してしまう。

 ピークを迎えるとひどい頭痛がして、熱っぽくなり、お兄ちゃんはこの状態をオーバーヒートと呼んでいたが、高校生のうちはそうなった瞬間に休むようにしていたので問題なかった。

 問題なのは大学に入ってからで、課題やレポートで修羅場になると、頭痛薬を飲んでオーバーヒート状態を押さえつけて、空腹のままカロリーの限界まで活動できるようになり、作業が終わるか限界を迎えて倒れるまで働いてしまう。

 今日みたいなことは、お兄ちゃんが就職してまだ間もない、まだ実家にいたときにも何回か起きていた。

『言われたことを、誰にでも出来る方法で、時間をかけてやる』というお兄ちゃんの仕事のスタイルは、よく言えば丁寧で念入りで慎重な間違いの少ない仕事だが、悪く言えば要領が悪くて効率の悪い疲れやすい仕事だ。

 そして、お兄ちゃんは仕事を頼まれると、よほどのことがない限り断ることがない。そして、その仕事もちゃんとこなそうとする。

 結果としてリミットカットは日常茶飯事となり、お兄ちゃんは時々頭痛薬を飲みながら自分を追い込んでしまっている。

 疲れてる自覚があるなら、ちゃんと休めばいいのに。

 これが俺の仕事だから……と言って、無理をしてしまう真面目なお兄ちゃんが、私は心配だ。

「ねえ、お兄ちゃん。なんでそこまで、お仕事頑張るの? 生活、そんなに苦しくないはずだよね? 何か欲しいものでもあるの?」


 いつも謎だった。

 お兄ちゃんは別に、誰か家族を養っているわけでもないし、仕送りをしているわけでもない。借金があるとか、お金のかかる趣味があるとか、大きな夢があるとか、聞いたことがない。

 なのにお兄ちゃんは、こうしてたまに……倒れるまで頑張ってしまう。


「だって俺、これしかできねえもん。研究所の皆みたいに、特殊な技能もないし、要領よくなんかやろうとしたら失敗するし……。なのにさ、周りよりずっとできない俺は、皆と一緒の扱いだぜ。これっておかしくね? 皆と一緒のことはおろか、パシリばっかり。それでこの給料は、皆に対して不公平だろ? だからさ、皆に「お前がやってくれ」って言われて、ちゃんとやると「ありがとう」って言われるのが、嬉しいんだよ。ああ……俺はここで仕事してていいんだって思うと、ね」

 そう言ってお兄ちゃんは笑って見せた。

 そういえばお兄ちゃんは、薬剤師ではないし医療関係者としての資格も持っていない。もともと専門は農業関係で、採用は何かの講義で少しだけお世話になっただけの研究所にも勤めていたという大学教授の口添えだったと言っていた。なのに、本社ではなく研究者ばかりの研究所で働いている。

 周りの人が当たり前にやっている仕事が、自分にはできない。そんな自分にコンプレックスを抱えて、もっと頑張らないといけないと、無理をしてしまうのだろう。


 駄目だよ、お兄ちゃん。

 そんなんじゃ……お兄ちゃん壊れちゃうよ。


「まあ、あと……もうちょいしたら、父さんが退職するだろ? 唯も大学行くだろうし、今度は俺が、一家を支えないと……って! 唯! どうした!?」

 突然、お兄ちゃんが慌てたように私の名前を呼んだ。

 何だろう? と思って見ると、お兄ちゃんはオロオロしながら私を見ている。

「あれ……あれれ?」

 頬に冷たい何かが伝っているのに気づいて、私は無意識のうちに泣いていることに気がついた。

「唯?」

 お兄ちゃんが心配そうに、私の顔を覗き込む。

(ああ……、心配しなきゃいけないのは私の方なのに、お兄ちゃんに心配かけてる)

