142話 楽しい時間
しばらく幻想的な海の世界を楽しんでいた春人たちは先ほどまでとは様変わりしたエリアに来ていた。
周りに直径二メートルほどの円形の水槽が点々と置かれている。
その水槽の周りに集まった子供たちが中にいる生き物をおっかなびっくりに突いたりして触っていた。
「ふれあいコーナーか。魚とかって実際に触っていいんだな」
「魚というよりヒトデとかみたいだよ。見て大きなカニがいる」
美玖が指差す先には両手を広げても足りないのではないかと思える大きなカニがいた。普段は絶対に見ることがない大きなカニに春人は少しテンションが上がり始めていた。
「でっか。すげえな、他には何がいるんだ」
きょろきょろと辺りを見渡す姿は小さな子供のようだ。いくつになっても男の子はこういうものが好きなのだろう。興味津々といった様子で目を輝かせていた。
「あ、こいつって」
そんな春人の視線にある生物が目に留まった。
まるで巨大なダンゴムシのようなその生き物は水槽の中をたくさんの足を動かしてゆらゆらと動いている。
「これってオオグソクムシだっけ?」
「うん。確かそうだね。ちょっと前になんかSNSとかでよく見たかも」
美玖も初めて見る生き物に興味を惹かれたのか、じーっとその姿を目で追っていた。
「本当にダンゴムシみたいなんだね。水の中にいて変な感じ」
「こいつらって丸くなったりするのかな?……触っていいんだよな」
ふれあいコーナーなのだから触ってもいいはずだ。だが春人はなかなか決心が付けずにいた。
未知の生物に興味心を刺激されてはいるがだからこそ腰が引けてしまう。
春人たちの隣では子供たちが何の躊躇いもなくオオグソクムシをきゃっきゃっと騒ぎながら触っていた。無邪気な子供には怖いものは無いのだろう。
こんな子供たちが触っていて自分は躊躇っているのが少し情けなく思えてくる。
「よし」
春人は決心し手を伸ばす。指先がその甲殻に触れる。
「お……おー、硬いけど……柔らかいような変な感触だなこいつ」
「へーそうなんだ」
「美玖も触るか?」
「え、えーどうしよう。ちょっと怖いなって」
「大丈夫だって俺も触れたし。ほら」
春人は掌に包み込むようにオオグソクムシを持ち上げる。細かな足が掌を刺激してこそばゆい。
「なら……触ってみようかな……噛まないよね?」
「噛まないって」
噛まないよな?春人は言った後に確かめるようにオオグソクムシの顔を確認する。どういえばいいのか……エイリアンみたいな顔をしている。
こんなのに噛まれたら無様に悲鳴を上げるかもしれない。
「わかった。じゃあ……あ、思ってたよりは柔らかいかも」
「だろ?」
指先でつんつんと躊躇いがちに突いていた美玖だが害がないことがわかると指先で撫でるように触り始める。
しばらくふれあいコーナーを楽しんでいると美玖が「あ」と声をこぼす。
「私これやってみたい」
美玖の声に釣られて春人も視線を動かすと水槽の中に足を入れている人たちが見受けられた。
この光景には春人も見覚えがあった。
「ドクターフィッシュか。こんなのもあるんだな」
水槽を覗くとメダカよりももう少し大きめの魚が泳ぎまわっていた。一部の魚は人の足にくっ付いてうようよとしている。
「一度やってみたかったんだぁ。やっていいかな?」
「ああ、俺もちょっと気になるしな。入ろうか」
春人と美玖は靴と靴下をそれぞれ脱ぐと水槽の端に腰かけ足を入れる。
「わあ、すごい本当に寄ってきた」
美玖は驚いたように目を丸くする。小さな魚が数匹美玖の足を突く。
「ふふふ、ちょっとくすぐったいかも」
楽しそうに笑顔を浮かべる美玖の横で春人も「おぉー」と感嘆の声をこぼす。
「こんな感じなのか。テレビとかでは見たことあるけど実際にやるのは初めてだ」
「こういうとこ来ることもなかなかないもんね。今日は来れてよかったよ」
「ああ、俺もだよ」
「うん……ほんとに」
同意したところで会話が急に途切れる。
気まずくなったとかではもちろんなく、少しお互いの存在を意識してしまったからだ。
お互いに今日二人でこの場にいることに喜びを噛みしめているのかもしれない。
ほんの少しの間をおいて二人はそれぞれの様子を窺うように顔を見合った。
タイミングがばっちり重なり二人して気恥ずかし気にはにかんで笑う。
「ねえ。今日はどうして誘ってくれたの?」
聞くならここだろうとずっと気になっていたことを美玖が口にする。親しければ親しいほど今回の春人の行動の不自然さが浮き彫りになる。疑問に思うのは当然だろう。
少し考えるようなそぶりを見せてから答える。
「あー……ちょっとな。いろいろと考えたくて」
「いろいろ?」
春人としては今後について考えをまとめなくてはいけないことがあった。そのためにも今回のデートは必要不可欠のものとなる。
ただそれを美玖に教えるわけにはいかない。それに――。
「まあ、こっちの話だよ。もちろん美玖と一緒に遊びたいって気持ちもあるからさ、むしろこっちの方が重要だし……まあ、今日は楽しもうよ」
この気持ちも嘘じゃない。どうこう言う以前に美玖と遊びたいと思っていた。
「なんかよくわからないけど私ははる君とこうして一緒に入れるだけで幸せだから全然いいんだけどね」
自分の感情をストレートにぶつけてくる美玖。
その屈託のない笑顔に春人も微笑する。




