126話 パン食い競争
午前中最後の競技に香奈と琉莉が出場していた。
選手が並ぶ列に二人も並ぶ。奇しくも二人は一緒に走ることになった。
「香奈さんが相手なんだね」
「ふふふ、琉莉が相手でもあたしは手加減しないからね」
楽し気に笑う香奈とは対照的に琉莉は全く楽しそうではなかった。
いつも以上に気だるそうな雰囲気がオーラとなって見えそうなぐらいにはやる気がない。
そもそも運動自体が苦手だ。ここにいるのだって嫌々である。
「高校の体育祭になるとパン食い競争なんてあるんだね。漫画とかの話だと思ってた」
琉莉がやる気の出ない中この競技を選んだのはほんの興味本位だ。
「そうでしょ?これあたしが提案した競技だからね」
得意げに腕を組むと、ふんっと鼻を鳴らす香奈。
「そうなの?でもなんでパン食い競争?」
「競技中に何か食べれるなんてこれくらいしかないからね。どうしてもやってみたかった」
食べることが大好きな香奈らしい理由に琉莉は少々呆れ気味に納得してしまう。
「すごい香奈さんらしいよ」
「そう?照れるねなんか」
褒めてるわけではないのだが訂正も面倒なので琉莉はそのまま話を流れに任せる。
そうこうしていると準備ができたのか実行委員に案内される。
最初の走者は琉莉たちだ。
スタートラインに並び二人は構える。
「勝負だよ琉莉」
「私走るのあまり得意じゃないんだけど」
テンションが上がっていく香奈だが琉莉は競技の時間が迫るにつれてどんどん下がっていた。
スターターピストルの音が鳴り琉莉たちは駆け出す。
完璧なタイミングと綺麗なフォームを作りながら最初に抜け出したのは香奈だった。
『おっと水上さんが一気に抜け出ました!後方の生徒との距離がどんどん開いていきます!』
放送部の女子生徒が実況を始める。
ちなみにこの生徒は以前文化祭の大食い勝負で実況していた生徒だ。
スピードが落ちることはなく、琉莉は袋に入った状態のパンが吊るされているエリアまでやってきた。
「――ふっ!」
身体のばねをうまく使い香奈は飛び上がるとパンを咥えて着地する。
『水上さん見事な咥えっぷりです。流石は大食い嬢王!風格から違いますね!』
「ちょっと!止めてくれないその実況っ!」
放送部の実況に周囲から笑いが生まれると香奈が居たたまれず声を上げる。
『おっとここで少しルール説明です。パンを取ったらその場で全て完食して下さい。完食したら後はゴールまで駆けるだけです』
香奈の声が実況している放送部まで届くわけもなく実況は続いていた。
香奈は眉を顰めるも急いでパンの入った袋を開ける。
「もう、いいさ。速くゴールしてここから消えれば――あむ」
香奈が一口パンを食べる。至って普通のどこにでもあるパン。そう思っていたのだが――。
「……ん?んんっ!?」
香奈は目を大きく開き手元のパンを凝視すると口を大きく開く。
「か、っっっらぁぁぁあああああッ!」
香奈がその場でばたばたと苦しそうに暴れる。
手や足を必死に動かし口の中の刺激を和らげるように。
「え!なにこれ!?どうなってんの!?」
食べたパンから尋常じゃない辛さが襲ってきた。
目に涙を浮かべ舌を出して苦しそうにしていたが香奈の疑問はすぐに放送部によって明かされる。
『おっとー!?いきなりはずれを引いたか水上さん!』
「はふれ?あにそれ……」
舌を出したまま香奈は放送部が集まっているテントに視線を向ける。
『パンには当たりはずれがあり水上さんが食べたのはおそらく激辛唐辛子パンだと思われます!』
「ほんとに何それ!?聞いてないけど!?」
香奈が一瞬辛さも忘れ大声を上げる。
競技の提案者である香奈も知らない事柄に驚愕と困惑が入り混じる。
だがその疑問もすぐに放送部の方から明かされた。
『えー、生徒会曰く、運動の苦手な人でもチャンスを作りたいと生徒会副会長である花守さんからの案が採用されたようです。いやー面白いことしてくれますね!あははっ!』
「笑い事じゃないよ!だとしても辛すぎだからこれ!」
理由を聞いても納得できず香奈が再び声を上げる。
そうこうしている内に後続が次々やってきてついに香奈を抜いて先に行ってしまった。
