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68話 お兄が薄情なんてあるはずないよ!

 春人と琉莉はベンチで二人で並び項垂れていた。


「なんでお兄まで疲れてんの……」


「いろいろあったんだよ……」


 美玖は今少し席を外している。二人は誰にも気を遣う必要もなく疲れ切った姿を晒していた。


「……美玖いねえから聞くけど。何考えてんだお前?」


「なにって?」


「とぼけんな。不自然すぎるは。ウォータースライダー滑りたいとか言った時点でおかしいと思ったは」


 どうして自分が苦手なはずのウォータースライダーを滑りたいなんて言い出したのか。他にも考えればいくらでもおかしな点はある。


 疑いの目を向ける春人に琉莉は表情から何も読ませないように無表情でじーっと視線を向ける。

 そうしてお互いに視線を交わしていたが琉莉が鼻を鳴らし正面に顔を向ける。


「ふっ、流石にバレちゃうかー。そうだよ、考えがあってこんなことしてたの」


「……教える気はあんのか?」


「教えるのはなー……私だけの問題じゃないし、そもそもお兄には教えるわけにもいかないんだよね」


「なんだよそれ」


「うーん、お兄には少し難しいかもね。というかわからないよお兄じゃ」


 小ばかにするように肩を竦める琉莉。腹が立つその態度に春人は眉を顰める。


「教えたついでに私にも教えてよ」


「何も教えてもらってないんだが?」


「まあまあ……美玖さんの態度、お兄から見てどう思う?」


 突拍子もない質問に春人は目を見開き驚きを露にする。


「質問の意図がわからんのだが」


「うん。私のただの好奇心。お兄がどう考えてるのかなって」


「………」


 春人は琉莉の横顔に訝し気な視線を向ける。いったいこの妹が何を考えているのかさっぱりわからなかった。数秒の時間を置き春人は重い口を開く。


「正直わからんよ。最初の頃はただ揶揄って楽しんでいるって感じだったけど今は……他の奴らにはない特別な接し方な気がする」


「特別……それは異性として?」


「さあ、そこまでは……でも美玖の俺に対する好意なのか信頼はちょっと異性として違う気がする」


(その辺はお兄でも気づいてるか。まあ、あそこまであからさまに違ければ流石に気づくか。でもそれが好き嫌いとかの感情があるかが私も知りたかったんだけどなー。そこまでの一線は絶対超えてこないもんな美玖さん)


 琉莉は逡巡する。そのすえ意を決して春人へ問いかける。


「お兄。もし美玖さんがお兄のこと好きだったらどうする?」


 横に座る春人へ視線を向ける。春人はきょとんと口を開けていたが構わず視線を向け続けた。次第に春人の顔が引き締まり真面目な表情を作る。


「それは冗談で聞いてんのか?」


「ううん、本気」


「………」


「………」


 再び兄妹で視線を交わらせる。睨むというほどではないが鋭い視線を春人は飛ばしている。口では言わないがもし冗談で言っていたら春人は本気で怒っていただろう。


「はぁーーー」


 根負けした春人が大きくため息をつく。


「嬉しいことは嬉しいよ。だけど俺は絶対に疑ってしまうから……その気持ちに応えることはしないと思う」


「それはあの事が関係してるんだよね?」


「そうだな。ガキの頃の話なのにいつまで引きずってんだって思うけどな」


「別にそんなこと……」


 琉莉はただ春人が自分を責めるのを止めようとかけた言葉だったが春人は少し気持ちが荒ぶっていた。ムキになり言い捨てるように口を開く。


「小学生の話だぞ?しかも当時あんなにショック受けてたはずなのにもう名前すら思い出せない。顔だって朧気だ。むしろそんな俺の方が薄情者なのかもな」


「違うよっ!」


 琉莉が突如声を荒げる。隣にいた春人はただただ驚きのあまり固まってしまっていた。

 そんな春人に琉莉は目尻をキッと上げ顔を向ける。


「小学生だろうと名前も顔も忘れたって関係ない!あんなに苦しんでたお兄が薄情なんてあるはずないよ!」


 今にも泣き出しそうに顔をくしゃっと歪める琉莉が春人に激しい言葉をぶつける。それを聞き春人は爪が掌に食い込むほど強く拳を握る。


(バカか俺は……琉莉の前で何自棄になってんだっ)


 心に纏わりつく嫌な感情の制御ができずつい自分を陥れる言葉を吐いてしまった。そんなことしても何も意味がないのに。ただただ琉莉を悲しませるだけだというのに。


 急激に頭の血が下がっていく。今の自分の穢い心でも後悔はちゃんと感じる。だがどうすればいいのかわからない。こんな気持ちでどんな言葉をかければいいのか。


 春人が視線を落とし口を結んでいると琉莉が焦れたように声を上げる。


「なんとか言え!」


 琉莉の言葉に春人は肩を揺らし視線を上げる。顔が見えたところで琉莉がまた口を開く。


「妹を悲しませたんだからちゃんとご機嫌とれ!」


「は?ご機嫌って」


「いいから頭撫でろ」


 困惑する春人を無視して琉莉は頭を春人へ突き出す。春人は訳が分からないまま琉莉の頭を不格好に撫でる。


「ちゃんと撫でろよ!」


「いや、だってな……いきなり言われても」


「いつもはもっと優しく気持ちを込めて撫でてるじゃん!それでいいの!」


「えーと……」


 春人は困惑する気持ちを落ち着け琉莉の頭を撫でていく。これがいつもどおりなのかわからないが琉莉から次第に力が抜けていく。


「そうそう、それでいいの」


「いいのって……何この状況?」


「言ったでしょ?妹を悲しませた兄の義務」


「それがこれか?」


「私が満足すればいいの」


「満足って……お前いつも頭撫でるの嫌がってなかったか?」


 ピクっと琉莉の肩が跳ねる。それと同時に琉莉の耳が真っ赤に染まっていく。春人もこの反応で色々察する。


「なるほど、本当は嬉しかったんだな。それでも恥ずかしいからいつも照れ隠しであんな冷たいたいどぅっ!?」


 琉莉は拳を思いっきり春人の太腿に叩き落とした。地味に痛いこの攻撃に春人は声を詰まらせる。


「おまぇ……いてえだろうが」


「気持ち悪いこと言うお兄が悪い」


「んだよ。そんなにやなら今度からしないように気を付けるは」


「……別にそこまでは言ってない」


 素直じゃない琉莉に春人は思わず笑ってしまった。


 そんな春人に琉莉は唇を尖らせ不服そうにしている。


「何笑ってんの?」


「なんだ、まあ、可愛いとこあんだなって思ってな」


「にやにやしてキモいんだけど」


「キモくて結構。それで?もう撫でなくていいのか?」


「……そんなに撫でたいなら撫でられてやってもいい」


 見え見えの照れ隠しに春人は更に笑みを濃くする。今度は優しく丁寧に頭を撫でてやる。

 撫でてるうちに不思議と胸が軽くなるのを春人は感じた。


「……ごめんな」


「別に謝んなくていい」


「じゃあ、ありがとな」


「……うん」


 風に飛ばされそうな小さい声だったがしっかりと春人には届いた。慈愛に満ちた目で春人は琉莉を撫で続ける。

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