65話 浮き輪の輪っか部分にお尻からはまって浮くの好き
プールの定番の一つと言える波が出るプール。押し寄せる波が本物の海のような臨場感を醸し出している。
「何して遊ぶかとかは置いといてとりあえず早く入ろう」
人目が多少減ったとはいえ集めてしまうことに変わりない。それに何より外が暑い。早いとこ入って涼みたかった。
「うん、私もそろそろ水に入りたいかも。流石に暑いからね」
「私も早く遊びたい」
考えていることはほとんど同じのようだ。さっさと入って人目と暑さを解決したい。とその前に――。
「ほれ琉莉」
「え?何これ?」
「浮き輪だけど、見ればわかるだろ」
「見ればわかるよ。なんで私にってこと」
「お前泳ぐの下手だからなこれがないと心配だろ」
春人が浮き輪を琉莉に渡す。周囲を見れば同じ柄の浮き輪がそこら中にある。きっと貸し出してくれているのだろう。
そんな浮き輪を琉莉は複雑な表情を作り凝視する。
「兄さん……あまり子ども扱いしないで。私ももう高校生」
「高校生でも浮き輪ぐらい使うだろ。ほれ見てみろ大人でも使ってる」
春人はプールの一角を指さす。おそらく大学生くらいと思われる女性が浮き輪の輪っか部分にお尻をはめぷかぷかと浮いていた。
琉莉もあの使い方は正直好きだった。自分の力を一切使わず流れに任せることができるのでとても楽で気持ちがいい。
「……仕方ないから使ってあげる」
別に見ていたら使いたくなったとかそういうのではない。折角の兄の申し出を無下にするのが心苦しいと思ったできる妹の気づかいだ。決して言いくるめられてなどいない。
不服そうにしている琉莉を横目に春人はプールへと足を踏み入れる。
「おーっ、冷たっ」
「あはは、海でもそうだけど最初の一歩ってなんでこんなに冷たく感じるんだろ」
「ほんとだよな。普通に慣れてないからかな。ほら琉莉も早く来いよ」
「わかってる。急かさないで」
琉莉はおっかなびっくりに足を水につけると足先から感じる冷たい水の感触に身震いしていた。
「猫かよ」
「冷たくていきなり入れないんだから仕方ないでしょ。あと猫は冷たいのがやなんじゃなくて濡れるのがやなだけ。私と違う」
「そこ重要?」
変なこだわりを見せる琉莉に春人は苦笑する。
びくびくと何回か足を水につけては離してを繰り返すと琉莉はようやく足を水に入れる。
「う~冷たい」
「でも気持ちいいだろ。ずっと暑かったからな」
「うん、そこは同感」
「ならもう少し深いとこ行こうぜ。全身浸かりたい」
春人たちは深場に向かいプールの奥の方に進んでいく。その途中琉莉が春人たちを引き止める。
「ちょっと待って」
言うと琉莉は浮き輪を水面に浮かしその中にお尻からはまるように腰を下ろすが浮き輪が動いてうまくいかない。
「ん、と」
何度やっても浮き輪に逃げられ尻もちをつくように水底に尻を付ける。
「手伝おうか?」
「いい。自分でやる」
だが琉莉の努力もむなしく一向に浮き輪に乗れる気配がない。
春人はため息をつき美玖へ声をかける。
「美玖、悪いけどちょっと浮き輪押さえてて」
「うん、わかった」
美玖が浮き輪を押さえたのを確認すると春人は琉莉に近づき――。
「ん?なに兄さん――ッ!?」
力任せに琉莉を持ち上げる。そのまま浮き輪の輪っかにお尻をはめ込む。
「よし、これでいいだろう」
春人は満足そうに浮き輪にはまる琉莉を見下ろすが琉莉は不満げに春人に視線を向ける。
「自分でできたのに」
「できてなかったろ。それにこっちも早く奥に行きたかったんだからこれでいいんだよ」
「またそうやって子ども扱いを」
「別に子ども扱いじゃねえって。ただ手伝っただけ」
手を貸すくらいいいだろうと春人が言うがそれでも腑に落ちず琉莉は唇を尖らす。
「もういいや。ありがとう美玖さん手伝ってくれて」
「うん、気にしないでいいよ」
「なんで美玖には素直にお礼言うんだよ」
美玖との態度の違いに春人は文句を口にする。琉莉は、ふっと鼻で笑い何とも憎らしげな顔を作る。
「美玖さんは可愛いのだから当然。可愛い子が私に世話焼いてくれたんだからお礼は言う」
「ほんと美玖と俺の扱いの違いよ」
琉莉が美玖のこと大好きなことは知っているがここまで露骨に扱いに差があると最早清々しい。
「まあ、いいや。早く行こうぜ」
「あ、待って兄さん」
「今度はなんだ?」
「運んで」
琉莉は水面で唯一動かせる手を小刻みにぱたぱたとさせながら亀並みの速度で近づいてくる。だが一度波に捕まれば折角進んだ距離が無となりむしろ後退していく。
そんな一歩進んで二歩下がるような状態の琉莉に春人は呆然とする。
