143話 引いたら負け
美玖は自分の足の周りを泳ぐドクターフィッシュを見て声をこぼす。
「これって角質とか食べてくれるんだっけ?いい子たちだよね」
「確かそうだったな。そうなるとやっぱり美玖の足って綺麗なんだな」
「ちょっ、どうしたの急に」
いきなり自分の身体を褒められ美玖は驚く。
「だってそうだろ。魚そんなに寄ってないってことは」
春人や他の人たちと比べても美玖の周りには魚が寄ってきていない。だから春人はそんな感想を何気なく口にした。
ただ美玖がその言葉に肩をピクっと反応させる。
「え、あ……あー、そういうことになるのか……」
何かに気づいた様子で美玖の頬が少しずつ赤く染まっていく。
すると美玖は魚が寄ってくると、ささっと足を動かして魚から避けるような動きをし始めた。
「何してんの?」
不自然なその動きに春人が訝しむと美玖がまた恥ずかしそうに目を泳がせる。
「あの、だって……魚が寄ってくるってことはちょっとでも……汚れてるってことでしょ?それはちょっと恥ずかしい」
言った後にさらに恥ずかしさが込み上がってきたのか顔が耳まで赤く染まり始めた。
「いや、汚れてるなんてことないって。充分綺麗な足だと思うぞ」
「そんなふうに褒められるのもそれはそれで恥ずかしいのっ」
「どうしろと」
顔を両手で覆い恥ずかしさを堪えようとしている。
本当にそんなに気にしなくてもいいと思うのだが。
(綺麗だと思うけどな。色白ですらっと伸びて張りもあって)
春人はまじまじと美玖の素足を観察する。きめ細やかな肌は水滴も弾くのではないだろうか。触ったらそれは気持ちいい感触なんだろうなと思う。
無意識に食い入るような目を春人は向けていた。
そんな欲望の塊のような目に流石の美玖も気づく。
「………………はる君見すぎ」
春人は、はっと気づき顔を上げる。
じとーっと湿り気のある冷ややかな目を作る美玖と目が合った。
「あ、の……あはは」
もう誤魔化しの言葉も出てこなかった。乾いた笑顔を張り付け春人は固まる。
「そんなに好きなの?私の足」
「う、いや、別に好きとかじゃ……」
「そんなに見てて?」
「見てたのは事実だけど好きとかそういった気持ちは特にないぞ」
「本当に?触りたいなぁとか思ったりしなかった?」
「してないしてない」
「ふぅ~ん、そうなんだ」
「おう、流石に俺も美玖の足にそんなやましい気持ち――」
「もし好きなんだったら触ってもいいんだよ?」
「大好きです」
美玖の魅惑的な言葉につい本音が漏れる。
「あ」
と我に返るが時すでに遅し。
先程よりもさらに温度が下がった氷点下のジト目が春人を射貫いていた。
「えっち。ほんとにえっちだねはる君は」
「くっ!なんも反論できん」
自分の欲望が駄々洩れてしまった。でもしょうがないだろ。純白の美脚を目の前にして触ってもいいなんて言われれば男子は全員飛びつく。
そんな言い訳じみたことを考えていた時だ。美玖の手が春人の膝の上に置いてた手に重なる。
「え?」
なんだ?と思うのも遅かった。
美玖はそのまま春人の手を取って自分の太腿の上に置く。
「――ッ!?」
心臓が跳ね上がり美玖の衝撃的な行動に春人は目を白黒とさせ始めた。
(はい?何やってんの美玖。めっちゃ柔らかいんだけど。いや、そうじゃなく。なんでこんなこと。すっげえすべすべして気持ちいいぞ。いや!だからそうじゃなくて!)