「あぁーーっ!もう、どうすんのこのパン!」
とてもじゃないが完食できる気がしない。
香奈は大食いであっても辛いものが得意というわけではない。
まさか自分が提案した競技でこんなに苦しめられるとは思わず香奈は悔し気に顔を顰めていると皆から大分遅れてようやく琉莉がやってきた。
「はぁ、はぁ……香奈さんついてなかったね」
琉莉は息も絶え絶えに香奈へと話しかける。
「そうだけど……琉莉大丈夫?」
「だい、じょうぶ……あとはこれ取って食べるだけ」
琉莉は問題ないと言うと真上に吊るされているパンを凝視し飛び上がる。
だが琉莉の身長と脚力では全く届かず、琉莉の口は虚しく虚空に齧り付く。
何度か繰り返していると周りから、「かわいいー」や「がんばってー」など声援が送られ始める。
小学生くらいの子供を親が温かく見守っているような優し気な空気が漂い始める。
当の本人である琉莉は口を固く結び恥ずかしいのか顔を赤く染め始めた。
「琉莉すごい応援されてるよ」
「言わないで。気にしないようにしてるのに」
何回やっても届かないので流石に実行委員が来てパンの高さを調整すると琉莉はようやくパンに齧り付いた。
『百瀬さんやっとパンに届きました!いやー微笑ましい姿に会場も和んだのでないでしょうか』
放送部の実況を聞いた生徒からまた琉莉への声援が飛んでくる。
「くっ!あの放送部覚えてろ」
琉莉は放送部のテントを真っ赤な顔で睨む。そろそろ恥ずかしさが限界のようだ。
「琉莉も大変だね~」
そんな琉莉に先ほど恥をかいた香奈が同情するように優しい視線を向けてくる。
因みに手に持ったパンは一向に減っていない。
「でもこれで私はこの場からいなくなれる。香奈さんは頑張ってね」
自分のもったパンを見せびらかしながら琉莉はパンに齧り付く。
三回ほど口を動かしたところだろうか。琉莉の動きが急に止まり顔を青ざめる。
「え、どうした琉莉?」
琉莉の変化に心配するように声をかける香奈だが次の琉莉の反応に目を丸くし驚く。
「鼻が!鼻がつーんってする!これわさびだ!」
苦しみながら鼻を押さえる琉莉は少し素が出ていた。
そんな苦しむ琉莉とは対照的に放送部からは楽し気な声が聞こえてくる。
『おっとぉーーー!今度はなんだぁ!?反応から見てあれはわさびパンか?二つ目のはずれのパンが出ました!』
実況に会場は盛り上がるが琉莉たちは今日一番に盛り下がっている。
手元のパンを見下ろし眉根を寄せていた。
「……これどうするの香奈さん?」
「どうするも食べないわけには先に行けないし」
「そもそもなんでこんなもの生徒会が採用しちゃったの。止めてよ」
「あたしも知らなかったんだって!くるみ先輩だから確かにやりかねないけどこんなぶっ飛んだこと!」
琉莉の非難めいた視線に香奈は自分も被害者だと主張する。
それでも琉莉は、じとーっと香奈へ向ける目の色を変えない。
一応この競技の提案者であるため香奈も気まずげに視線を逸らす。
「ほら!そんなことより食べないと!いつまで経ってもゴールできないよ!」
琉莉たちを除いて他の生徒は全員既にゴールしている。
このままでは次の走者の邪魔になってしまうので琉莉も大人しく香奈の言葉に頷く。
「そうだね。とりあえず早く食べよう」
琉莉も香奈も食べることには文句はないが口がなかなか動かない。
少しづつ食べるがパンはまだ半分以上残っている。
「かっら~……ほんとに何してくれてんのくるみ先輩」
「鼻が、鼻が痛い……なんでこんな思いして運動しないといけないの」
食べながら恨みつらみを口からこぼす二人。
目に涙を浮かべながらも頑張って食べている二人の姿に周りからも応援する声が徐々に増え始めた。
だが二人にとって見せ物のようなこの状況は針の筵だ。
半分ほどのパンを消化したところでどちらともなく二人は視線を合わせる。
近くの実行委員に揃って声をかけた。
「「棄権します」」
まさかのパン食い競争での棄権者に場は少しざわつきを見せるが、その後も棄権者が相次いだことから来年以降このルールで同じ競技が採用されることは無いだろう。




