94話 歪な関係
この学校はとにかく広い。敷地がでかいということもあるが校舎自体も多い。新入生の中には毎年迷子になって移動教室に遅れるなんてことはよく聞く話だ。
そしてここまで広い学校では人目につかない場所も多々あり、校舎の一つ、主に化学の実験室などの特殊な授業を行う校舎は授業がなければ人は寄り付かず、梨乃亜はそんな校舎の廊下を軽やかな足取りで歩いていた。
廊下の行き止まりまで来ると梨乃亜は立ち止まる。
「こんなところに呼び出してどうしたの~?」
にこにこと楽し気に梨乃亜よりも先にこの場にいた人物へ声をかける。
梨乃亜の位置から三メートルほど離れ、春人が向かい合う形で立っていた。
「もしかして愛の告白とか?え~どうしよ~。アタシ今フリーだし、ももっちならいいかな~」
「悪いけどそんなつもりで呼んだんじゃないんだわ」
おちゃらけるように笑う梨乃亜に春人はしーんっと空気が引き締まるような落ち着いた声で返す。
「なぁんだ。違うんだ」
梨乃亜は残念そうに声をこぼすがその顔は笑ったままだ。
「それで~?ももっちはアタシに何の用かな」
「今回の北浜との勝負。あれ北浜にけしかけたのお前だよな」
「へ~、なんでそう思うの?」
特に驚くような反応の変化はなかったがそれでも面白がるように目が細められる。
「ずっとおかしいと思ってたんだ。あいつは普段から俺に敵対心を持ってたのは知ってたけどこんな大胆なことしでかす生徒じゃなかったからな」
「そんなのわかんないよ~。ももっちが知らないだけで元々そういう生徒だったかもしれないし」
「他にもあるんだよ。勝負を挑まれた日。お前なんであんなに俺たちをあの場に引き止めたかったんだ。誰かが来るまでの時間を稼ぎたかったんじゃないか。そんなときに運よく来た北浜は本当に偶然か?」
「ももっちはどうしてもアタシを北浜の共犯にしたいみたいだね」
「別に俺の勘違いって言うならそれでいいし疑ったことは謝るけどな」
「ううん、べつにいいよ~。あってるし」
思いほのかあっさりと認めた梨乃亜に春人は驚いたように目を丸くする。
「認めるんだな。てっきり誤魔化してくると思ったんだが」
「だってもうももっちの中ではアタシで確定でしょ~?ここからアタシが何言っても信じてもらえそうにないし、そもそも別にバレてもいいし」
「……理由くらいは聞いてもいいか?」
今回一番迷惑をこうむったのだ。知る権利くらい春人にはある。
そんな春人の言葉に梨乃亜は「ふふ」と笑みを零しながら軽い口を開ける。
「ももっちはさ今の学校生活に満足してる?」
理由を教えてくれるかと思えば質問が飛んできて春人は意表をつかれ表情を強張らせるが梨乃亜は構わず言葉を続ける。
「アタシはさ、つまらないんだ。高校生になれば少しは楽しめると思ったのに全然刺激が足りない。でも一人見つけたんだよね~。アタシと同じでつまらなそうにしてる人」
梨乃亜の目が真っ直ぐ春人の目に向けられる。
「……なんだ?そのつまらなそうな人が俺だって言うのか?」
「そうだよ~。気まぐれで部活見学とか行ったけどあれは正解だったみたい。ももっちを見つけられた」
「何を思ってそんな風に思ったか知らんけど俺は普通に楽しんでるぞ」
「あんなにつまらなそうに部活見学してて?」
「――っ!」
梨乃亜の言葉に春人は隠しようのないほどに動揺を見せてしまう。それを見て梨乃亜の口角が上がる。
「ももっち運動神経抜群だよね~。普通あんなに動けるなら楽しくてしょうがないと思うのに……なのにハンドボールやってた時つまらなそうに手を抜いてたでしょ。というかそもそも楽しむつもりがないみたいな?」