 私は涙を拭うと、お兄ちゃんを睨み付けて叫ぶように言ったのだった。


「この残念男子! 本当に、本当に、心配したんだからね!! とにかく今日はすぐ休んでよ!!」


 そう言って私は立ち上がり、お兄ちゃんを立たせてベッドに寝かせる。

 少し回復してきたとはいえ、動きがすごく重そうだった。

「いい! 最低でも明日の朝まで起きないこと!! お腹すいたら、冷蔵庫に買ってきたお惣菜があるから、それ食べて! 絶対、仕事の呼び出しかかっても、行かないこと!!」

 きっと私は、今までにないくらい怖い顔で言ったのだろう。お兄ちゃんはタジタジで、枕に乗せた頭をコクコクと上下に動かしている。

(とにかく、今日はお兄ちゃんが寝たら帰ろう)

 お兄ちゃんが布団を被るのを確認して、私はお兄ちゃんが食べ終えたお弁当の箱を片付ける。

 今日だけでもちゃんと寝てくれれば、それだけでいい。

 そう思った矢先だった。


「!」

「!?」


 何かブーブーと震える音がしてお兄ちゃんの方を見ると、お兄ちゃんが充電器に繋いだままの携帯電話を耳に当てていたところだった。

「もしもし……。え!? マジっすか!? 今からですか?」

 電話を耳に当ててそう言いながら、ベッドの上でガバッと起き上がったお兄ちゃんを見て、私の中で何かが切れた。

 お兄ちゃんのいるベッドまで行き、携帯電話を奪い取ると、


「お兄ちゃんは今、疲れてるんです!! いい加減に休ませてください!!!」


と電話口の誰かもわからない相手に自分でも信じられないくらいの大声で怒鳴りつけて、通話を切った。

 そして、肩でゼーゼーと息をしながらお兄ちゃんの方を向いた瞬間、お兄ちゃんの肩がビクリと跳ねて、顔が恐怖に引きつるのが見えた。

(私、どんな顔してるのかな……? じゃなくて!!)

 とりあえず落ち着いて、ちゃんとお兄ちゃんに睡眠をとるように言おう。

 もちろん、ちゃんと笑顔で♪

「お兄ちゃん……ぜーったいに、起きちゃ駄目だよぉ」

(あれ? おかしいなぁ……語尾にハートマークつくくらいに優しく言ったはずなのに、お兄ちゃんの顔がすごく青白くなってる。……まあ、疲れてるんだから、しょうがないよね)

「わ、わわ……わかっ……た」

 お兄ちゃんはよほど疲れているのか、震えながらベッドに横になってしまった。寒いなら、毛布もう一枚だそうかな?

(あ。そうだ!)

 私は握ったままのお兄ちゃんの携帯電話を操作して、家にいるお母さんに電話をかけた。


「もしもし、お母さん? 私、今日、お兄ちゃんの部屋に泊まっていくから♪」



 ◇ ◇ ◇ ◇



 監視する目的で、私はお兄ちゃんの布団に潜り込み、どこか寝苦しそうなお兄ちゃんのお腹にガッチリと抱きついていた。

 これなら逃げられないね。ちゃんと寝てよ、お兄ちゃん。

 パジャマの代わりに、お兄ちゃんの匂いのするブカブカのジャージを着て、一緒にお休みする。

 お兄ちゃんの匂いと暖かさでいっぱいで、幸せといえば幸せなんだけど……、私の中には不安しかなかった。


 間違いなく、お兄ちゃんは明日からまた忙しくなる。

 また、休むことを忘れてしまう。


 ねえ……誰かお兄ちゃんを助けてよ。

 傍にいて、無茶しそうになったら、今日の私みたいに止めてよ。

 このままじゃ本当に……お兄ちゃんが壊れちゃう!


 私じゃ駄目なんだ。

 私はお兄ちゃんの妹だから……お嫁さんじゃないから……ずっとお兄ちゃんと一緒にはいられないんだ。


 ふと私の脳裏を掠めたのは、可愛くて家庭的な、私の大事な後輩の姿だった。





 助けて…………、ユッチ。

 新たな設定、残念なお兄ちゃん・裕一の特殊能力(病気)、リミットカット。

 あらゆる疲労を忘れて働いた代償は……重い。

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