「なんでここで浮き輪に乗ったんだよ」
「深いところまで行くと浮き輪に乗れないし。そもそもそんなところまで行ったら足つかなくて危ないし」
「お前さっき手伝うのは気がのらないみたいなこと言ってなかったか」
「私がお願いするのはいいけど兄さんにやられるのは屈辱」
なんとも勝手なことを悪びれもなく言う琉莉だ。春人はため息をつき琉莉の浮き輪へ手をかける。
「まったく……ほれ行くぞ」
「おー、これはいいねー」
自動で水面を進む浮き輪に琉莉は満足気に声を漏らす。
「ふふふ、本当に仲良しだよね二人って」
「これが仲良しなのか?」
「仲良しだよ」
「俺いつも嫌々こき使われてんだけど」
「それでも琉莉ちゃんのわがまま聞いてあげる春人君って優しいよね」
にこにこ笑みを向けてくる美玖に照れくさく顔を逸らす。
(俺ってそんなに琉莉に甘いのか?そんな風に見えるのか?)
春人としては自覚がなかったが一般的に見れば美玖の考えで皆同感するだろう。
日ごろから琉莉の突拍子もないわがままに付き合わされている春人の感覚は完全に麻痺していた。世間的にシスコンと言われてもおかしくないレベルには拗らせている。
そしてそれは琉莉にも言える。なんだかんだ自分の味方でいてくれる春人に強い依存をしており、いわゆるブラコンと言えるレベルには春人に無意識に甘えることがある。
三人は大分奥の方まで来ていた。もう足もつかないくらい深い場所にいるので春人と美玖は琉莉の浮き輪に捕まり三人仲良く一つの浮き輪を使っていた。
「兄さん浮き輪歪んでる。沈む」
「足つかないんだから仕方ないだろ」
「兄さんは泳げるでしょ?」
「泳げるけどずっと浮いとくのは疲れる」
手足を使ってぷかぷか浮くよりも浮き輪で浮いてた方が断然楽だ。
「でも三人捕まってると流石に浮き輪も沈んじゃうね」
美玖が言う通り浮き輪はもうほとんど沈んでいた。浮力があるので完全に沈み切ることはないがとても不安定な状況になっている。
そんな不安定な浮き輪にすっぽりはまっている琉莉が急に顔色を変え面白いことを考え着いたと口を動かす。
「なら兄さんは美玖さんに掴まってよ。そうしたら浮き輪もちゃんと浮くし」
「は?なんだよいきなり」
「兄さんが重いから浮き輪がこんなに歪むんだよ。美玖さんに掴まってくれれば全部解決」
「解決ってお前な」
春人は美玖に視線を向ける。美玖も困ったように苦笑いを浮かべていた。どう考えてもおかしな提案だ。追い付かない妹の思考に春人は顔を顰める。
「それなら俺が手を離せば済む話では?」
「さっき浮いてるだけでも疲れるって言ってたでしょ。それなら美玖さんに掴まればいい」
「疲れるとは言ったけど別にそこまで――」
「疲れるなら美玖さんに掴まればいい」
春人の言葉にただならぬ圧を含ませた琉莉の言葉が被る。いったいなんなのかと春人も困惑する。
「えーと、春人君掴まる?」
「え、いや別に俺は」
「確かに浮き輪も沈みそうだし、私掴まれるくらいならいいよ」
(いいよって言われてもな)
美玖から承諾されても正直困る。そもそも掴まるってどこに掴まれば……。
「ほら兄さん美玖さんもこう言ってる」
琉莉にも急かされやむなく春人は浮き輪から手を放し美玖の方へ泳ぐ。
「えーと……ほんとにいいのか?」
「うん、構わないよ」
「……どこ掴めばいい?」
「好きなとこ触っていいよ」
(好きなとこって……えーーー……)
美玖の魅惑的な言葉に春人は頭を悩ませる。好きなとこなんて……好きなとこなんてぇ……。
行き場に迷う自分の手に力がこもる。春人は決心し美玖の肩へと手をかけた。
「っ」
すると美玖は大きく肩を跳ねさせる。咄嗟に春人は手を放す。
「え、すまん。大丈夫か?」
「あ、うん大丈夫。ちょっとくすぐったかっただけ。掴まっていいよ」
「……なら、失礼して」
春人はもう一度美玖の肩に掴まる。すべすべとした肌触りがとても心地よい。
「えーと、大丈夫?」
「うん、というか春人君全然体重もかけてないでしょ。もっと楽にしていいよ」
「それならまあ……」
春人は気を遣いあまり美玖に身体を預けないようにしていたがここで少し美玖へもたれ掛かる。肩に春人の重みを感じたのか美玖は浮き輪を持つ手に力を入れる。
「うん、これくらいなら全然平気」
「そうか無理そうなら行ってくれよ?」
「うん、ありがとう春人君」
笑顔で受け応える美玖に琉莉は内心で口をへの字にし難しげな顔を作る。
(お兄からのボディタッチでも反応が普通……えーーー美玖さん本当にお兄のこと何とも思ってないの?)