自分の内側を見透かされてるような感覚に春人は強い警戒感をあらわにし顔を顰める。
「俺のことはどうでもいいだろ。俺が聞いたのはこんなことした理由だ」
どうにかしてこの話を終わらせたい。そう思い春人は苦し紛れに話を戻そうとする。
そんな春人の魂胆などおそらく筒抜けだっただろうが梨乃亜は顔に笑みを浮かべてもう満足したのか話をあっさり戻す。
「そうだったね~。別に大した理由なんてないよ。さっきも言ったでしょ?刺激が足りないって。アタシはただ刺激が欲しくてやっただけだよ」
「……そんなことのために北浜まで巻き込んで俺に勝負挑ませたのか?」
「そんなことなんてひど~い。アタシにとっては重要なことだよ」
梨乃亜は頬を膨らませて怒るような態度を示すが本心から怒っていないことが透けて見える。むしろこの状況を楽しんでいるだろう。
「二人の関係は前から知ってたからね~。ちょうどももっちが動画で有名になってくれたし、ちょっかいかければ面白いことになるかなって」
「なんてはた迷惑な」
「でもでも~、面白いことになったでしょ?」
ペロッと唇を舐め魅惑的などこか興奮を覚えているような官能的な表情を浮かべる。
「正直想像以上に刺激的だったよ。ももっちには感謝だね~。あっ、ちなみにあの動画撮ったのアタシね」
「お前かよ。つうかあの場にいたのか」
「うん。かっこよかったよ~。あの時のももっち」
先ほどまでの表情が消え今度は子供みたいに笑顔を作り笑う。春人は全く心意の読めない梨乃亜に歯噛みする。
(ほんと何なんだこいつ……前々からわけがわからんかったが今回で余計にわからなくなったぞ)
他人が考えていることなんてわかるはずがないが、それでも表情や口調などで少なからずの情報としては読み取れる。それでも梨乃亜はここまで話しても何一つわからなかった。
「あ~そうだそうだ。ももっちに聞いてみたかったことあるんだった」
再び梨乃亜の調子が変わり春人は身構える。
「ももっちと美玖っち一体どんな関係なの?」
「は?」
本当に急な話の変化に春人が素っ頓狂に声を漏らすが次の言葉で顔を強張らせる。
「お互いにすごい仲良く見えるけど、どっちもどこかで線を引いててそれ以上は踏み込まない。正直歪だよね~」
「………」
春人は何も言えなかった。これについては春人に問題がありそもそも梨乃亜に言う必要もない。
「おかしいと思わない、ももっち?」
「さあな。俺も美玖も友達として仲良く普通にやってるつもりだと思うけどな」
「友達ね~アタシからはそうは見えないけど」
「人によって見え方なんて違うからな。常盤がそう見えるように俺や他の連中はまた違うかもしれんぞ」
だましだましに言葉を並べて確信から遠ざけようとする。
「ふ~ん。まあいいや今日のところはアタシもう満足だし。これ以上は勿体ないよね~」
春人のそんな思惑が通じたかはわからないが梨乃亜はその整った顔に笑みを浮かべると春人に背を向ける。
「アタシ楽しみは最後まで取っておく方なの。次も期待してるよ~ももっち」
右手をひらひらと揺らしながら梨乃亜を先ほど来た道をこれまた来た時と同じように軽い足取りで戻っていく。
春人は随分と梨乃亜の姿が小さくなるまで見届けると小さく息を漏らす。
「はー……なんかまた面倒なやつに目を付けられたな」
北浜の問題が終わったと思ったら今度は梨乃亜だ。
「しかも北浜みたいに単純じゃないところがまた面倒そうだな」
終始心を覗かせない梨乃亜とのやり取りには本当に疲れた。
「俺も帰るか」
今日また梨乃亜に出くわすようなことは避けたい。もう少し時間をおいてから春人は梨乃亜が帰っていった同じ道を歩いていった。