脳がバグりそうなほどに官能的な感触だった。これが人が作り出せる感触なのかと春人はこの一瞬でいろいろな驚きに襲われていた。
「一応好きって言ったし……私が言い出したことだから……」
約束だから、と美玖は真っ赤な顔を俯かせながら弱々しい声を漏らす。
自分でもかなり突拍子もない大胆なことをしている自覚はあるのだろう。未だかつて見たことないほどに美玖の顔を赤く染まっていた。
(恥ずかしいならやるなよ……俺もどうしたらいいかわかんないんだけど)
このまま手を振り払うことは簡単だ。だが美玖が勇気を出してやってくれたことでもあるわけでその気持ちを無下にもできない。春人がまだ触り続けていたいというわけではない。
本当に触り続けていたいわけではない。大事なことなので二回言う。
それでもいつまでもこの状態を続けているわけにもいかない。春人は恐る恐るといった様子で口を動かす。
「あのー、美玖さん?これはいつまで続ければいいんだ?」
「…………はる君はもう触りたくないの?」
気のせいだろうか。美玖の顔が少しむっと不機嫌そうになった。
「そういうわけではないけれど……」
「じゃあ、このままでいいんじゃないかな」
「いやいや、そういうわけにはいかんだろ。太腿ずっと触ってんだぞ俺」
「私がやったんだからこのままでいいんじゃないかな。私は平気だし」
別に止める必要もないだろうと美玖は自分は気にしてないと主張する。
顔を真っ赤に染めながら。
(いやいやいや!どう見ても平気じゃないだろ!)
涙目になって唇を噛み締める美玖は羞恥心を何とか堪えようと必死になっている。
(なんでこの子変なところで意地になってんだよ)
わけがわからないと春人は天を仰いだ。
だが、美玖がそういうつもりなら春人としては乗らない理由もない。
春人はこの際できるだけ触らないように気を遣い浮かしていた掌の一部分を全て美玖の柔肌に密着させた。
「――ッッッ!?」
手の感触が更に強調されて伝わってきたのか美玖が困惑を色濃く表情に表す。
(さあ、意地になってないでもう止めるって言え)
恥ずかしさでプルプル震えだした美玖を見て春人はそろそろ限界だろうとみていた。
だが、美玖の意地っ張りさはこの程度ではまだ揺るがないらしく。
「ど、どうかな。触りご、心地は……」
あろうことか感想を求めてきた。
まさかここまでやるかと頬を引きつりながらも春人も引けないところまで来ていた。ここで引けば何か負けたような気になってします。
「そうだな……本当に綺麗な足だよな。すべすべしてる肌は触り心地も最高だし、ずっと触っていたいと思うぞ」
平静を装いつつ春人は勢い任せに思ったことを口にした。
(何言ってんだ俺は!?とんでもなくキモいこと言ってんじゃないのかこれ!?)
内心限界である。恥ずかしいのは美玖だけではないのだ。
それでも勢い任せに思ったことをそのまま口にした春人の言葉は美玖にクリーンヒットしていた。
「そ、そうなんだ……そうか……そ、うか…………うぅ」
呻くような声が美玖から洩れた。どうしたのかと春人は心配するような視線を向けるが――。
「やっぱり無理!もう無理ぃぃぃーっ!」
羞恥の限界に達した美玖が爆発した。
勢いよく立ち上がった美玖だったが――。
「あ」
水底に足を取られて体勢を崩す。
「え、ちょっ、待っ、あぶなっ!」
咄嗟に春人は手を伸ばした。美玖の腕を掴むとそのまま押し倒すような感じに美玖の上に覆いかぶさる。
「え、あ……」
美玖の口から淡い声が漏れる。
春人の目の前。ほんの数センチの位置に美玖の顔があった。押し倒した拍子にここまで接近してしまった。
お互いに無言のままただ見つめ合う。綺麗な瞳に吸い寄せられるようにその距離が少しずつ近づいていた。
すると美玖がすぅと瞼を下ろした。
「――ッ!」
今日一の心臓の鼓動を春人は自覚していた。
何かを期待しているかのような美玖の表情は春人の理性を木っ端みじんに吹き飛ばしてくれた。
このまま致命的な一線を越えるのではないだろうかと思えたときだ。
「ねえ、みて、ちゅーしようとしてるよ!」
「「――ッ!?」」
子供の声に春人と美玖の身体が固まる。
指をさす子供を母親らしき人が「こらだめでしょ。あまり見ないの」と注意している。
これには熱にうかされていた頭も急激に冷めていった。
春人はゆっくりと体を起こすと美玖を引っ張り上げる。
「えーと……大丈夫か?」
「う、うん……ありがとう」
先ほどとはまた違った恥ずかしさがこみ上げてきた。居たたまれない気持ちを押し殺して、二人は濡れた足を急いで拭くと逃げるようにこの場から立ち去った。




