40話 なんで今そんな話するの?その話する必要ないよね?
葵からの話を聞き終わると春人たちは移動していた。各自数人の班に分かれ担当の持ち場を調査する。
春人は美玖と香奈の三人班だ。今は任された校舎の入り口前に立っている。
「それじゃあ入るけど……いいんだな?」
「う、うん、おっけー大丈夫」
「これが最後だぞ?止めるならここしかないぞ?」
「大丈夫だって!覚悟が揺らぐから早く行こっ!」
美玖は強張った顔を正面の扉に向ける。本当に行く気のようだ。
春人は息を吐き扉に近づく。ゆっくりと取っ手を握り一度後ろを振り向く。
「開けるぞ」
「う、うん」
「おー、いこういこう」
テンションが対照的な二人の返事を聞き春人は扉を引く。
いつもと少し違う校舎の雰囲気に春人の出しかけた足が止まる。
――不気味だ。そう感じてしまい春人は一度大きく息を吸い吐き出す。
「すー……はー……」
夜とはいえ真夏の外気は熱い。廊下はもともと他の部屋に比べ冷える場所ではあるが想像以上の冷え方に入るのを戸惑わせる。ここだけ世界と切り離された別の世界のようだ。
「どうしたん春人?」
入るのを戸惑っている春人に香奈が声をかける。
「あーいや、なんか夜の校舎って不気味だなって」
「なになにー、春人もびびってんの?美玖に影響されちゃった?」
「どうだろうな。本能的なものなのか……まあ、とりあえず行くか。俺たちだけ遅れても他の迷惑になるからな」
意を決して一歩踏み出す。廊下の冷えた夜気が肌を撫でていき思わず顔を顰める。
そして春人の横に張り付くように美玖が一緒についてくる。腕に身体を押し付ける体勢は春人を違う方向へドキドキとさせていた。
「ちょっと美玖……いろいろ当たってんだけど」
「大丈夫気にしないで」
「気にしないでって……逆に気にしてほしいんだけど」
文句を言いつつも春人の内心は真逆だ。
(めっっっちゃっいい匂いするなおい。しかもこの柔らかいのは……いやいやまてまて、落ち着け春人これ以上は考えるな考えてはいけない。深呼吸して一旦落ち着けー)
脳内で葛藤しながら春人は大きく深呼吸を繰り返す。自分の中の邪な気持ちを吐き出すように。
そんな春人たちのやり取りに香奈はじとーっと視線を向ける。
「二人ともイチャついてないで早く行くよ」
「イチャついてねえから」
「そうだよ。イチャつくならもっと別の場所がいい」
(うーん……今日の美玖はちょっとズレてんな)
恐怖のせいだろうか。美玖の思考がおかしなことになっている気がする。
春人は一瞬たりとも離れようとしない美玖を横目に確認する。気丈に振る舞ってはいるが手元はずっと震えている。無理しているのが見てわかる。本来なら一刻も早くこんな場所出て行きたいだろう。
「……さっさと見て回ろう。たぶん何も出ないだろうけどな。美玖も大丈夫か?」
美玖を安心させるようにできるだけ優しい声音を意識する。
「うん……大丈夫、行こう」
ぎゅっと腕を掴む力が強くなる。
美玖に合わせ春人はゆっくり歩き出す。
しばらく無言の時間が続く。パタパタと上履きが廊下を叩く音だけが周りに反響する。静かな廊下だとこんなに音が響くのかと春人は少し気が逸れていた。
「そういえばあたしこの校舎初めて入ったかも。作りは他と変わんないんだね」
「まあ大きな違いはないよな。目新しいものでもあれば少しは気も紛れたかもしれないけど」
周りを見ても春人たちが普段通っている校舎と違いはない。違いがない分少々つまらなくも感じるが構造が同じなので迷うことがないことだけは救いかもしれない。夜の学校で迷うなど考えたくもない。
「一階見たら二階に行くんだよね?」
「うん、そうだね。――あっ知ってる?学校の噂でさ、こうやって夜の廊下をみんなで歩いてると気づいたら一人ずついなくなっちゃうってはなしぃっ!?――ちょっと美玖なんて顔してんの」
香奈が声を上ずらせ大きく身を引く。そんな香奈を美玖が真顔でありながら睨むような凄みを出してその瞳に移していた。
「なんで今そんな話するの?その話する必要ないよね?」
廊下の冷気とは違う寒さが全身に纏わり付き春人は身震いする。
(ちょっちょっ、こわっ。怒った美玖こわっ……)
怒るという表現であっているのだろうか。表情からは感情が抜け落ち瞳はどこまでも深く沈んでいきそうな闇色だ。そのせいで美玖が何を考えているのかがわからない。わからないからこそ恐怖を感じる。
「えーと、あの、そのー……あんまり皆しゃべらないから緊張していると思って……場を和ませようと……」
「和ませる話題じゃなかったよね?」
「はい、その通りです……」
「ふざけてたのかな?」
「ふざけてはない……ですぅ」
「ふーん」
美玖がすーっと目を細め、香奈がしゅんっと縮こまる。
(やっぱり怒ってんだよなこれは……)
対面していない春人にも強い圧を感じる。これを正面から向けられている香奈は精神的にもきついだろう。救いを求めるように涙が浮かぶ瞳で春人を見てくる。
「あー……美玖?気持ちはわかるけど一旦この辺にしておこう。美玖も早くこんなとこ出たいだろ?」
こんなとこで時間を食ってると余計に出るのが遅くなるぞと諭す。これは美玖にとっても本望ではないのだろう。美玖の表情は少し感情を取り戻す。
「……確かにそうだね。うん、一旦忘れてあげる」
納得してくれた美玖に春人も安心する。
「はるど~ありがど~」
「お前は本当にあほなのか?」
涙をいっぱいに溜め春人に感謝する香奈を春人は呆れたように目を細める。
「う~~ほんどうに~ほんどに場を和ませようとして~」
「あーもう!わかった!わかったから泣くなってほら!な!?」
ガチ泣きしだしそうな香奈を春人は慰める。
片腕には今も尚べったりと張り付いた美玖に正面は半べその香奈。春人は小さな子供の面倒を見ている保護者の気分になっていた。
(なんなんだよこの状況……)
簡単な気持ちで葵の依頼を受けたつもりはなかったが春人は少し後悔し始めていた。
春人がため息をつくと左隣で腕にしがみつく美玖の力が強くなった気がした。
「美玖?どうした?」
「ん、香奈の話が本当だとは思わないけど一応念のため。春人君がどっか行かないように」
「そうか。っで?お前は何してんの?」
今度は右隣に話しかける。先ほどまで春人たちの前を意気揚々と歩いていた香奈が美玖のように春人の腕にしがみついていた。
「なんか急に怖くなってきてお願いだからこうさせて」
美玖への恐怖とこの場の恐怖が入り混じってしまったのか先ほどまで平然としていた香奈が恐怖で震えていた。
「本当にあほなのか」
香奈のポンコツ加減に春人はまたため息をつく。
両手に女子がいるこの状況。本来なら喜ばしいことなのだろう。それなのに全く嬉しさがこみ上げてこないのはこの状況がカオスすぎるからだろうか。
人生に一度あるかもわからないチャンスなのに春人は楽しむなんて気持ちが微塵もわいてこなかった。