春人に触られても反応の薄い美玖に琉莉は釈然とせず胸がもやもやとする。自分の考えに自信が無くなってきた。
(いやまだだ。まだ判断するには早いよ。次はもっと、もぉぉぉと刺激強めに)
琉莉がそんなことを頭の中で考えているとひときわ大きな波が襲ってきた。
「おぉおっ!?」
「ひゃあっ!」
春人と美玖は慌てて掴まれるものに必死に掴まる。美玖は浮き輪に。春人は今一番手近にあるものに――。
「うおー……すげえな。こんな波まで作れるんだな」
春人は技術の進歩に少し感心していた。本物のような大きな波に目が輝いている。
「あの……春人君?」
美玖は恐る恐るといった様子で口を開く。少々感動していた春人は気づかなかった……現在の状況に。
「ん?どうしたみ、く……」
春人の言葉が詰まる。春人の目の前。美玖のうなじがほんとぉぉぉに眼前にあった。距離にして数センチ。
春人は今美玖に後ろから抱き着くようにして掴まっている。両手を美玖の肩とお腹に回すようにし強くつよーく抱き締めて密着していた。
「え、えーとね。いいんだよ。私はいいんだけどやっぱり心の準備というか、そんなに強く抱きつかれたら女の子はドキドキするというか」
珍しく美玖がテンパっている。耳まで真っ赤にし何やら早口に言葉を並べている。
「いやっ!あのっごめんッ!」
春人は素早く美玖から身体を離す。水の中にいるのに美玖に触れていた部分が妙に熱い。
「ほんとにっ、ほんとにごめんッ!」
「そんなに謝らなくても私は別に気にしてはないというかその……」
尻すぼみに小さくなっていく声。春人に背を向けているせいでその表情がうかがえない。
なんとも気まずい空気が流れるが、ふと美玖が気づいたように口を開く。
「あれ?琉莉ちゃんは?」
美玖が空の浮き輪を見て声をこぼす。春人も気づき視線を彷徨わせるとぶくぶくと泡を立てる水面を発見した。春人の顔が一気に強張る。
「琉莉ッ!?」
急いで泡の発信源に向かい潜ると案の定琉莉だった。水面まで持ち上げ春人は琉莉へと呼びかける。
「ちょっ、おい大丈夫か!?」
「げほっごほっ!……う~、なみこわい、みずこわい」
涙目に弱々しくこぼす琉莉。返答してくれたことに春人はほっとする。
「はぁーーー……よかったぁーーー」
「ちょっと琉莉ちゃん大丈夫!?」
遅れて美玖もたどり着く。切羽詰まったように顔面蒼白とさせている。
「ん~大丈夫。ちょっと水飲んだだけ」
少し疲れた顔をしているがいつもの声の調子に美玖も安心したのか近くにいる春人に寄りかかるようにして声を漏らす。
「よかったぁー……」
「ほんとに……心配かけやがって」
「うー、ごめんなさい」
溺れかけたことが怖かったのか今の琉莉は妙に大人しい。春人の腕の中で小さく丸まっている。
「一旦あがるか。琉莉を休ませたいし」
「うん。浮き輪持ってくよ」
三人はプールからあがるため浅瀬に向かう。
色々と画策していたが惜しくも琉莉は美玖の赤面していた場面を見逃すことになった。




